ここ数日、日中は夏?と思わせる程
10月下旬にしては暖かい、いや暑い日が続いた。
気温差は特に堪える…
今朝はまた、いつもの肌寒さ…
勘弁してほしいものだ。
10月に入り、やたらめったら中途覚醒で目が覚める。
そこで起きても、再び2度寝する。
起きなくても布団の暖かさに潜り込むと寝てしまう…。
身体が朝から怠重い…
正常?!に起動するまで時間が掛かる。
なるべく日中は1人ふらり出掛けてわざと身体を疲れさせる様にしている。
ただ、出掛けるまでの間の何とも言えぬ
葛藤…
葛藤無しで出掛けられる日が果たしてこの先来るのだろうか?
頓服を飲むのではなく、口中内で噛み砕きながら外出しなくてはならない状態…
これもいつまで続く習慣なのだろうか…
まあ、最善の策として自らやっている事だから致し方ない。

こんな思いせずして、自分の思う様に行動出来る人たちが羨ましくも感じるが、
病気になって最初は何度となく焦燥感、不安感にかられ「何故、自分が?」と思った時も数えきれない程あったが、今は病気になって良かったのかも知れないと思っている。
病気になって物事の捉え方がガラリと変わったからだ。

病気になる以前は「普通」「常識的」と言う2つの言葉をよく使っていた。
けど病気になってすぐの頃…
夫の友人から言われたのが、

「普通って何?常識的って何?俺から言わせてもらうと、どちらの言葉も、地球の、世界の、日本という国の、1つの県の、市町村のとある少人数内で決めた小さなルールに過ぎない。じゃあ、その普通や常識ってのが隣町じゃ通用するかって言ったら、おそらく全然通用しない。それが世界となれば通用する以前の話。」

「凡人には通用するかって?凡人にもよりけり。それより、○○ちゃん(私)非凡な人間を目指せ。視野がまず狭いからそういう負のスパイラルに嵌まるんだ。とにかく何でもいいから、やってみろ。」と。

要は周りを気にし過ぎるなって事だったと思う。
彼は今まで会った人の中で飛び抜けた感覚を持っていた。

この彼から言われた言葉をきっかけに、私自身、「普通」「常識」「忙しい」と言う言葉を使うのを止めた。
「忙しい」って言葉も頻繁に聞くが本当に忙しい人程、「忙しい」なんて言わないから。言う人間に限って、よーく観察すると無駄が多く2度手間、3度手間な事をやってる場合が多い。

明らかに自分の状態が芳しくない時は
彼の言葉を思い出す様にしている。

今、ちょうど季節の変わり目。
これを自分にとって都合の良い様に心身共に取り入れねば…

結果が出ない様な事を考えている時間があるなら、とにかく行動に移してみる。

「考えるより行動」