ママのミカタ代表井上尚子なおちん@naochin_inoueです。

私にも18歳女子大生の夏がありました。
本当です。信じてください。

短い受験勉強を終え(1日15時間くらい勉強してた)希望していた大学は全て落ち、押さえの短大だけ合格。
しかも別に行きたくもない国文科。


でも「18歳の夏」ってなんか特別な感じしません?

人生で一番輝いてるイメージ。



そんな期待と裏腹に夏が来る前に原チャリで事故りました。



救急車で運ばれたのは地元でも有名なK池外科

大腿骨骨折で牽引処置をされました。

膝の両側にネジみたいの打って紐で引っ張って重り付けるやつ。


えぇ、寝た切り生活の始まりです。


食事もトイレも何もかもがベッドの上。

シャンプーすらしてもらえない。

部屋も今では違法な(もしかしたら当時も違法だったかも)10人以上いる大部屋。

付き添いも、雇われたおばさまが一人で3人くらいの患者さんの面倒を見ます。


寝た切りだとトイレの大が出ないんです。

下剤飲んでも。

なので1週間に一度くらい浣腸で促し、それでも出ないからおばさまが手袋してほじって出してくれました。



「何で私生きてるんだろう…。こんなんなら死んだ方が世の中の為だわ」毎日思いました。



そしてK池外科は「運ばれたら、次に行く場所は墓場」で有名。



当時はネットなんて言葉も無くて。

1カ月近く寝た切りもおかしいって父の友達情報から、他の病院に転院することに。



転院先は自宅の近所の総合病院。


運ばれてすぐに整形の先生に「何で18歳で牽引なんだ!」って私が怒られて。

いや、医療のこととか全然知識ないし。


土曜に運ばれ、月曜に手術。


手術なんて初めてだから怖かったー。

整形の手術なんてほぼ大工道具か工具。

ギュイーンギュイーンいったりカンカン打ったり。


術後も凄い痛みで七転八倒ってこれか!って感じ。

次の日には痛みもなくなり、リハビリの説明。

ベッドを少し起こしてご飯が食べられるってだけで凄く嬉しかった。



リハビリは、まず座ることから。

頭がグラングラン回る〜!

寝た切りで三半規管がなんかなってたのかな?


座ることができるようになると次は立つ。


軸足の左足は無事だったので別に問題ないかと思いきや、産まれたての子鹿よりふにゃふにゃ。


高校時代、かなり運動してたのに…


看護師さんに抱き付く感じで立つ。しかもほんの数分。(え、なんかのお店のサービスとかじゃないですよ)


立つのが出来るようになって車椅子でリハビリ室へ。

歩く練習している御年配の方々の横ではヘルニアで入院していた男の子が背筋鍛えるやつ?で筋トレしてます。ここはジム…?

(同い年って事で看護師さんに紹介され、後に私の旦那さんとのキューピッドになる友達です)


2〜3mの手すりが両側にある所で両腕と左足だけで歩く練習。

これは凄く嬉しかった!


ずっと寝た切りだったので、横からしか見れない世界が縦にも見える。やっと普通の視界が戻ってきた!


次の日からのリハビリ室へは自分で車椅子漕いで行きました。

腕の筋肉がどんどん付くのがわかって嬉しかったのと、思うところに自分で行ける楽しさ♪

売店にも自由に行ける♪


程なく松葉杖を渡され、更に快適な入院生活。


寝た切り中に夢に出てきた一服も、好きな時に自分で喫煙所に行ける♪(未成年の喫煙は法律で禁止されていますが時効ですからね)



腕の筋肉も更に付き、右足以外は本当に元気。

そんなこんなで術後1ヵ月少し過ぎには、半年後の春に大腿骨に打ち込んだ棒2本を抜く手術の約束と松葉杖と共に退院。



こうして18歳の女子大生の夏は、海もプールも合コンも何一つキラキラ輝く事なく終わりました。

一生残る傷と共に。


あ、右足の膝の両側にある傷、先生曰く「綺麗に縫えた!」そうです。

いや、傷が綺麗とか意味わからんし。



と、いう訳で(どういう?)今入院してリハビリ頑張ってる人も、きっと入院前の生活に完全に戻れるとは無責任に言えないけど、頑張っていることは絶対無駄にならないから。

リハビリが辛くても痛くても、長い人生の一部でしかないの。

だから大丈夫だよー!