ある学生のエピソード。
その学生は好きな人がいた。
しかし明らかに彼は、その学生のことを好きではない。
側から見ても2番目扱い。
それでもその学生は諦めなかったらしいが、周りは呆れている。
このエピソードから、このようなことを伝えたい。
この学生は彼から2番目扱いされているのではなく、自分が自分を2番目に扱っているということ。
自分の顔や姿は鏡を見ないと分からないように、私たちも心で感じていることや自分への扱いは、誰かや何かを通してでないとわからない。
それが、人や出来事として現れているのである。
よく目の前で起こった現実に対して嘆くけど、なぜ嘆いても何も解決しないのはなぜか。
その理由は、今目の前に起こっている現実は、過去自分が放った産物であり、今あなたが感じていること、あなたがあなた自身にしていることを、鏡の役割を持って教えてくれているだけに過ぎないから。
目の前に起こった出来事自体に、意味や価値はないんです。
そうではなく、その出来事を通して何を教えてくれたのかが大事。
この学生のエピソードで言うと、彼は決してその学生を2番目に扱っているのではなく、その学生が自分のことを2番目に扱っているんだよとエキストラ、つまり役者として演じているだけなんです。
よくありがちなのが、どうしたら彼が1番目になってくれるのか、と考えがちですが、この理論を用いれば、彼をコントロールしても仕方ないことがわかりますよね。
彼をコントロールするのではなく、自分をコントロールすること。
この学生の場合だと、2番目に扱われていると言うことは、自分を2番目に扱っているということなので、まず自分を1番に愛してって教えてくれている。
だから、彼に愛されるために自分を蔑ろにするのではなく、その矢印を自分に向けてって教えてくれている。
こんなことを偉そうにベラベラ語っている主も、実はこの真実・原理原則を知らずに過ごしていた。
だから目の前の現実に嘆いていたし、嘆いても解決するどころか悪化して、勝手に自分で自分の首を絞めていた。
なぜ苦しいかもわからず過ごしていたところ、こういった情報に出会って、痛いところは突かれ泣いたりもしたけど、辛いけど楽しいみたいな感じになった。
これなら乗り越えられそうと思えたから、今こうやって伝えることができているし、目の前の現実そのものではなく、その本質に目を向けられるようになった。
そのおかげで、本当にやりたいことも見つかったし、今まで毛嫌いしていた自己分析も楽しくなってきた。
もう現実や目の前の出来事に嘆くんじゃなくて、この出来事を通して私に何を教えてくれているのかなという視点に立って考えてみよう。
考えるのは辛いかもしれないけど、何度も同じような問題を繰り返すより、自分の意思で変えた方がよっぽど楽だよ。
近道をすればするほど、遠回りになる。
逆に面倒なことをしたり、遠回りをすればするほど近道になる。
便利な時代になり、効率や近道を求めがちだけど、人生においては最初から近道せず、とことん自分のことを熟知して、その上で自分が掴みたい人生掴んでいこう!
それでは、今日はこの辺で!