2023年5月6日越前ぶらり旅、證誠寺に続いて本日のラスト 平泉寺白山神社に行ってきました
日本遺産「福井・勝山 石がたり 中世・近世のまちづくり、そして現代」の構成文化財でもあります。
泰澄大師が白山に登るに際して、平泉寺を開き、やがて、修行者のための宿坊、白山を礼拝する拝殿、寺院が建ち並んで発展したそうです。
1084年に比叡山延暦寺の末寺になったのをきっかけに、平泉寺は僧兵集団として有名になって行くのだそうです(→南谷三千六百坊跡をお楽しみに!)
源平合戦の頃は源氏を支持、南北朝時代には北朝側の斯波高経の誘いに乗って寝返り、平泉寺は最盛期を迎えます。
しかし、1574年に石山本願寺の顕如が加賀越前の門徒に朝倉景鏡と平泉寺の討伐を命じ、一向一揆により平泉寺焼亡。
顕海が1583年に玄成院を再興、大野城主 金森長近や豊臣秀吉の保護を受け、更に寛永寺の末寺になって、福井藩主 松平氏の保護を受けて再興再建が行われたそうです。
ところが、1868年の神仏分離令により平泉寺の名称を廃止、寄進地も全て没収され、白山社、拝殿、鳥居などは白山神社として残りました。
ただし、白山山頂や麓の村々は石川県に属することになったので、白山神社の総本山は加賀の白山比咩神社となったそうです。
精進坂
一の鳥居
二の鳥居
拝殿
本社、御祭神は伊弉冊尊
越南知社、御祭神は大己貴尊
別山社、御祭神は天忍穂耳尊
貴船神社
今宮神社、御祭神は鸕鷀草葺不合尊
この奥には納経所跡、楠木正成の墓、三の宮があります
開山社、泰澄大師を祀る
八幡神社
御手洗池の上段
御手洗池から上段を振り返る
御手洗池
玄成院の枯山水の庭園