久しぶりの投稿ですが、元気です。
今回は、ある出来事をきっかけに、
たくさんの気付きがあったので、それを書いていきたいと思います。
私は、世間一般でいう中間管理職なのだと思います。
肩書がついているということは、多分そうなのだと思うのです・・・
中間管理職になって、
仕事量が増えたことによる精神的な辛さはもちろんのこと、
中間管理職だからこその責任の重圧・・・
〇〇ハラに気を付けなければの重圧・・・
見えない部分での精神的な辛さが日に日に増しています。
私より更に上の役職の上司の働き方を見ていると、
本当にブラックだよな~・・・と思い、
絶対になりたくない・・・と思う毎日です。
いつか中間管理職の人、
仕事をめちゃくちゃ無理して頑張っている人が、
楽になるような何かができたらと思う。
そんな中間管理職の私が、先日、
数人の部下から洗礼を受けました。
私の指導が厳しすぎるというもの。
具体的な内容は、避けますが、
これをきっかけに、私は大きな気づきを得たのです。
最初、上司からそれを聞かされた時、
平気なフリをしてはいましたが、
内心は、とても腹立たしかったです。
(ちなみに上司は、部下たちの言い分が、
あまりに稚拙だと逆に私を労ってくれました。
本当に、これが救い。)
腹立たしいとは言いつつも、
感情を観る癖がついているので、
冷静な私がいて、怒っているような怒ってないような・・・
一人でいても、
平気なフリをしているような私がいるのです。
他人から「厳しい」と言われることが、
とてもショックでした。
昔からそうですが、私は、
「とっつきにくい」「話しかけにくい」と言われることが多く、
「優しそうだね」「話しかけやすいね」
と言われる人のことがとても羨ましかったのです。
自分の中では「優しい」つもりでいても、
それが人に伝わらない。
もちろん、優しく言ってない時は、自覚しているけれど、
自分の中では、
優しく言ったつもりだったり、相手のことを気遣って言ったりしたりしている、
と思ったことまでも、否定された、伝わっていなかったことに、
とても傷ついていました。
でも、「傷ついた」って言いたくない。
あんな若造たちに傷つけられたなんて、私のプライドが許さない。
みたいな思いもありました。
そして、被害者意識にもなりたくなかった。
たがら、怒りは認めたとしても、
悲しいとか寂しいとかはないと思っていました。
そして、毎日、毎日ノートに自分の気持ちを書きました。
書く時に、気を付けたことがありました。
それは、本当の気持ちを書くということ。
そして、気持ちにしろ、思考にしろ、書いた時に、
その時に湧く感覚にも正直になることでした。
そうすると、今までに書いていたノートは、
結構、常識やこういうふうに在りたいからということで、
納得させていたことばかりだったことに気が付いたのです。
例えば、
ここには書けないような暴言をノートに書いた後、
「じゃぁ、どうしたい?」
と聞く。
「どんな在り方でありたい?」
と聞く。
「自分の気持ちを、もっと相手に伝わるように話したい」
「部下とも気持ちが分かり合えるようになりたい」
「一緒に成長し合えるような関係になりたい」
「自分の優しさを発揮できるようになりたい」
今までなら、こんなふうに書いていたと思うのです。
さきこさんがよく、
「本当の願いは、愛に辿りつくから」
と言っていたというのもあって、
実際に自分も、
「愛」や「優しさ」を感じられる在り方を自分も望んでいるのだから、
本当の願いはそうなんだと思っていたのです。
これは、さきこさんが言っていることが、間違っているとか、
そういうことではなく、
むしろ、私は、さきこさんが言ってたことで、
2つのことを意識して、ノートで自分と向き合いました。
一つは、
「自分の感覚を指針にすること」
そして、もう一つは、
いつか、何かのセミナーの時に、さきこさんが質問された方に、
「その質問をして、なんて言って欲しいと思ってるのですか?」
ということを言われたことがあったんです。
要は、
「こう言ってほしい」と思っている自分に気付くこと。
そして、
「どうして、そう言ってほしいと思っているのか」に気付くこと。
まずは、ノートに感情をぶちまけたのですが、
これが、何日経っても、怒りが収まらない(笑)
設定変更手帳の「やな感じ」は、毎日、部下のこと。
苦しい
苦しさがずっと続く。
でも、そのままにしておきました。
無理な設定変更もしない。
今、その日、その瞬間、
自分が一番、ホッとする言葉をかけてみるだけ。
どうして、その言葉がホッとするかを聴いてみるだけ。
次の日には、また次の日で、
怒りや苦しさが増すのだけど、
それでもいい。
苦しいままでいい。
そんなふうに2週間ぐらい過ごしたある日の夜中に、
パッカーン!っていうことが起こりました。
続きます。