2023年9月8日、こまつ座「闇夜に咲く花」を観てきました
こまつ座、栗山民也演出、戦争テーマ、松下洸平くんと言えば「母と暮らせば」。
今回も同じキーワードなので、友人の誘いに乗っかって観劇しました。
重いテーマがいくつも含まれていて、観劇しながら、感じたり考えたり、めっちゃ頭がフル回転。
疲れましたが、観るべき作品を観る機会に恵まれ、本当に良かったです。
声をかけてくれた友人に感謝です!
以下、心に留めたい台詞たち。(暗記は出来なかったので、観劇後にネット検索)
「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね」
「忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃ なおいけない」
いつまでもなくならない戦争・紛争・内戦など…
そんな大きい話ではなく、自分に引き寄せて振り返っても、ちまちまと同じ過ちを繰り返しているように思います💦
「ぼくたちは紙1枚で殺されたり生き返ったりするんだね」
赤紙1枚で戦地にやられ、戦死広報で死亡を通知され、その後、実は生きていた…という事例が2000件以上(だったかな?)。
そして、生還したのに無戸籍では不都合なので、生還者届を出せば、生きていたことにできる。
戦地の混乱の中、或いは戦闘の中、仕方ないのかもしれないけれど、でも、何とも言えない気持ちになる。
神社は人の生き死にから距離を置いた場所のはずだったのに、出征する人を神社から送り出したり、空襲で亡くなった人を神社で焼いたりして、神社は神社でなくなっていた。
おまけに、終戦後は神社本庁の新たな支配下に入ってしまって…。
正午に各神社が平和の太鼓を叩くという統制に、不安感を煽られました。
なので、健太郎の願いが心に響く。
「神社は花だ。道ばたの名もない小さな花」
公磨たちにも響いたからこそ、(恐らく神社本庁から離れ、)人々がほっと息をつける場所に戻したのであろう。公磨のことばが沁みる。
「ここは神社ですよ、稲垣くん。神社になったんです」
混血児の捨て子2人を、息子として育てることにした公磨。
子を捨てるのは許されないことだけれども、親が神社に捨てたのは、ここであれば神さまが守ってくれるのではとの最後の親の切ない祈り、といったような巡査の台詞。
安易に遺棄して殺してしまうのではなく、逡巡して泣く泣く手放したということか。
ただ、混血児であるところに、時代の苦しさを思い、子どもらの未来を憂い、やり切れない。
その他、改めて考えさせられたこと。
現地民と親しくなり、名前を覚えられていると、名前を出してしまうものとの諏訪(GHQ職員?)の指摘に、ふと、思ったこと。
南方の国々はアメリカ軍から聴き取りを受けた際、残虐な行為をした日本兵を告発せよとの圧を受けたのではないか。
自分たちの立場を守るために、日本兵の名前を言わない訳にはいかず、結果、覚えている名前を出してしまったのではないか。
極悪な日本から植民地を救った英雄アメリカ、でないといけないので、日本兵と現地民が心を通わせていたり心を寄せているのは、あってはならないことだろうし。
あったと主張するのであれば、それは闇に葬るべき発言だったのではないかと…。
稲垣がチームメイトの消息を調べた中で、1人、怪我をすれば日本に帰れると思った仲間が、背中から友軍に撃たれたとの話が。
映画「レニングラード」の冒頭で、ロシア兵がそれをしているのを見て、なんと恐ろしいと思ったけれど、日本軍もしていたのかと愕然。
でも、敵を殺す練習として捕虜を殺せと命じられ、殺せない兵士を袋叩きにするということはあったようなので、その延長線上と考えればあり得ることか…。
靖国神社、神田明神、ニコライ堂という宗教施設の名前が出てきました。
愛敬稲荷神社はきっと、これらから遠からぬところにあったという設定なんだろうな。(実際、神田には稲荷神社がわんさとあるみたいです)
GHQの録音機が出てきましたが、神田から秋葉原がほど近いことにびっくり。
昭和庶民伝三部作の第二作だそうで、第一作は「きらめく星座」、第三作は「雪やこんこん」とのこと。
他の作品も観てみたいです。
観劇前のランチ。
大きなだし巻きの中には、釜茹でしらすとチーズが入っていました。美味しかった〜!