今年の1月


はじめに我が家で感染したのは

誕生日を向かえる前日の自分でした。


当時、会社と現場、家、コンビニ、スーパーくらいしか行動してなかったのですが、感染経路は検討が付かず。。。


そのとき妻は第二子を妊娠しておりました。

そんな中、隔離生活が始まりました。

(30代最後の誕生日はひとり隔離生活してましたw)


家の2階で隔離されていた自分は、寝てテレビを見て、食事、トイレの繰り返しでした。

お風呂は二人が寝たあと最後に入る感じ。


食事は妻に作って運んでもらったり、たまに娘が運びたがって運んでもらっていたようです。


どうしても部屋の中に入ってきてしまうこともあり、娘に感染してしまうのではないかと怖い日々でした。



数日の隔離生活があり、熱は下がり待機しているような状態になったころ。


今度は妻が熱を出しました。


県の窓口に連絡して事情を説明し、今度は病院に確認をしました。


【我が家の状態】

パパ(感染後自宅待機中)

ママ(妊婦+感染の疑い)

(症状なし)


恐らく病院側も迷ったと思います。

「どうやって検査をしに病院へ向かうのか」と。


病院の判断は

「パパが運転し、ママと娘は検査を受ける。」でした。


その時の自分の気持ちは

「もうしょうがない。娘も感染してたら怖いから自分が運転していくしかない。」でした。


そして病院で検査を受け、次の日結果は。。。


娘→陰性


妻→陽性(わぉっ!)


さぁ、ここからさらに「どうする!?」となるわけです。


考えた結果、方向性として


ママ→2階で隔離生活にチェンジ!

パパ&娘→1階で感染症対策をして生活!


になりました。


それからワンオペ育児的な生活がはじまりましたw


朝起きてご飯作り娘に食べさせ。

同時に妻にご飯を持っていく。


マスクをしながら娘と遊び、おやつ。

あっという間にお昼の時間になるので二人に食事を作る。


娘と遊んだりしながら夕飯の事を考え、洗濯、掃除など家事をしている間に夕飯を作る時間。二人に食事を作る。


娘の歯磨き、お風呂、着換え、寝る準備、寝かせる。


ずっとワンオペ育児をされている方々。。。本当におつかれさまです。


そんな生活を数日過ごし、妻の待機も終わりました。


結局、娘には感染せずに乗り越える事ができたのが良かったです!


娘は1歳5ヶ月の頃、「川崎病」の診断を受け入院した事があったので、高熱になると不安になってしまうのです。

(川崎病の話はまたの機会に)


これが我が家のコロナ感染の記録です。


未だコロナウイルスは無くならないので、また感染する可能性もありますが、共存していくしかないですね。

隔離生活をしてるとき、妻も大変だったと思います。

感謝してます!


第一子の娘が産まれるときは立ち会えたのですが、感染症のせいで第二子の出産立会はできないと思っていました。


帝王切開なので、結局立会はできませんが。


まずは家族無事に乗り越えられたので、いい経験となりました!