歴史上人物のお墓参り3部作・序章 | nao7248のブログ

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2年前(2013年)の1月に親友が亡くなった。全くの突然死で、原因は心筋梗塞による心肺停止だった。当然のことながら遺書や没後に希望すること、その他意思表示は何も無く、小学校2年生と幼稚園に通い始めたばかりの娘さん2人と奥さんを残して、逝ってしまった。

あまりにも突然すぎて、親族の方々を含む周囲の知り合い、友人みんなあっけにとられた状態でお通夜と葬儀を終えたという印象だった。私もそのうちの一人、むしろその最たる存在ではないだろうか。というのは2年前のその時悲しみはそれほど大きくなく、比較的冷静にしている自分を不思議に思うくらいであったが、2年経ち今彼のことを思い出すと大きな悲しみがこみあげてくる。

真面目に語り合ったことや、大笑いしたバカ話はもう2度と出来ない、と思うととても寂しい。

そんな出来事があって、生と死、彼と大学時代を過ごした奈良という土地について、これまでになかったのか気づかなかったのかわからないが、強烈な興味、思い、愛着が湧いていることを感じている。

前置きが長くなったが、生と死という大きなテーマを考える時に、私が最初に関心を持ったのがお墓参りであった。自分の先祖のお墓参りはもちろん大切でお盆には必ず行っているが、今自分のライフワークになっているのが歴史上の人物のお墓参りである。お墓には必ず墓標、墓石があり、何らかの文字が刻まれている。

3年前に厄年を迎えた私は、地元の神社に玉垣を奉納した。自分の名前を刻んだ玉垣を設置するだけでも、多くの人が関わり、そこにそれぞれの想いを込めて建造されることを改めて感じた。

お墓となればなおさら、そこに入った者は何を想い生きたのか、お墓を建造した人は故人に何を想い弔うのか。いろんな想いがなければ一つの墓石も出来ていないことを思い、その場所に行き、墓石に刻まれた故人の事績、建造者の故人への思いを読み解きながらその場所の空気を吸い込み両者に思いを馳せると何とも言えない豊かな気持ちになる。

懸命に生きた人のことを思うと、自然に自分もがんばろうという勇気が湧き、新たな決意が背筋を貫く感じがする。そして故人を思い、冥福を祈り自分の人生を生きる残された人の温かさを感じることが出来る。

そんな想いから、ずっと興味を持ち続けていた3か所のお墓参りを最近実行することが出来たので自分の気持ちを整理しながら書き進めていきたいと考えている。