*前記事の続きです


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そして
そんな私が子供を授かった。

息子は
私にはないものを
沢山もっている。
本当に小さな頃から。

2歳で幼稚園の未就園児クラスに
通った時も
物怖じする事もほとんどなく
幼稚園内を自由に走りまわり
とにかく自由を楽しむ子で
何をしでかすかわからないくらいで
親の私はいつもヒヤヒヤしてたけど
「おうちゃん凄いね」
「おうちゃん、可愛い」
って人気者で。

自由に思いっきり遊ぶ事が大好きな息子は、
ちょうど妹が生まれた頃でもあり
やんちゃで元気いっぱいすぎて
ありえないくらい手がかかる子だと思ってたから
満3歳の年々小で幼稚園に入園させた。
初日から、園バスで泣きもせずに登園して
笑顔で帰ってきた。

幼稚園時代の息子は
常に自分の興味のあることやりたいことを通し
試したい事があり自分を貫き通した。
私みたいに、大人の目を気にすることなく
子供らしく、ただただ毎日を楽しんでて。
そのおかげで沢山の人に迷惑もかけたし
友達とも沢山喧嘩してた。
私はいつも息子を叱りつけ
いつも、色んな人に謝ってた気がする。
そんな、やんちゃで手に追えないって思ってた息子は
幼くても正義感があり優しくて、
周りに沢山の友達がいて
先生はいつも褒めてくれた。

運動神経も良くて
できない事がなかった。
何をやらせても、卒なくこなすし
わりかし目立ってた息子の事を
"私にはないものを息子は沢山持っていていつもキラキラしてる
私が経験してこなかった世界を息子が見せてくれる"
そんな風に
私が味わったことのない
でもどこかいつも憧れていたような世界を息子が生きてることは
私に満足感をくれてた気がする。

私の私としての人生ではなく
息子のキラキラの生き方を私の叶えたかった願望に無意識に重ね合わせてた。

小学校に入ってからも
色んなキラキラをいつも見せてくれた

親バカだね、で終わる話しだと思うけど

毎年、運動会でリレー選手になってくれたことも(元気だったとしても高学年ではもう勝ち取れなかったとは思うけど)
体操でバク転やバク宙する姿や
学校の行事で習ってもいないピアノの伴奏に選ばれたことも
劇で主役になれたことも
お祭りで誰よりも張り切って楽しんでお金使いまくっちゃうとこも
自分より先輩相手にケンカしちゃうとこも
授業中でっかい声で発言することも
4年生の時子供だけでイオンのゲームコーナーで先輩とたむろしたことも
4年生のくせに恋愛もして両想いだとか
スニーカーのまま泥水に入って遊ぶとか

私にはないことを
いい意味でも悪い意味でもやってしまう息子

こいつ、なんて手がかかるんだ!
と思っても
そんな息子にどこか憧れて
可愛くて
期待してしまうことばかり。

元気いっぱいの
何でもやれてしまう
この子が
病気になるなんて
想像した事もなかった

病院に行く2日前
アザだらけの体だったのに
まさか病気だなんて疑いもせず
バスケの体験まで行っちゃって…

初めて病院行ったとき
まだマルクもしてない状態で断定はできなかったと思うけど
そこの担当の先生は、
きっとなんとなく白血病だと気づいていて
初めて会ったのにこんな話をして下さった。

「血小板1.3で絶対安静が必要な状態でよく学校行ってたね〜、
しんどくなかったの?
バスケの体験まで?笑。
キミ、タフだよなー
ガキ大将って感じするよなー
君をみればわかるよ。きっとみんなの人気者なんじゃないかな。
どんな事があっても、
君なら乗り越えれるよ」
って。

そう、タフなんです。
病気なんか無縁です。
病気になんかなるはずないよ。

これから襲いかかる現実に
気付き始めたけど受け入れたくなかったあの日。

本当に全て、変わった。

ある日突然、闘病生活が始まり
息子はみるみるうちに
体力も落ちて
髪もなくなり
何かしたいという気力も失った。
今だからわかる。
何かをしたいという気持ちがなくなったんじゃなくて
辛い治療で気力を奪われた。
そして、息子が本来持ってた
自信も奪われた。
ピアノもしなくなったし
それまで習っていた体操に戻りたいって気持ちもなくなった。
友達に会いたいって気持ちもどんどん薄れた。
むしろ変わってく自分を誰にも見られたくない
誰にも会いたくない
そうゆう方向に気持ちが向き始めていて
私から見える息子はもう
それまでの息子とは全然違ってた。

活力やパワーで満ち溢れてた息子とは違う。


息子の全てが病気によって奪われた気がして
本当に辛かった。

だから余計に
よその子の元気な姿や
活躍は辛かった。

元気なら息子だって…
病気にならなかったら、
うちの息子だって…!
いつもいつもその想いがよぎってしまう。

元気だった頃のうちの息子の事なんか
他人にしてみたらどうってことない。
みんなが
とにかく
「待ってるから」と言ってくれる言葉には
色々な願いが込められてることは
わかっているし
感謝もしている。


そして私は、
去年の退院していた間に

この自分を苦しめる感情をどうにかしたくて
自分らしさを見つけるために
自分とは何かを見つけるために
他人の目で生きないために
息子の人生に自分を乗っけないで
ありのままの息子を受け入れたくて
何もできなくてもいい
息子がここにいてくれたらそれだけでいいって思えるために
息子には息子の人生
私には私の人生をと
私にも息子にも
生き辛さがなくなるように、と
自分を見つめなおす努力をし始めていた

そんな矢先の今回の息子の再発
再入院で…

今度こそ、
生きていてくれたらいい
という気持ちで挑まなくてはいけないのに

退院してた間にまた
少しずつ少しずつ
息子らしさを取り戻していたのに
また振り出しに戻された気がして
また奪われた気がして

どうしても、
そのモヤモヤしたものを
パッと切り捨てられないでいる。


私が今、
自分から捨て去りたいものは
欲、期待、見栄  です。

ただただ、
ここに息子がいてくれたらいい。
ここに息子がいてくれて
目を合わせて話ができる。
笑い声が聞こえる。
温もりを感じられる。

それだけでいい。

他人からの目、評価なんか
どうでもいい。

息子が目立って活躍なんかしなくても
そんなことはどうでもいい。
ここにいて
笑っていてくれたらいいよね。

私が私の全てで
そう思えたら
息子はまた
自分の足で自分の力で自分を見つけていくんだろう。