私の祖母は大正11年生まれ

80歳を迎える数日前に

交通事故で亡くなった

 

大正生まれといえば

色んな物事が分かる年齢になってから

戦争をリアルに体験した世代

 

 

祖母も、1人目の夫を戦争で亡くしている。

 

その後、再婚し子宝に恵まれたものの

娘を1人、小学校低学年くらいの年齢の時に

病気で亡くしている。

 

 

娘(私からみた叔母)さんは、学校から帰り

「あ〜、疲れた」と言って横たわり

それから布団の中から起き上がらずに

数日して亡くなったそう。

 

祖父は、

「これからはモノではなく

  楽しみを売る時代だ」と言って

植木の植栽や盆栽、庭づくりなどの仕事を始めた

 

 

その祖父も、

子どもたち(父たち兄弟)が全員社会に出てすぐ

亡くなっている。

 

 

祖母は、家庭を切り盛りする傍らで

着物を仕立てる仕事もしていた 

 

着物の仕立ては、私が子どもの時もしていて

晩年は「もぅ振り袖はそろそろ縫えないな」

というような事を口にしていた

(縫うのにとても気を使うみたい)

 

 

そんな祖母に、浴衣を作ってもらい

2度目は一緒に呉服屋さんで生地を選んで

作り方を教えてもらいながら自分で縫った

 

ちくちく針仕事をしながら

「おばあちゃんは、戦争もあって

 死別に再婚に、子どもも亡くしたりして

 大変な人生だったね」

と言ったら

 

「そんな事ないよ〜。

 おばあちゃん、今が1番幸せだよ〜」

と返ってきた。

 

 

 

 

私は、母経由で

祖母が今でも亡くなった娘さんのことを

夢にみているのをきいていたので

 

祖母は悲しみや苦しみと共に生きていると

そう思っていたのだけど

 

仮にそういう部分があったとしても

本人が本当に満足そうに

「今が1番幸せだよ」

と言ってるのを聞いて

 

私の中で、勝手に祖母に被せていた悲しみが

すーっと流れていったような気がした。

 

 

祖母の人生のいくつかの出来事を

知りながら暮らしていた私は

少なからず

「おばあちゃんにこれ以上悲しい思いをして欲しくない」

と思っていたのだけど

 

 

勝手に重ねていた悲しみがすーっと流れたら

なんていうか、余計な優しさ?みたいなものが

私の中から消えていったのを思い出す。

 

 

家族であっても

1人、1人の人間の集まりで

 

1人、1人の集まりであっても

家族ゆえに起こる勝手な思い込み

 

本人が満足しているということ以上に

大切なことはないと思うし

 

本人の満足は、本人が得るしかないのだなぁ

と思う。

 

 

ー ー ー ー

 

 

家族の座は

ここまで生きてくる中で

勝手に(愛ゆえに)背負ってきたものを解き

 

自分の人生を生きる

その「自分」の立ち位置って

ここかぁ!

 

と、視覚的にも体感的にも

クリアになっていくワークです。

 

 

人生の中で何度も繰り返しているパターン

なぜかいつも自分の中に出てくる

恐れや不安

 

仕事、人間関係、パートナーとのことで

越えたいのに越えられない壁

 

 

そういうったものをみるのに

とてもおすすめです。

 

「自分を知りたい」

「自分を生きたい」

そんな願いがあるなら

ぜひ 家族の座2023年11月〜2024年1月

雲、たそがれ、地平線、木の画像のようです