いろんな人のブログを読んでいると、

本音を伝えてみよう

というのがある。



例えば、

職場で仕事量が多いのが嫌

上司の言い方がきつくて嫌



という時に、



仕事量が多くて、辛くて苦しい、だから手伝ってほしい

そんな言い方をされると傷つくからやめてほしい




というふうに、

自分の気持ちを伝えながら、

相手に自分の要望を伝えてみる。




そうやって、本音を伝えることが、

自分を大切にすることであり、

本音を伝えることは、

自分に優しくすることであり、

だから、周りの世界も優しなる



というやり方だ。




一時期、このやり方を採用したことが私にもあるが、

あまりいい気持ちがしなかった。

どうしても、仕事を押しつけている感があるからだ。



長年、社会で働き、組織で働き、

今、思うことは、





このやり方は、

選択肢の一つとしてあっていいが、

余程でない限り、私はお勧めしない。




これを選択する場合、

相当、自分と対話した後に、

嫌われてもいい

いづらくなってもいい

自分を生きるんだ!

という覚悟もセットにあった方がいいと思う。




 

なぜなら、これを言う場合、

うまくいかないことが多いからである。  




うまくいかない場合、その背景に、




私は、

あなたのせいで、

みんなのせいで、

この組織の体制のせいで、



辛い

悲しい

苦しい




だから、

私がいい気分になるために、

あなたが、みんなが、変わってください。

私の幸せのために、

あなたたちが変わってください。




という在り方があるからだ。



私は自分では幸せになれません。

あなたたちが幸せにしなさい。



だからだ。




言った本人は、すっきりするだろう。

今の世の中の風潮からすれば、

恐らく、周りは優しくなるだろう。





しかし、その周りの優しさは、上っ面なので、

大体、周囲は不満を隠している。

そして、本人の在り方が変わらない限り、

また人を変え、状況を変え、

を繰り返すだけになり、

嫌われるのは必須である。




ただ、これは、他人の領域なので、

嫌われてもいいと自分が思っていれば問題ない。




そして、




あなたの言い方は、傷つきます




という場合、そう言うことで、

自分も相手を傷つけるという自覚もあった方がいい。

ただし、

相手が傷つくかどうかこれも他人の領域だから、

知ったこっちゃない、でもいいのかもしれない。




そして、仕事を減らしてもらった場合、

あなたがしなくなった仕事を、

代わりに誰かが引き受けてくれている

という事実は、確実にある。

あなたがスッキリした分、

誰かが、残業しているかもしれないのだ。





だから、

余程じゃないかぎり、

一般的な社会では嫌われるはずだ。




じゃあ、我慢すればいいってことですか?




と短絡的になる人に限って、

本音を勘違いしているように思う。




我慢をさせているのは、相手じゃなく、

自分であるかもしれないからだ。




なぜ、自分は、

辛くて

悲しくて

苦しい

のかを、もっと自分で見た方がいいのである。




あなたのその辛い悲しい苦しいを、

相手に投げつけてスッキリ!

しかし、投げられた方は、たまったもんではない。




その感情は、相手や誰かが作ったんじゃなくて、

自分が作っているという自覚が必要。




そして、相手に言った方がいいと選択した場合、

気持ちを伝える必要は、私は、

ほとんど必要ないと思う。




改善した方がいいと思うことを提案すればいい。





話しかけづらい上司なら、

相手を変えようとする前に、

そういう人と自分はどう付き合うかを考えればいい。




なぜなら、自分の気持ちの責任は、

本来、自分にあり、自分にしか解決できないから。

そして、それを投げつけて、

受け入れてくれるほどの関係性が、

職場の人たちと自分に

あるかどうかが疑問だからである。




親やパートナーならいいと思う。

投げつけあっても、

愛しているという関係があるから。



気持ちや感情は、

本音ではないのだ。

設定次第でコロコロ変わるものだから、

うんこ投げつけてるようなものだ。

私のうんこ(辛い感情)の後始末、

あなたがしてね!

なのだ。



他人にうんこの始末させているからだ。

愛してもない人のうんこの始末など、

誰もしたくないだろう。




感情と向き合うのは他人ではなく自分。

どう感じたか

その上で、自分はどうしたいか。

相手にこうしてほしいではなく、

自分はどうしたいか。



そうでなければ、

人生の主導権が自分にならない。




そして、先に書いた、




相手を傷つける

誰かに負担をかけている

かもしれないけれど、

私は自分が楽にいい気分になるために、

自分がこんなに辛いということを伝えたい

こうしてほしいと要望を伝えたい




これが、本当に自分がやりたいことなのか、

も、自分に聞いた方がいい。




傷つけても、負担をかけても、

自分は気分がよくなりたいのか。

本当に、それで気分はよくなるのか。



それでも言いたいとしたら、それはどうしてか?




楽に簡単にが好みだから、そうします❣️

決めました❣️




とは、

他人に自分の嫌なことを投げつけることではなく、





自分の人生まるっと自分で引き受ける覚悟と

セットなのだと思う。



そして、自分にとって、

楽に簡単に生きる

ってどんなことを指すのか。



自分に問うことは無限にあると思う。



たくさんの制限を自分に課しているのは、

恐らく自分なのだ。



自分の人生を他人のせいにして、

一瞬は気が晴れたとしても、

所詮、他人に自分の人生の舵を取らせているのだから、

苦しさはまたやってくる。




自分の

苦しさ悲しみ辛さ悔しさ

を自分で責任をもって、

大切に聴いてあげられるような生き方を、

私はしたいと思う。