「頼る」「甘える」「依存」の違いって何だろう? | 歴史雑学の研究ブログ

歴史雑学の研究ブログ

このブログでは学校では絶対に習わない日本の習慣の歴史や、日本に点在する神社に関する表由緒、裏由緒そして古事記との関係をわかりやすく解説していきます。

こんばんは。今日は久しぶりに神様の話題を

離れ、日々考えていることを投稿します。

 

私は、視覚に障害がある、仕事も障がい者雇用

なのですが、やはり自分でできない仕事も多く

人に頼ることも多いのです。

 

ただ、人に頼ってばかりいて、大丈夫なのか

皆と同じ仕事できないのに、とやはり劣等感も

感じてしまいます。

 

そこでふと思ったのが、「頼る」「甘える」「依存」

という言葉の違いです。

 

同じような意味なのですが、印象は全く違います。

 

今日はその違いを考えていきましょう。

 

頼る

 

 

まず「頼る」場合は、その人はまず、自分でできる

かどうかを事前に確かめています

 

例えば、作業を自分でやってはみたものの、身体に

障害がありそれ以上は難しい。

あるいは相手に迷惑をかけてしまったから、人に

頼る場合です。

 

この場合相手は自分の頑張りをある程度は評価して

くれていますので、快く受けてくれると思います。

 

むしろ「またいつでも声をかけて」

と言ってくれたりします。、この関係性は最も理想

といえるでしょう。

 

甘える

続いて「甘える」場合です。

 

これはある物事を自分ではやることなしに、

相手に頼むことをいいます。

 

例えば、期限がせまった仕事があったが、

自分ではやり方がわからず、かといって

調べる時間もない場合です。

 

この場合相手は、自分に教えることと

仕事を手伝うこと2つをしなければならず、

対等ではなくなります、

 

ですから、相手の方が負担が大きくなり

「甘える」と捉えられることがあります。

 

ただし、自分でできないとわかっていて相手に

できない理由を説明できたとしたら「頼む」に

なります。

 

依存する

最後に「依存」ですが、これは自分で考えたり

判断するのが面倒であり、相手にすべて

もしくは大部分をゆだねてしまう場合です。

 

例えば、自分が将来どうすべきかの判断を

相手にゆだねる場合です。

 

「占い」「自己啓発」などもそうでしょう。

 

これは言い換えれば、病気でもないのに

医師に自分の身体を手術してあなたの思う

ように造り変えてくれというようなものです。

 

そして「洗脳」の温床となる危険な行為です。

 

ここまでくると主導は相手に移ります。

自分を認めてほしい

自分の望む言葉を相手に求めてしまう

という方は、注意すべきです。

 

相手のペースにはまらないように

しましょう。

 

まとめ

ここまで「頼る」「甘える」「依存」の違いを

見てきましたが、下へ行けば行くほど、

「思考力」「自己責任力」が欠けていって

いることがわかると思います。

 

特に「自己責任力」は体調不良や気分に

落ち込み等で、簡単に弱まってしまいます

 

ブレない自分を作ることは自分の行ったこと

発した言葉にいつでも責任を持つことです。

 

特に「令和」の時代はそこが問われれくると

思います。

 

しっかりと考えておきましょう。