「カタワ」を「障害者」に変え、次は「障がい者」に変え、更に米国では「(チャレンジド|神から挑戦という課題を与えられた人という意味だそうな)チャレンジド」と言うらしい。
↓このプロップ・ステーションなる偽善団体で知った・・
こんな風にやわらかい言葉にすり替えたり、健常者が、自分は差別者ではないと自己満足するための美化した言葉にすり替えることで、障害の本質を見て見ぬフリする・・。
LGBTQも同じ。性同一性障害と呼称する事に罪悪感を感じ性同一性「障害」という言葉つかいたくないとしか思えない。それで何か解決するのだろうか?
「差別言葉は良くない」と叫ぶ人ほど、「私は差別してないです」という周囲にアピールしたいだけのような気がするのは僕だけだろうか?
これって無意味じゃ?