神峰神社&日立市郷土博物館へ | 古橋 直子のうれしたのしブログ

古橋 直子のうれしたのしブログ

音楽、旅、趣味、日々の生活の中で感じたことを、素直に表現し伝えていく
Naoちゃんのうれしたのしブログ。

昨日は 主人と神峰神社へ。

 

のぶちも合流し 一緒に参拝致しました。キラキラ

キラキラ

皆が

心豊かに

健やかに

安心して過ごせる

良き世の中でありますように。クローバー

 

 

 

 

 

そして 参拝後は 主人とは別行動で

 

 

のぶち と すぐ下にある『日立市郷土博物館』へ行ってきました。

 

こちらの『日立市内 遺跡調査成果展

この日が最終日でした。↓

 

常設展 の写真は 掲載できないようなので

2階の『日立市内 遺跡調査成果展』の写真を

一部、ご紹介いたします。

 

日立市内には 約350ヵ所の遺跡 がありますが

今回は その中の8ヵ所を紹介。

 

 

 

 

 

ちなみにこちらは 

2013年に 高鈴台団地 内にある『鹿野場遺跡(かのばいせき)

を訪れた際の写真です↓

 

多賀山地にある『鹿野場遺跡』

1978年(昭和53年)に発掘調査が行われ

何と驚くことに 縄文時代よりも前の

旧石器時代の石器が発見されました。

 

旧石器時代の石器製作跡9ヵ所。

縄文時代の竪穴住居跡27軒。

奈良・平安時代の竪穴住居跡4軒。

 

このうち 旧石器時代の石器は、およそ3万年前の地層から出土しており

今のところ、市内で最も古いと考えられています。

 

 

縄文時代の住居跡は およそ7,000年前の早期後半のもので

火をたく施設(炉穴)は屋外にあり、66ヵ所も見つかっています。

 

なお 『鹿野場(かのば)』という地名は 

焼畑を意味する『火(か)の畑』に由来するという説が有力です。 とあります。

 

 

って

あらためて 凄いです。。

旧石器時代の石器 って。。

 

カンブリア紀の地層がある多賀山地ですから

遺跡調査をすれば あちこちから凄いのが出てきそうです。

 

 

逸れましたが では次は 

 

縄文時代の遺跡 

縄文時代の遺跡 も日立市内に こんなにたくさんあります

 

 

そして 古墳時代の遺跡 ↓

 

弥生時代の遺跡

 

奈良・平安時代の遺跡 

 

 

 

そして

 

色々な石が展示されていました。

 

 

 

 

では 日立市内の8ヵ所の遺跡です。↓ 

 

 

 

◎ 山の上 にも遺跡!

<御岩山頂祭祀 遺跡>

1917年の東京帝国大学 鳥居龍蔵 氏の調査をはじめとして 

中里高等小学校 校長 福地 正成 氏 や 地元 入四間町の 関家 が御岩山一帯で

岩板(がんばん)や石斧(せきふ)などの石器や土器を採集。

1953年、1954年には 佐藤 次男 氏を中心とした考古学会が調査を行い

山頂一帯から 奈良時代から平安時代初期頃の須恵器(すえき)と土師器(はじき)を

採集しました。

 

 

山の頂に 河原石か!

なぜあるのかな???

 

と書かれています。 

陸地ではなく 海だった???

 

 

 

 

◎ 道路予定地 にも遺跡!

<大近平(おおちかだいら)遺跡>

八幡神社があったことから『八幡平(はちまんだいら) 遺跡』として知られていました。

後に 台地東側が『八幡平 遺跡』、西側が『大近平 遺跡』と名付けられました。

大近平遺跡の縄文土器。

 

 

 

 

 

◎ 学校 にも遺跡!

<諏訪 遺跡>

1964年 諏訪小学校の建設時に造成工事を担当した自衛隊により

多くの縄文土器が発見され、その後の1975年の校庭を広げる工事をきっかけに

約4,500㎡が発掘されました。

縄文時代中期の中頃を主とするフラスコ状土坑(どこう)30基。

埋甕(うめがめ)7基。竪穴住居跡2軒 が見つかりました。

 

 

 

 

 

◎ 田んぼ にも遺跡!

<森の前 遺跡>

昭和60年代、国道から県道山方線への取り付け道路が計画され、土地所有者は

道路で削られる水田の土を他の水田に移す作業を行いました。

その時に、水田の土の下から 土器片を発見し、博物館に寄贈しました。

水田の下にも まだ知られていない遺跡が眠っていることがわかり 『森の前 遺跡』と命名。

『森の前 遺跡』の縄文土器。

 

 

 

 

◎ 電柱を建てる穴 にも遺跡!

<水木古墳群(みずきこふんぐん)

 

1996年に 海に近い5号と7号墳で、道路の拡張工事をきっかけに

発掘が行われました。

その後、2021年の電柱工事で、約50㎝四方の穴の中から、人物埴輪の頭部が

発見されました。

発見場所と周囲の古墳との位置関係から 6号墳 か 10号墳の周溝(しゅうこう)に

埋まったものであると推定されます。

なお、展示した家形埴輪は、5号墳からの出土と言われています。

わあ~ なんだかムーミンの家 みたいで可愛い。。

しかも、大きい~。

埴輪さん。発見されてよかったですね。

 

 

 

 

◎ 崖 にも遺跡!

<かんぶり穴横穴墓群>

1971年に 大正大学教授 斎藤 忠 氏 の調査があり、その依頼により日立第一高校史学部が

装飾の実測や総数調査を行いました。

その後、考古学研究者による数度の調査を経て、2020年には東京藝術大学の

山崎 頌平 氏によるデジタル機器を使った調査では、11号墓奥壁の『靫(ゆぎ)』と

考えられていた壁画が『胡籙(ころく)』であることがわかりました。

近年は『かんぶり穴を守る会』による整備が行われています。

『かんぶり穴横穴墓群』が初めて紹介された本。

「日本装飾古墳の研究」斎藤 忠  著

 

 

◎ 泉の近くにも遺跡!

<泉前 遺跡>

1980年、1981年に 常磐線とBRT路線に挟まれた現在の森山町1丁目の住宅地の造成工事

をきっかけに、2回に分けて、合計10,000㎡以上が発掘されました。

この発掘は、泉前遺跡西側の半分以上を対象にしたもので、調査の結果、古墳時代から

平安時代の約40棟分の竪穴住居跡を中心に 旧石器時代の石器や縄文時代の土器・石器が

発見されました。

 

 

 

 

◎ お店 にも遺跡!

<上の内 遺跡>

日立製作所の社宅地として使われてきましたが、再開発に伴い発掘が行われました。

その結果、縄文時代の住居跡129棟、土坑1496基などが発見され

この地方の中心となる大きな集落跡であることがわかりました。

また、昭和期の防空壕跡も確認されました。

こちらの縄文の大珠、新潟県糸魚川市の方から運ばれてきたヒスイ(緑色の石)。

どのようにして運ばれてきたのでしょうね。と。

↑推し9は デザインが凝っていますね。

 

上の内遺跡で発見された竪穴住居の写真↑(第34号竪穴住居跡)

 

 

 

ということで

 

日立市内の 約350ヵ所の遺跡中

今回は その中の8ヵ所を紹介いたしました。

 

 

カンブリア紀の日本最古の地層がある日立市ならではの

素晴らしい展示でしたキラキラ

 

古代のロマンを感じます。

 

 

 

 

感謝。ピンク薔薇