その翌年、
入学するのが松坂らで、
今度は先輩になった上地と
バッテリーを組むのだが、
上地は右ひじを故障、、
松坂の女房役として小山良男が
台頭する。
結局、
2年生になってからの
約10ヶ月は
リハビリとの戦いばかり。
選手としては
"鳴かず飛ばず"で卒業。
夢だった野球選手への道を
閉ざされた。
若かった監督がそうだったように、
ケガで断念せざるを得なかった。
結果として、
監督も横浜高校野球部も
彼に対して
何もしてやれなかったことになる。
ところが、だ。
"あの上地"は躍り出てきた。
芸能界デビューは本人の意志だが
インタビューなどで
『横浜高校野球部時代に
監督、部長ほか
皆さんの厳しい指導と仲間の支えに感謝』
と答えている。
だからこそ、今の自分がある、と。
野球を続けてよかった。
我が校に限らず、
野球部員のほとんどが卒業後、
そうした気持ちでいてくれると信じたい。
選手として成功するのは、
ごくわずか。
高校や野球部で学んだことを
人生にどう生かすか、が大事だ。
彼は見事に、挫折し、
悔しい思いが多かったはずの
野球を人生のプラスにし、
自信を持って生きている。