先日、

息子の
私立高校の受験が終わりました。

受験といっても

私立の通信制いっぽんですし

作文書いてポストに投函するのみ。


不合格になる事もないので


やらなきゃいけないことを
とりあえず終えた〜♡


ってことで


息子も気持ちが晴れ晴れしてるようです。



しかしながら


次にやってくるのは


卒業式です。


もう少ししたら


たぶん


息子の憂鬱がやってきます…




卒業式に出たくないそうです。



大勢の前で
人目に晒されるようなこと
したくないんですよね。


卒業証書授与も

大勢の生徒の中に身を置くことも

苦痛しかないらしい。



普通級に通って
友達がいるならまだしも

中学生になってから

普通級の自分のクラスには
全然行ってなく

全く馴染めてもいないし

見た目コンプレックスもあり

早く誰も自分を知らない世界
(息子にとっては高校)に行って

人生を再スタートさせたいのです。


ただ、

その想いがあるだけなんです。

もちろん


病弱学級に通級するようになってからの
この約2年


関わってくださった

先生方には

もちろん感謝の気持ちでいっぱいです。


先生には感謝してる、

とよく言います。


でも

他の生徒とは

それほど交流もなく
3年間を共に過ごしたわけでもないので


自分もみんなと一緒に卒業だぁガーベラ

なんて気持ちには

正直なれないんでしょうね。


数年前の私なら

なんとかみんなと卒業式には
出させてやりたい!

と思ってたと思います。


実際、

小学校の卒業式は

移植後で

めちゃくちゃ体調的にも
精神的にも

辛い状況だったけど


それでも、

小学校は


まだ今よりは


学校の友達と過ごしたかけがえのない時間が
存在していたりもして、

息子自身も

最悪な体調の中

卒業式にみんなと出ることを

自分で決めたりもしました。


実際、


感動感動の卒業式となり


「本当に行って良かった…」

との息子の一言で


私の

卒業式はみんなで…という
強い希望と想いは
報われました。

母親として

”なんとかみんなと一緒に’’
という思いが

強制になって
息子を苦めているのではないか

っていう葛藤が常にあって

私自身も苦しかったのを

こうして書いていると

あの時の想いがなんだか蘇ってきますね。

あの時の葛藤の記事↓↓


しかし、


息子にとっての中学時代というのは


あまりいい思い出はなさそうで


だからか

私もあまり


卒業式が前向きではない笑い泣き


周りの成長して大人っぽくなった友達を見て


また苦しくなるのだろうし


感じたくない感情を
感じるのもしんどいし。


未来に希望を持って

そこを楽しみにしてる息子が

元気にいてくれるだけでいいもんなぁ。




そして、


息子の中でもう一つ


苦しい現実の渦中にいる事もあって、


それは何かっていうと


治療の影響、

晩期合併症によって


”もうこれ以上身長の伸びは
期待できないだろう”


と医師から告げられたんですよね。


153センチです。


まだ伸びる余地があるとしても、
数センチいくかいかないか…
いや、数ミリ程度くらいだと思う

と言われました。



去年の9月くらいから


内分泌外来にもかかっていて


成長に障害が出ていることや

これから甲状腺機能にも影響が出てくる可能性が高いこと

血糖値も高めで推移していて

糖尿病と正常のグレーゾーンであること

告げられました。



息子的に1番気にしていて
重要なことといえば


成長=身長 のことでしたから


本人のショックは
計り知れません。


僅かな可能性にかけて

身長を伸ばすために

成長ホルモン注射できないの?


そう息子に言われたこともあります。


こんな小さいまま生きるなら
治療なんてしなければ良かった

死にたくなる


と言われたこともあります。




背が低くたって

素敵な男性が
この世に沢山いることは

大人の私ならわかります。



でも、

思春期の

お年頃の男子ですから。


身長の話や

周りの友達に彼女ができた、とか
耳にすれば


自分は小さい
しかももう背が伸びない

という事実によって


自分の見た目コンプレックスが
大きくなるのは当然で

死にたくなるのも
わかる気がします。



沢山の経験値を踏みながら


自分自身で

自分の気持ちに折り合いをつけて

自分を好きになっていかなければ


一生苦しいだろうなぁと思いますけど


私にできることは

まだある可能性にかけて
サポートすることくらいで

変わってやることはできないので


息子自身が自分の力で


低身長でも楽しく生きれる


ことの選択を
見つけていくしかないんですよね。



治療によって助かった命だけど


後から後から


いくつも苦しい瞬間は
やってきますね。



親の私は本当に無力だし



でも


みんな


他人(相手)にとっての自分なんて
本来、無力で当然なのかなぁって思う自分もいます。


結局、


目の前に起きる事実を

どう捉えて

どう生きるかは


他人が決めることじゃなくて

本人しか決められないから。



そして


それは


子どもが大きくなって
大人になればなるほど。


大人の階段を登り始めた子どもは


もう小さな子どもではないですから。




そう思う自分を感じるとき、



私自身も


だいぶ心の成長しているなぁと
思う。


少し前の私は


息子の苦しみは

自分のものでもある、と
無意識に思い込みすぎていて


苦しみにがんじがらめになってました。


薄情というのではなくて


我が子であっても

別々の人間なんだ、って事です。



息子にどんな苦しみがあっても

自分の力で
自分の生き方を選択してほしい。

できれば楽しいほうの人生を。


それを信じて、

サポートしていくだけです。



卒業式の話から
だいぶそれちゃいましたけど


そんなこんなで


卒業式に出たくない息子と


ちょっぴり私も

卒業式が憂鬱〜〜〜、

に、感じてる話しでしたニヤリ



毎度毎度、読みにくいブログ
お読みいただきありがとうございます。