こんにちは。

「現代版御師」まっつん

です。

 

前回、

山王日枝神社さまが

「皇城の鎮」

と呼ばれる所以をご紹介しました。

 

 

江戸城(現在の天皇のお城:皇居)の

南西=裏鬼門に配置されたとのことを

ご紹介しましたが、

裏鬼門以外にも東西南北の四方、

北東の(表)鬼門にも

それぞれの意味がある。

 

 

この考え方の根底には、

「四神相応」

という考え方があります。

 

京都でも

四神相応の考え方に基づき

東西南北の四方に加え、

表裏の鬼門に必要なものが配置されていたそうです。

 

 

江戸の町を考えた場合、

東方に配置すべき「川」は

治水工事を行って、

川の流れを変えたといいます。

 

 

目に見えないチカラの支援をいただくために

想像を絶するだけのお金と時間を投じる。

それだけの価値があると信じるからできること。

 

 

この歴史的事実とともに、

お金と時間を投じた結果、

江戸時代がどうなったかの事実に目を向けると、

おなじないの効果があったと認めざるを得ない感じです。

 

 

現代では、

科学で証明できないことは存在しない

と捉えがち。

 

その考え方で生きた方がしあわせなら

それを選択することはありでしょうが、

どうもしあわせに生きられていない人が多いのが

現在の実情のように感じます。

 

 

江戸時代の人が疑うことなく信じていた

目に見えないチカラを思い出し、

感じるには、

「皇城の鎮」「四神相応」

は、とっても有難い歴史と感じるのは私だけでしょうか?!

 

 

もし

あなたが

目に見えないチカラに関心があり、

目に見えないチカラの支援が欲しいなら

これまで以上に江戸時代のことに

意識を強めることをおススメします。

きっと

目に見えないチカラが何らかの反応をしてくれることでしょう♡

 

 

本日も最後まで読んでくださり

本当にありがとうございました。

 

これを読んでくださる

すべての方に

すべての良きことが

次から次へとやってきますように!