たしかに

命に関わるような病気になってしまったら


生きる、そのために
できる限りの治療をやって


その治療で
肉体的にも苦痛を強いられたり
精神的にもしんどい思いしたり、

とにかく必死で

これって、はっきり言って
ある意味
闘いだと思うんです。


闘病なんて言葉は使いたくないけれど

闘いなんだと思います。

何と闘うのかはわかりません。



相手がいない、

でも、闘いなのだと感じます。


見えないもの相手の
ある意味、闘い。


本人だけじゃなく、

患者家族も
見えないものとの闘いなのかな…と

私個人は感じます。




だけど、


負けも勝ちもない、闘いです。


勝ち負けなんか、
どこにも存在しないものだと
思います。







病気に負けないでね

病気に打ち勝ってね


と、よく言われてきたけど


病気に勝つって何?
負けないでって何?




私も


負けたくはない!

とか
言葉として使うことあったかもしれない。


だけど、


どんな状況になろうと


負け、も、勝ち、も

存在しない。




「病気に負けないで、
頑張って良くなってね」


違和感たっぷり。



病気が治らなかったら
病気に負けたことになるのか


病気で命を亡くした子や親は
病気に負けた人達?

病気に勝てなかったからなの?



命にかかわる病気と診断されても
辛い治療乗り越えて
今も元気に過ごせている人が
病気に勝った人達なの?



違う


全然違う

そうじゃない

勝った
とか
負けた
とか

そんなんじゃない




みんなみんな
最後の最後まで
生きることを諦めなかった


どうにもならなかった


負けたのでもなく
勝てなかったのでもなく


どうしようもなかったの


最後の最後まで
生きようしていた


その事実があるだけ



息子も
病室を共にして
弟のように可愛がって
大好きで大好きで仕方なかった
小さな大切な仲間を失いました。

この数年の間に
4人も、死というお別れをしてきました。

小さな子供なのに
生きる事が叶わないこともある
という現実を見てきました。


だけど
仲間の勇姿を見て知っている息子は


一度たりとも

亡くなった仲間のことを
”病気に勝てなかった”なんて
言ったことはないし
思ったこともないだろう
と思います。

むしろ

今もそんな仲間のことを想い
どうにもならなかったことは悔やみ

でも、

病院という場での出会いではあったけど

一番辛く大変だった時を共にした
大切な大切な仲間達には

ありがとう
の気持ちしかないんです。


生きていて欲しかった…
と思うことはあっても

負けて欲しくなかった
勝って欲しかった

なんて気持ちは1ミリもないし
そんな思いが浮かぶことも
ないんです。




うちは今
息子を
ここに生かしてもらっています。




ただ、

病気に勝って今もここにいる
という感覚ではないです。
そんな気持ちじゃないです。


勝ち負けじゃない。


どんなに辛くても
治療を諦めようとした事はないし
それはたしかに本人の力でもあるけど

勝ったから、ではない。



そして今

大変な時は過ぎて

ここにいてくれる。


完全に治ったか…と言われれば
それはわかりません。

再発なく生きていける可能性は
ゼロではないんで



病気がない今の状態が
もし

病気に勝った、ということなのだとしたら

じゃあもし再発したら
負けですか?


再発の不安は
いつまで経ったって
消えることはありません。








子供の病気のように

原因がわからないまま
病気を発症した人に


病気に勝ってだの
負けるな、だの

そうゆう励まししてくる人

いらない。


励ます、とか
こっちが求めてないのに

色々言ってくるの
ただのお節介なので、いりません。



少なくとも、
まだ
不安を抱えて日々を過ごしている私にとっては

いらない言葉
キツイ言葉でしかないです。




病気に勝つ!

みたいなフレーズが
目に入った瞬間に


物凄い違和感と
怒りにも似た感情が出てきてしまい


過剰に

勝つ 負ける


に反応してしまいました。


あくまで私個人の感じ方です。


そんなに
こだわることじゃないのも
冷静になればわかります。


だけど


何かわからないけど

病気に
 
勝つとか負けるとか

そういう表現をくっつけるものを
見たり聞いたりした時


なんだかものすごく
大切なものを否定されたような気持ちがして


大人げないけど
ちょっと感情のままに
書いてしまいました。


読んで反論したい気持ちになる方も
もしかしたらいるかもしれないけれど
ごめんなさい。
そういうのはコメントしないで頂けると
助かります。

モヤっとしても
べつの場所で愚痴ってくださると
幸いです。