自作小説の挿絵~狂気の親王 康仁帝
今回は私の小説の中で異色のキャラであり超わがまま、独占欲の強い親王です。
名前は雅和帝二の宮康仁親王。母は醍醐源氏出身の皇后源綾乃。雅和帝のご寵愛を一身に受けた皇后唯一の子供なのです。雅和帝の東宮時代、摂関家出身の女御との間に康仁親王の兄がいたのですが、産後まもなく母子ともどもこの世を去ったからか、雅和帝即位の際に東宮についた。もともと体は強くなかったので、養育先の村上源氏(母君の皇后は源氏長者の村上源氏の養女となり入内しました。)でたいそう過保護に育てられ、そのせいか、超わがままに育ちます。
一時帝の意向により、後宮内で養育され、母君と一緒に暮らし幸せに過ごすのですが、10歳のときに最愛の母君を病でなくし、それ以来東宮御所で寂しい東宮生活を過ごす。持病の喘息から様々な病気になり、寝込みがちになる。摂関家中宮腹の弟宮の四の宮が康仁に代わって東宮に立つという噂が絶えなかったが、帝の意向で大和からやってきた元大和国少目兼国医師見習いの和気泰明が東宮付医師となり、典薬寮のものが治せなかった康仁の病を癒す。もちろん持病も改善させるのである。このとき初めて父帝の側室大和女御源彩子に出会う。この大和女御は母君の生き写しで、姿形どころか、声までそっくりなのに驚き、恋心を抱く。康仁の初恋となる。
元服の際、康仁は父帝に「大和女御を譲っていただきたい。」と願うも、父帝のご寵愛を一身に受けている女御であるため、断られるも諦めが付かず、父帝から大和女御を奪う機会を狙っていた。
康仁18歳の時に摂関家の姫君と、父帝の異父妹、そして母君の異母妹、醍醐源氏である右大臣の姫君安子と結婚する。安子も母君とよく似た姫君であったので、寵愛したが、和気泰明の助言で血が濃すぎて子供には恵まれないと言われショックを受ける。だからといって好きではない摂関家の東宮女御とはその気にはなれず、ふといい事を思いつく。
ちょうど以前から慕っていた大和女御が、母君の代わりとして摂関家の東宮女御に通うように助言しに東宮御所に来たことをいい事に、大和女御に暴行をし、懐妊させてしまう。もちろん計画通りに事が運び、喜んだのは言うまでもないが、父帝に叱責されるも、自分のものにもならないことに苛立つ。大和女御は皇子を産んだが、その皇子は東宮のことして認められず、康仁の弟宮とされる。そして父帝が譲位の際にはこの宮を東宮にたてるように命令される。
父帝は譲位し、即位する。やっと大和女御を自分のものに出来ると思ったが、父院は大和女御彩子を臣下である、典薬寮侍医和気泰明に与えてしまう。そのことに苛立つ康仁帝は和気泰明に毎日のように嫌味を言う。和気泰明と彩子の婚儀の夜も最中に呼び出したりする。数ヵ月後、慕い続ける彩子が和気泰明の子を懐妊し、さらに苛立つが、父院に和気家のことで叱責を受け平静さを演じる。
和気泰明に嫡男が生まれ、和気泰明の伯父で典薬頭そして和気家当主が病で亡くなると、和気家の当主となった和気泰明に和気家一門、そして彩子の実家である大和守の繁栄を約束し、彩子を和気泰明から奪い、東宮生母として皇后入内をさせる。もちろん和気泰明が断れないことを知っての行動である。康仁帝は皇后を承香殿に閉じ込め父院や和気泰明に関する物をすべて捨てさせ、すべて自分が決めたもののみを皇后に与える。入内後すぐに懐妊しない皇后を責め、何とか皇后は数ヵ月後、懐妊し二の宮を生むが、姫宮が欲しかったと皇后を責める。
独占欲が強く、群臣に対しても自分の思い通りにならないとすまないこの康仁帝に父院をはじめ、すべての群臣が退位を迫り、父院の説得により康仁帝一の宮で東宮の良仁(ながひと)親王に譲位を決めた。もちろん皇后を手放すことも承知したのである。
(番外編での康仁親王)
番外編「縁」では八年後の康仁院(後宇治院)が書かれています。宇治に引きこもった康仁はふたりの妃をつれ、つつましく生活をしています。もちろん帝位についていた頃は若気の至りとして改心し、今はおとなしくなりました。偶然元皇后彩子の子、小夜姫と出会い、自分の子と知る。以前の康仁であれば、無理やり宇治に連れ帰るが、それはぜず、小夜の意向を大事にする。小夜は和気家も後宇治院も選ぶ事が出来ずに和気家のある下賀茂と宇治を交互に訪れると約束し、小夜の将来のため、小夜を内親王院旨する。小夜はそのおかげで、立派な宮家に嫁ぐ事が出来るのである。