人事が決まり、来年度に向けて、

毎日、忙しく仕事をしています💦



私と上司が予想外の人事配置があり、

私と上司が最初予定していた人事と異なり、

思ったような配置転換にはなりませんでした。



部下たちと働くのに、

「やだな〜」と一瞬は思いましたが、

一緒に働きながら、

私の成長や設定変更で色々試せることもあるな、

と思うようになりました。



嫌な出来事って、

本当に、いろんなこと学べる。



私に理想の上司の形を押し付けんなよ!



という思いからは、



私も理想の部下の形を押し付けていた



と気づけた。



そのことに気づくと、

相手が誰であろうと何を言われようと、

相手が望む◯◯

理想の◯◯

という枠に自分をはめようとする在り方は、

はまらないといけないと考える在り方は、

絶対にしない

と決めることができた。




いろんな立場があるけど、

そうではなく、

私(naoco)で在るだけでいようと決めた。

私がどうしたいかだけでいよう

と決めた。



上司の私

◯◯の私

ではなく、naoco(私)で在るだけ。



私も◯◯とはこうあるべき

をたくさん持っていて、

今までも、

たくさんの人にそれを望み、

押し付けようとしてたり、

そう在ってほしいと期待して、

勝手に落ち込んだり怒ったりしていたな、

ということにも気付けた。




◯◯は、こう在るべき




と思うなら、

自分がそうすればいいだけだ。

自分が上司の時

自分が部下の時

自分が母の時

自分が妻の時

自分が娘の時



いろんな◯◯の時に

こう在るべき!と思っているものに、

自分をはめればいい。



自分を何かの枠にはめようとしていること



にも気づいた。



だから、もう何かの枠にはめるのもやめた。




どんな肩書き、役割がつこうと

関係なく

私で在ること

私がどうしたいか

というそれだけでいい、と決めた。

それがいい、と決めた。




今日、notebook修道院のラストのインスタライブで、

素材の話にもなったけど、

自分がこうだから相手にもこうしてほしい

とか、本当、意味ないことしてたなww

と思った。



みんなチームで、

素材を活かして、みんなで補い合い、

助け合い、分かち合いながら、

みんなで繁栄していくものなんだなと思った。



だからといって、

そう気づく、そう思う前がダメで、

そう思う今が良いでもなく、

どっちも対等な価値ある考え方で、

どっちも対等で価値ある経験である



ということにも気づいた。

そう思うようになった。




気づいた




という言葉を使うとき、

私は無意識に気づく前より後が素晴らしい私になった

としていた。




そうではなく、気づく何かがあって、

考えが変わる前も豊かな経験

考えが変わったあとも豊かな経験

ずっと豊かな経験のプラスプラスの

積み重ねしかなかった。



そう思う思わないさえも自由。



嫌だと思った出来事から、

本当にいろんな豊かさを受け取った。



だからといって、

嫌な出来事は、嫌と思ったままだ。

いい経験だった〜💓とはならない。

そのまま嫌でいいのだ。

嫌いな人のままでいいのだ。



好きも嫌いも対等だから。



嫌なまま感謝できるし、

嫌いなまま感謝できる。



感謝と感情、本当に別!




感謝も感情も、

自分の在り方のための道具。




どう在りたいか

本当にこれだけ!



明日から新年度。

体のメンテしながら、

在り方を整えながら、人生楽しもう!