日曜日に鎌倉へ行った。
いわゆる一人旅ってやつです。
公開するのがだいぶ遅れました。
別に忙しかったわけではないですが、だるかったので。
前々から行こう行こうと思っていながら実現まで至らなかった鎌倉旅行。
しかし昨日5時起床という快挙を久しぶりに成し遂げた。
予定もないし、時間的な余裕もたっぷりあるし、ということで
雑誌と地図だけを詰めたビジネスバック片手に電車へ。
腹ごしらえをしに松屋へ行ったら偶然孝介さんを発見。
朝帰りらしく疲れているように見えた。バイトお疲れ様です。
山手線で品川まで行って、横須賀線に乗り換える。このあたりから慣れない早起きの副作用が出始め、電車の中で熟睡。席の空いている電車で寝るのはとても気持ちが良い。不覚にもヨダレが出てしまった。恥ずかしかったが、こういう時周囲を確認したりして他人と目が合ってしまうと、さらに恥ずかしさがアップしてしまうので絶対やらないほうが良い。結局そのまま気にしない振りをして寝ていた。
約一時間半で到着。危うく寝過ごすところだった。
この時点でまだ8時にもなっていない。鎌倉は意外と近いことが判明。
辺りは閑散としていた。時間が時間なので、人が居ないのは当たり前だが。
駅近くの商店街、小町通り。
やはり人がほとんど居ない。店もほとんど開いていない。
全速力で端から端まで駆け抜けたら、さぞかしさわやかな気分になれるだろう。
何て言うか……普段人で溢れ返ってる場所に誰も居なかったりすると、走りたくなるでしょ?ほら、早朝の馬場とか。
多分誰もが一度はやってみたいと思ったことがあるだろうけど、エレベーターに一人で乗ってるとき、変なポーズをとってみたい衝動に駆られることはないだろうか?
僕はたまにやってる。
学生会館の10階に部室があるのだが、いつも使うエレベーターが3階からは4、5、6階をすっとばして一気に7階まで行くので、その間に何かしら行動を起こす。そして上りは7階、下りは3階に行く直前に何事もなかったかのように振舞う。
もしかしたら見られてるかもって言うスリリングな感じが良いのかもしれない。
ちなみにこの前一人で乗った時は渡辺俊介のサブマリン投法をやってた。
最近になって気づいたのだが、僕はどうやら真人間の道から少しずつ逸れていってるようだ。
高校時代の友人に
「大学に入ってからダメ人間に磨きがかかったな」
と言われた。まぁいいや。
社会に出たら否が応でも真人間にならないといけないような気がする。
大学生って唯一ダメ人間でいられる身分でしょ。
じゃあダメ人間にならないと損だと思わない?
……誰に言ってるんだ僕は。
失礼、話が脱線しまくりました。
小町通りを抜け、しばらく歩くと目的の鶴岡八幡宮が見えてきた。
改めてみると、自分の撮影技術の無さに落胆した。
とりあえず、左の写真の右側に見えるのが太鼓橋。太鼓のように反り返った橋なのだが、残念ながら渡ることは出来ない。
右の写真は本宮。
写真には全く写ってないが、
大臣山の緑をバックにした本宮は壮観の一言。
お参りをした後、折り鶴のストラップとお守りを買った。
ストラップは金銀白の三色があって、僕は白を選んだ。
金と銀は折鶴が持つふわっとしたイメージが崩れてしまうので止めたほうが良いと思う。
三ノ鳥居をくぐって右へ行くと源氏池、左へ行くと平家池がある。
源氏池には3つ、平家池には4つの島がある。
3=「産」、4=「死」
源氏の繁栄、平家の滅亡を意味している。
回りくどくていいね。日本人のこういうところが好きだ。
8月になれば、源氏池には白いハス、平家池には赤いハスが見られる。
源氏池に行くと、山から来ているのだろうか?見た事も無い鳥、綺麗な青い色をした蝶、そして野生のリスが居た。
若宮大路の段葛。
三の鳥居に近づくほど道幅が狭くなる。
さてさて、次にやって参りましたのは高徳院。
高徳院のシンボルはやはり大仏。
高さにして13m、重さにして121t。
とにかくデカイ。
大仏の裏にはひっそりと与謝野晶子の歌碑が。
「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
写真では分からないが、とても綺麗な崩し字でこう彫られている。
大仏は釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来なのだが、これはただ間違えただけなのだろうか?
美男におはす……与謝野晶子には大仏がイケメンに見えたらしい。
んー。まぁ美男美女の目安って人によって違うからねぇ。
左の頬の耳の近くに、昔の名残(元々は全身金箔で覆われていた!!)が少しだけ残っていた。
大仏の胎内へ入れるみたいなので、早速入ってみた。
中は意外に狭かった。
写真の上に見えるのが頭。
あの特徴的な髪は、後から着けているのかと思っていた。
高徳院を出て徒歩5分ほどで長谷寺へ。
写真は総門を入ってすぐ左に見えた妙智池。
5月には花菖蒲が見れるらしいのだが……無かった。
メインの観音堂へ行く間、ちょっとした傾斜地を登る。
美しい自然と、謎の地蔵。
登りきった後の風景。由比ヶ浜を眺望できるVIP席。
残念ながら写真ではその美しさの3分の1も伝わっていない。
左が経蔵。
経過を一回転させるとその中に入っているお経を全て読むのと同じご利益を授かるといわれている。
右はプチ観音様。
11面観音菩薩像は残念ながら撮影禁止だった。
帰り際に弁天堂に入り、傍にあるお堂で写経をした。
道具はあらかじめ用意されていて、30分かかる何とか10句(名前忘れた)と2時間以上かかる般若心経のどちらかを選んで、薄い字を墨でなぞる。
遠いところから来たんだし、折角なので僕は般若心経を選んだ。
感想。
正直ナメてた。
何がつらいかって、長時間の正座が何よりも辛い。
書いてるうちに限界を感じ、さすがに2時間は無理だと悟って途中休憩した。
隣の人が涼しい顔で写仏(大仏を一心不乱に書きなぞる。所要時間2時間半)を書き終えてた。
すごく綺麗に線をたどっていた。
自分の写経を見る。
あまりの酷さに落胆。
これは小学生の頃の僕にやらせたほうが上手く出来ると思った。
夏休みの宿題などで何十回も漢字の書き取りの練習をしていると、
頭の中が真っ白になっていく。
思考の内容は目の前の漢字をただ書き写すという作業のみに集中する。
思えばあの頃の集中力は凄いものだった。
今は一つのことに集中することなんて不可能だ。
必ず頭の中で違うことを考えている。
本を読みながらメールの返信の内容を考えたり、
尺八のお稽古をしながらテニスサークルの飲み会での話題を考えていたり、
定期試験の勉強をしながらエッチなことを考えていたりする。
んー、年を追えば追うほど余計なことを考えるようになるのかも。
人間は生まれた時は煩悩を持っていないと思う。
でも年を経ていくことに、煩悩をいつの間にか周りから接着剤でぺたぺたと貼り付けられていく。そしていつの間にか固まって取れなくなる。
それは何故か?必要だから?
初期の仏教では煩悩を消滅させないと悟りに達することは出来ないと教えられていた。
しかし大乗仏教で、煩悩は生涯取り去ることは出来ず、むしろ表裏一体であるとする煩悩即菩堤の考えが生まれた。
多分、途中で「やば、煩悩消せないわ」とか思ったんだろうね。
人間が理性を持った瞬間、煩悩も生まれる事は必然だったのでは?
ましてや現代生活において、煩悩の数は108つに留まらないような気がする。密度が濃くなったと言うべきか。ならば煩悩即菩堤の考え方からすると、現代人は悟りを得やすい状況にあるわけなのだが……まぁいいや。あと五年もすれば何かしら悟るでしょ。
そんなわけで、最後まで集中できず僕の写経は煩悩の塊となっていた。
これが和尚さんの目に通ると思うと恥ずかしい。
しかし良い精神修行になったと思う。
他に建長寺、円覚寺も見るつもりだったが、遠いし、寺はもう見飽きたので歩いていける鎌倉文学館へ行くことにした。気分次第でどこへでも行けるのが一人旅の良いところ。
文章書くのって思いの他疲れる……続きはまた今度書きます。
……いつになるんだろ。
















