こんばんは
今日は、近所の友達が誘ってくれ
BTSのオンラインライブを観に伺った🏠
私は猛烈なファンって訳ではないけど
元々ライブが好き💓♥️❤️
オンラインと言えど、久々ワクワクした
友よありがとう
このワクワクの気持ちで思いだしたことがある
話がガラッと変わるようだが
私は小さい頃
母から、厳しくそして実は甘やかされて育った
っと、今は思う🤔
直接褒めてくれない母に認められたくて
習い事もかなり頑張った
本当は認めてくれてたのに当時は気づかず
何かで評価を受ければ、私にではなく
周りの人へ母は自慢気に話していた
それを見て、本当に嫌だった
なぜ、私に言わないのだろうか🤔
母自身の心が癒されずに育ったからだろう
褒め方が分からなかったのだな
今では解るようになった
お母さんも苦労したね
そこへ持ってきて
小学・中学と何度か友達に無視されることがあり
その理由を私は勝手に
自分のことは決して自慢してはダメ
と捉えて
それは次第に自分を褒めたらダメ
へと妙な変換になっていった(  ̄- ̄)
どんな回路でそうなったのか
今ではイミフ🤷
どんどん自分の心は不満が溜まってたのに
それに気づかないふりして
評価されることにばかり力を入れた
そうすると
いつも心と体に力が入り
誰かや何かと比べて張り合う負のループ
これを、実に長いことやってきた┐(-。-;)┌
お疲れさんでした
今朝、体質改善をサポートしてくれる
ゆかぷー先生と連絡を取り合ってると
私が『褒め褒めノート♥️』を書くようになり
自分を褒めれるようになってることを
一緒に喜んでくれた
私が自分のことを褒めることを
誰かが喜んでくれる
自慢とは取らずによ
そんな人がいてくれるんだ~💛
っと、心の奥深くが満たされた
ゆかぷー先生だけではなく
そもそも褒めることを勧めてくれた師匠🤓や
今、周りには私を寛容に受け止めてくれる人たちの
繋がりで一杯である
ありがたいことだ
これこそ、心から感謝している
そこでふと、私は気づいた
心を縛っていたのは私自身だったということに
どんな出来事も、人からの影響も
その時々でいろんな事情が渦巻いてる
母も、私を縛るつもりでいたわけではない
人には、色々な想いが含まれてて
それをいちいち気にしてたのは
誰でもないこの私だ
でも、当時はそう思えなかった
それで良いんだよ
そんな私はよく頑張ってきたんだよ
今、私は日々の自分を褒める
私の心は、心だけはいつも自由でありたいから
誰のこともコントロールしない
自分が満たされてたら
それで充分なのだ
人はある意味関係ないのだ(っと、今は思えるのよ)
人のせいにしない
自分の心は自分で満たす
きっと私は、この自由が欲しかったんだな🌈
もし、あなたが誰かを責めたりしたくなったら
それは、もしかして、もしかしてよ
あなたがあなたを許せてない
あなたがあなたを信じてない
あなたがあなたを縛っている
のかもしれない
みんな、心は自由
自分の心は自由にしてあげよっ
そしたら、誰かのことも自由に出来る
そうできないときもある
その時はせめて
私はよくやってると
あなたがあなたを褒めて欲しい
そこからきっと、何かが変わる
その効果を日々実感している
今夜もご覧いただきありがとうございました