2度目の北千住 BUoY でした。

私がお気に入りの小屋。

2階のカフェも、地下1階の銭湯の佇まいさながらの空間も。

(でも、時間と気持ちのタイミング等々で、行けてはいないのだか…)

 

          

 

そこで、青春五月党の東京公演があると聞けば、

それならば行くしかないだろう、と。

 

本当は、LaMaMa ODAKAで見たかったのですが、

たしかその日は、自分たちの方の公演と重なってしまって、

泣く泣く断念しました。

 

で、もう二度と見ることができないのか、と思っていたのですが…。

 

はじめて、チケットぴあで購入しました。

しかも、発売日を待ってその日に購入ということを。

 

危うく、購入できず仕舞いになるところでした。

インターネット上では、なかなかつながらない。

そこで、コンビニ購入にすぐに切り替え、なんとか間に合いました。

 

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閑話休題。

 

「静物画」は、大学生のころに読んだ記憶があります。

当時、「家族シネマ」に衝撃を受け、それ以来しばらくは

柳美里さんの作品を手当たりしだい読んでいました。

 

その頃の作品、一番私の心に深く残っているのが、エッセイの「自殺」。

その前後かと思うのですが、何気なく手に取ったものが「魚の祭」。

当時の私は、岸田國士戯曲賞の凄さなんか分からなかったので、

「戯曲も書くんだぁ、賞とったんだ」程度の、恥ずかしい感想。

 

でも、柳美里さんの言葉選び、特にト書きに強く惹かれたのを覚えています。

この本に併載されていた作品が「静物画」でした。

 

その後、私が演劇に関わるようになって以来、

今でも、職場の書棚に他の戯曲集と一緒に置かれています。

 

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今回の観劇は、結局予習なしで挑みました。

(言うまでもなく、この作品の戯曲集は購入済みvv)

 

出演は、福島県立ふたば未来学園高校 演劇部の生徒と顧問。

 

プロではない、高校生たちの声をそのままに受け止めたい、と思って。

 

私は、彼らの高校演劇での舞台も見ています。

全国大会出場の結果も知っています。

 

今回の舞台には、高校演劇のプレイヤーとしての彼らではなく、

普段の彼らがいました。

ジェスチャーゲームとか、黒板のバランスがとれていない文字とか、

鳥に見えない鳥の絵とか、そのまま彼らでした。

 

「静物画」の高校生たちは、実は、この世ではないどこかの住人なのかもしれない、

と感じることもありました。

それくらい、生と死の境界が曖昧で、透明で冷たく美しいお芝居でした。

 

でも、高校生たちが生きていようとも、死んでいようとも、

震災当時の体験・小さい頃の思い出を話す彼らは、

双葉・いわきの地で、真に生きている高校生でした。

 

防護服を着て、ビニールの透明人間を抱えてパントマイム(?)している様子は、

津波による悲劇、または、事故によって自宅に帰れない方々の心象風景

であるかかのようでした。

 

「静物画」

死せる自然を描くもの。自然の中には、人間の営みも含まれる。

描かなくては、やがて忘れ去れ消えてしまう。

忘れ去られることのないよう、消えてしまうことのないよう、

自分たちの生の営みを記録すること。

 

まさにこの作品は、

双葉・いわきの地で生を営む高校生たちを描いた「静物画」でした。

 

この舞台に関わったすべての皆様へ、

「本当にありがとうございました。」