続きです。

部下とのことが、小中学時代に体験した「仲間はずれ」の感覚に似てると思った。



当時の私の気持ちは「仲良くしたかった」だった。

しかし、今、部下たちと仲良くしたいなどと1mmも思わない。

協力し合いたい、分かち合いたいなどとも1mmも思わない。



今まで、自分にすら、いい人ぶってノートを書いていたことに気づいたので、ありのまま、今思うままに気持ちを書きました。



私が悔しかったのは、

自分が頑張った、よかれと思ってやったことが、

無駄だった、なんなら否定的にとられたことだと気づきました。



しかし、それと同時に、

否定的に捉えられて悔しいと言っている時点でアホだったことに気づきました。



出して終わりにできないのは、

そもそも、やりたいことやってないからじゃん。

やりたくないのにやってたからじゃん。

仕事だから仕方ない

与えられた役職としてやらなければならない

を採用して、

やりたくもないことやってたの私じゃん!




その時、自分に喝が入りました。





好きに生きろ!

やりたくないことやってんじゃねーよ!

出すの損!ってなってのは、

そもそも出したくねーことやってるだからだろー!

やりたくないことやってんの誰だよ!







私だよ!!








嫌なことをやめる





よくあるフレーズですが、

本当にこれだな…と実感しました。




出すのが損

になってるのは、そもそも出したくないから。

出しだくないのに出してるのは、

そこに何かメリットがあるから。




嫌われたくない

いい先輩と言われたい

仕事ができると思われたい

上司に気に入られたい

非常識と思われたくない

自分勝手と思われたくない





村八分にあいたくない

仲間はずれにされたくない





優しくて常識的で、

社会性があって、協力的で、

嫌な仕事も引き受けて、



人として素晴らしいと言われたい

上司として、部下として、素晴らしいと言われたい



そんないろんな条件をクリアしないと、

私は、素晴らしい存在として認められない

認めない

仲良くもしてもらえない




そんな根深すぎる設定がありまくったことに気づいたのでした。




そして、頑張ったわりには認められない、好かれない




だったら、もうその努力やめたら?




そんなふうに思った。

そして、仕事も辞めたいと思った。




若い時から、なんども思っていた。

しかし、母の存在が私には強力で、辞めれずにいた。



私は母にずっと、




いつ仕事を辞めてもいい

いつでも帰ってきていい

生きてるだけでいい




そう言ってもらいたかったことを思い出し、

今でもそうであることに気づいた。



なぜ、そう言ってほしいのか。




それは、




無条件に愛してほしいから。

無条件の愛

無条件の温かさ

を感じたいから。




その温かさ、ぬくもりの中で、

安心しきって生きたいから。




これに気づいたとき、

私がパートナーに求めていたものと同じだということにも気づいた。




無条件に愛される感覚を味わいたい、感じたい




どんな、私でも愛しているよ




そんな環境を私は、

ずっと外に求めていたんだ。




あなたは何もしなくていい。

あなたはいるだけでいい。

あなたの存在があれば、

私は幸せなのだから、

あなたのためにできることは、なんでもするよ。




経済的にも、精神的にも、

全部全部、私が守ってあげるよ。




そんな状況、環境を私はずっと望んでいたんだ。

母に、彼に。




無条件に愛してほしい




この願いの奥にあったのは、





私は無条件に愛されない存在

私は条件が揃わないと愛されない存在




私は

存在だけでは価値がない存在




この設定を、




バリッバリッに採用してるではないかー!!!





さきこさんの継続講座の一ヶ月めで教わった




「富の塊」

「価値ある私」




これが、本当に大切で、

これがベースじゃないと本当に意味がないと実感しました。




自分が自分のことを無条件に愛していないことを、

ひょっとしたら多くの人は、

わかってる風で、わかってないのかも。




私は、これに、

自分が苦しさを感じ続けたからこそ、

実感として気づけた。

本当にこの出来事から感じた苦しさの中に、

お宝があった。



きっと、小さい頃から感じていた

寂しさ、悲しさ、悔しさに、

ずっと蓋をし続けて、

感じないように、

感じてもそんなの大丈夫と、言い聞かせて、

無理をさせていたのだと思う。




今更、50歳も前にして、

めちゃくちゃ幼かったことに気づいた。

自立してる風だった。

恥ずかしい。




自分で自分を幸せにする

自分で自分を無条件に愛する




と私は決めた。




私は価値ある存在




と設定し直す。

(実際、そうなのだから)




よく聞く当たり障りないフレーズのようだが、

私のように、

本当にこの言葉の凄さを理解し、

実践できている人は少ないように思う。




自分で自分を幸せにする

自分を無条件に愛する




は、覚悟が必要だから。

苦しさも悲しみも悔しさも、

全部、自分が引き受ける。




無条件に私を愛するとは、

自分で自分を幸せにするとは、




自分の話を聞き、

感じたことをもとに、

今、できることはする



すごく単純なこと。

簡単なこと。




だけど、ここで大切なのが、




苦しさ

悲しさ

辛さ

悔しさ




そういう痛みを引き受けながら、

実行していく

体現していく




ということ。





それなしで!




ってやってるうちは、

自分には価値がある

自分は無条件には愛される

と本当は思ってないのかもしれない。

ということを疑った方がいい。






私は、この経験の前は、



パートナーが欲しい

お金がもっと欲しい




と、当たり前に思っていた。




しかし、今、自分と向き合う日々の中で、

自分に思うことは、




生きてるだけで十分幸せだな

生きれてたら、それだけで成功だわ




ということ。




生きている





それ以外のことは、本当におまけだわ。





今回の出来事は、

本当に大きな気づきを得れました。




他にも、たくさん気づきはあったのだけれど、

長くなりすぎそうなので、

このシリーズは、一旦、ここで終わります。