兼房達は 「なんとも情けない振る舞いを…たとひ千金を費やした弓であろうと、お命には代えられますまい」と涙を流し申し上げると義経は「いや!!弓を惜しんだ訳ではない」 と

クセ

我はこの合戦に於いて自分を顧みた事はない。しかし武名は志の半ばにも達していない。なのに この弓を敵に取られ 義経は力の弱い 射手と言われたならば、それこそ無念である。
これなる心持ちにて、弓を取り返したという 武名こそ 末代まで語り草になるであろう

これを聞いた兼房や他の物達も感じ入って涙を流した
知者は惑わず 勇者は恐れない この理通り 勇猛心にて弓を敵に取られまいと 命を惜しんだのではなく、武名を惜しんだのだ…

すると 鬨の声が上がった修羅道の苦患の時がやってくる

カケリ

修羅道に堕ちた物は繰り返し敵との合戦を余儀なくさせられるという…

今日の修羅道の敵は誰ぞ
何!能登守 教経か!?
なれば手並みの程は知っている!思い出す…壇之浦の闘いを!!

この壇之浦は平家滅亡の場ではなく、屋島にある壇之浦という場所だと後輩に教えてもらった。崇徳院が怨念にて操作したとも云われている源平合戦!!!壇之浦という地名の繋がりが平家の行末を暗示していたようで背筋が寒くなる気がします(x_x)

恐ろしい修羅の苦患 血みどろの戦劇が繰り返され

すると東の空がしらしらと明けてくると 敵と見えていたのは群れる鴎であり、鬨の声に聞こえていたのは浦風だった。義経の姿も夢のであったかの様に消えていった

終幕

弓流の小書により、橋掛りを使った型にて、カケリもキリの仕舞部分も替の型があり謡いの緩急があり、修羅の苦患を更に表現していて、夜が明けて屋島の浦の元の風景に戻る所なども表現されているのではないかと思います。

申し合わせ終わり、謡に対しての厳しいご注意を受け、更に精進(兎に角稽古稽古という事ですね…)しなければと 崖に叩き落とされております!

明日はよろしくお願いいたします。厳しいご注意をいただければ幸いでございます(^∇^)