李那(リ・ナ)準優勝で思ったこと | テニスな仕事 - Tennis Around the World

李那(リ・ナ)準優勝で思ったこと

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李那が全豪オープンの決勝を戦っているのを見て、うれしくなることと、
北京五輪で鍛えられたメンバーの実力は、結果的に今も持続され、さらに
向上していることに、すごいものだと感心するばかりです。

李那を初めて見たのが1998年ぐらいのFED CUPのタイのチェンマイでのアジア予選でした。
当時16歳でナショナルチームに大抜擢され、リーグ戦でしたから、勝ったり負けたりでしたが
グラフを思い出すほどのフォアハンドを思う存分に振り抜いていました。

ジュニアの大会に出れば世界No1ジュニアになりそうなものの、当時の中国テニス協会の
強化プロジェクトが、かなり適当かつ曖昧な方針だったため、選手を管理と強化する協会が
ジュニア大会にエントリーせず、中国国内で開催される1万ドルか、2万5千ドル大会ばかりに
出場していました。結果的に、グランドスラムのジュニアに出ないので、誰も知らない世界で
李那は力を付ける地道な日々を過ごしていました。

2000年には18歳なって、1万ドルでは優勝するほどに成長していましたが、中国の状況は変わらず
引率する中国ナショナルチームの知恵不足と、他のナショナルチームの選手らや、当時ダブルスの
パートナーのLI,Tingの実力がつかないということで、李那も他の選手行動を共にする日々でした。

ポイント率の低い大会に強制的に出場させられるなど、実のない遠征を数年間も強いられる状況で
結果的に色々な事情も重なり、李那は2003年~2004年の約2年間は戦線離脱し、テニスコートから
姿を消していました。

2004年、私が中国の武漢省でセミナーをしていた時、公営コートで、フォアハンドをグラフのように
ブンブンと振り回して遊んでいる女性がいました。良く見ると、李那と当時の彼氏(今の旦那)が、
楽しくテニスしていたところに2年振りに遭遇しました。偶然であったことと、昔話も盛り上がり、
「復活するの?」と尋ねると、「もしかしたら出来るかも」なんて話しをしていたものです。

2004年後半に本当に復活し、驚異的な勝率で5万ドル大会で連勝、ツアーに参戦。前代未聞の最速で
100位に入ってきました。その当時、中国テニス協会が、北京五輪の強化対策の流れもあり、彼女が
苦しんだ2000年ぐらいの協会体制が明らかに異なっていたことも、良いタイミングでもありました。

2008年に北京五輪でベスト4、そして夢のトップ10に入り、ついにグランドスラムの決勝進出と
なった今、後輩のPENG Shuaiもベスト16に進出したこと、その前までは ZHENG Ziの活躍など、
今の中国テニスは、伊達公子を筆頭にグランドスラムに10人の本戦選手を抱えた1996年頃の日本と
とても似た流れで、同じようなことが、中国で起こっています。

これはタイミングの重なりもありますが、日本の女子への強化も、2016年のリオ五輪に向けて
「G-Project」を発表していますので、本気でこのタイミングで、1990年からの検証をしながら
日本の女子強化策に努めて欲しいと祈るばかりです。