第108章 お忍び~大和編 | 超自己満足的自己表現

第108章 お忍び~大和編

 次の日朝餉を食べると、早速帝は狩衣を着込んで、身軽な装束を着た彩子と共に行宮を抜け出す。右大将はやはり心配なのか、遠くから二人を警護することにした。
「さあ、彩子。まずどこに連れて行ってくれるの?」
「三笠山に行きましょう。そちらに登ればこの古都平城京を見通せます。東大寺からすぐですから・・・。」
彩子は帝の手を引き三笠山に登る。日ごろあまり運動できない帝は山頂に着くと息を切らして彩子が持ってきた水を飲み一服する。
「ほら、ここからの眺めが一番いいのですよ。」
帝は彩子が指をさす方向を見つめると確かに古都が一望できた。平安京さえこのような場所から見た事がなかった帝は驚いて山を登った疲れがいっぺんに吹っ飛んだ。
「都も寺が多いが、こちらもホントに多いね・・・。空気もいい。ここまで登ってきた甲斐があったよ。次はどこに行こうか・・・。」
「市のほうに行こうと思っているのですが・・・。結構距離がありますので・・・。」
すると帝は後からついて来ている右大将に気付いて言う。
「常隆、麓に降りたら馬を借りてきてくれないかな・・・。」
気付かれていたことに驚いた右大将は帝たちと共に山を降りると自分が都から乗ってきた馬を帝に渡した。
「ありがとう、常隆。ついて来たかったらついてきていいよ。ゆっくりいくつもりだから・・・。」
帝は彩子を馬に乗せると、自分も馬に乗る。右大将は部下から馬を借り後ろからついていくことにした。街中に入ると町人たちが彩子に声をかけてくる。ある親子の前で彩子は言う。
「宮様、止めて・・・。」
帝は馬を止めると、その親子は彩子に言う。
「彩子様、大和守様に伺いました。ご結婚されたそうで・・・おめでとうございます。もしかしてそちらが?」
「ええ、私の殿です。宮様、この親子は私の邸に出入りしている者たちなのです。昔から仲良くしているのです。」
帝はそのものたちに微笑んで言う。
「雅和と申します。よろしく・・・。」
帝は親子に一礼をすると、馬を歩かせる。町の者達は彩子が帝に入内したことを知らない。結婚して都にいることは知っていても、どこの誰と結婚したかまでは知らされていないのだ。人が集まるところに来るとさらに彩子を慕った町人たちが集まってきた。帝は町中の人たちに慕われている彩子を見て微笑んだ。
(このようにいろいろな人々から慕われている彩子って・・・。妃に迎えて本当に良かった・・・。)
と帝は思った。彩子は一通り挨拶を済ますと、大和守の邸に向かう。大和守の邸の周りは彩子の帰郷を聞きつけた町人でごった返していた。
「彩子様、お帰りなさいませ!」
「いつまで大和に滞在されるのですか?」
などと、町人たちは口々に彩子に声をかける。彩子も微笑んで馬を下りると、町人達の話をする。彩子は振り返って帝に言う。
「宮様、先に入っていてください。私は久しぶりにみんなと話がしたいので・・・。」
「うん、わかった。せっかくだからゆっくりしておいで。」
帝は大和守の随身に馬を引かれて右大将と共に邸の中に入る。右大将は彩子の人気ぶりに驚く。
「彩子様はなんとすごい数の町人に慕われているのでしょう・・・。驚きました。」
「そうだね・・・。私も見習わなければならないな・・・。国の頂点に立つものとして・・・。」
二人は苦笑しながらお互いを見る。寝殿の前で帝と右大将は馬を下りると、大和守の案内で上座に座る。
「よくおいでくださいました。このように殺風景な邸でございますが・・・。あれ、彩子は?」
「表にいるよ。町人たちと話をしている。本当にすばらしい姫だ。あのように町人たちに慕われるとは・・・。私も見習わなければ・・・。今日は本当にこちらにうかがってすまなかったね・・・。私はお忍びであるから、あまり気を遣わなくていい。」
「いえいえ・・・。このようなところに帝がお出ましになること自体一生ないこと・・・。当家の誇りに思います。今すぐ彩子を呼んでまいります。少々お待ちを・・・。」
大和守は従者に言って彩子を呼んでこさせる。彩子はとても嬉しそうな顔をして、戻ってくると、身なりを整えて下座に座る。
「彩子は私よりも位が高いのであるから、帝の横にお座りなさい。」
「お父様・・・私はここでいいのです。」
「大和守、彩子の好きにさせてあげなさい。せっかくの里帰りだから・・・。彩子、こちらではいつもの彩子らしくすればいいのですよ。明日からはまた堅苦しい生活が始まります。今日はゆっくりなさい。私は夕刻までに帰ればいいから・・・。」
帝は微笑んで、彩子に言った。大和守は帝に大和料理を振舞う。帝と右大将は歓談していると、少掾と彩子の姉君が入ってくる。
「帝、当家の婿少掾和気智明と娘の冴子でございます。」
二人は深々と頭を下げると、挨拶をする。
「お目にかかり、大変光栄にございます。私大和国少掾、和気智明と申します。」
「んん。顔を上げなさい。明日の三輪明神へ同行してくれるそうですね・・・。頼みましたよ。」
「御意にございます。」
「さあ、近くに・・・。一緒にいかがですか?義理の兄弟になるわけですから・・・。」
「いえいえ・・・とても恐れ多い・・・。帝のお側になど・・・。私はまだ仕事がございますので、これで失礼いたします。」
「気を遣わなくてもいい。私も非公式でこうして彩子の実家に遊びに来ているのですから。」
和気智明は恐縮してしまい、そのまま下がってしまった。
「申し訳ありません。根はまじめでいいものなのですが、少し恥ずかしがりなところがございまして・・・。」
「和気家といえば、丹波家と並ぶ医師の家柄では?」
「はい、あの者は大和国で少掾の傍ら、国医師もしております。町人も診るので、あの者は大変町人たちに慕われております。昨年の天災の際も、私と共に国中をまわってくれたのです。」
するとある男が走ってくる。
「彩子様!」
ある男は息を切らしながら、寝殿の表で息を整える。
「少目殿、客人が来ている。無礼ですよ!申し訳ありません、こちらは彩子の幼馴染で、先程の少掾の弟、和気泰明。少掾の下で医術の修行を・・・。」
「構いませんよ。私自身あまり堅苦しいことは好きではないので。」
大和守は帝にこっそり言う。
「この者に彩子の結婚話はしておりません。家族と和気智明以外は彩子が入内したことを知りません・・・。」
「そうみたいだね・・・。そのほうがいい。」
帝は微笑むと、その男を見つめる。するとその男は大和守に言う。
「大和守様、ちょっと彩子様をお借りしてよろしいでしょうか?」
「泰明、彩子は・・・。」
帝は大和守を止める。そして帝は彩子に言う。
「彩子、幼馴染であろう、行っておいで・・・次はいつ会えるかわからないからね・・・。」
彩子はうなずいて立ち上がると少目のもとに向かう。
「よろしいのですか?」
「いいのです。これからは堅苦しい後宮にすまないといけないのだから・・・。今日ぐらい今までどおりの生活をさせたらいい。」
大和守は溜め息をついて少目の後をついて行く彩子を見つめる。
 この和気兄弟は18年前、和気泰明が生まれてすぐに両親を病でなくした。もともと和気兄弟の父は医師として都に勤めていたが、大和守が大和に赴任した30年程前、大和守を慕って、大和守家の医師としてお仕えしていた。和気兄弟の両親が亡くなった後、大和守は兄弟を引き取り、自分の子供のように育てた。兄は元服すぐに見習い医師として都に上がり、きちんと医術を習得した上で、5年ほど前に戻ってきた。もちろん優秀な成績で、それなりの位を頂き内裏に勤める事が出来たのだが、断って大和に戻ってきたのであった。弟は三年前に元服し、兄の指導の下、修行をしている。彩子と同じ歳であった弟は彩子と共に育ち、そして弟、泰明は彩子に恋心を抱いた。もちろんこの気持ちは彩子にまだ伝えていない。
「泰明、何?」
和気泰明は彩子を邸の釣殿に連れて行くと話し出す。
「丁度今頃、彩子様は都に上られて高貴な家に養女になられ、この夏ご結婚されたと町のものに聞きました。なんて言ったらいいか・・・。僕は・・・。」
「うん、私この夏結婚したの。上座に同席されていたかたが私のご主人様よ。お父様よりもだいぶん高貴な方だけど、身分を鼻にかけたりなんかしないとても優しい方なの・・・。」
「そう・・・。正妻なの?それとも・・・。」
「もちろん側室。私は5番目なの・・・。でも心配しないで。とても大切にしていただけているから・・・。」
「そうか・・・。もし、彩子様が大和に帰りたいと思うことがあれば、この僕が、彩子様の面倒を見るよ。僕は一生懸命修行して兄上のような医師になる。去年、都を出る前に言えなかった・・・。それは・・・。」
「え?」
和気泰明は彩子の腕を引くと彩子を抱きしめた。
「彩子様の事が好きだった・・・。ちゃんと彩子様は兄上のことを慕っていたことも知っていた。もし、都で嫌な事があれば、帰ってきたらいいよ。そうしたらこの僕が彩子様の面倒を見る。彩子様のためなら、修行をがんばります。」
彩子は和気泰明を引き離す。
「私・・・。泰明・・・ごめんなさい・・・。」
そういうと、彩子は帝のいる寝殿に戻ってきた。彩子は帝の側に座ると、帝は微笑んで言う。
「話は終わりましたか?彩子。今大和守と彼のことを話していたのだけれども、ぜひ都で修行してはいかがなものかと思っているのです。和気智明殿の腕は確かと聞いたが、やはりこちらと都では違うからね・・・。」
「ええ・・・。」
彩子は下を向いて答える。
「では、大和守。少目和気泰明殿をこちらに・・・。」
「御意・・・。」
大和守は従者に命じ和気泰明を連れて来させる。
「和気泰明殿、近くに・・・。」
と、大和守が言い、和気泰明は帝の前に座る。
「和気殿、大和守と話していたのですが、都に出て本格的に医術を学んではいかがでしょう。もしその気があるのであれば、私が和気家当主侍医和気伴由に紹介状を書こう。侍医和気殿はとても信頼の置けるいい方です。今も御幸に同行しているので、一言言っておくこともできます。」
帝は和気泰明に微笑んで言う。
「泰明殿、こんないい話はない・・・。本来であれば、医博士殿について学ばなければならないものを、侍医殿の側で学べるのですよ。なかなかこのようなことはない・・・。」
という大和守の言葉に和気泰明は悩んだ顔をして下を向く。
「泰明、いい話よ。とっても・・・。」
「彩子様・・・。わかりました・・・。お願いします・・・。しかしあなたは・・・?」
帝は微笑んで言う。
「私ですか?ただの顔の広い宮です。今から紹介状を書きますので、準備が出来しだい半月後以降に上京しなさい。いいですね・・・。私からも和気殿に言っておくから。」
帝は懐から御料紙を取り出すと、紹介状をすらすらと書き出す。
『従五位下侍医和気伴由殿 この紹介状を持って現れた和気泰明という者をあなたの側で医術を直接学ばせるよう頼みます。同じ和気家の血が流れているものなので、きっと良い医師になることでしょう。よろしく頼みます。  今上帝 雅和』
紹介状を大和守に渡すと、大和守は和気泰明に渡す。
「泰明殿、これは恐れ多いものだから、見てはいけません。そして侍医殿に渡すまで大切に扱いなさい。必ずそのまま侍医殿にお渡しするのですよ。もう下がっていい。」
「はい・・。」
「あ、もし急ぐのであれば、大和守と一緒に行宮にこればいい。会えるようにするが・・・。」
「宮様、ではそういたしましょう。早いほうがいい。一緒に上京すればいい。荷物は後ほど送ればいいのだから。邸も私が用意しよう。」
と大和守は乗り気でいう。帝もうなずいた。
 行宮に戻った帝は早速侍医である和気伴由を呼び、和気泰明について話す。侍医は快く帝の申し出に承諾する。
「なんという縁でありましょうか・・・。この兄弟は私の腹違いの弟の息子たちでございます。二人とも大和にいるとは聞きましたが・・・。そういえば兄の和気智明はとても優秀な者で、私の養子にしようと思っていた者・・・。わかりました。帝の頼みとあれば・・・。」
「ありがとう、侍医殿。よろしく頼みましたよ。」
次の日大和守と和気泰明は朝早くに行宮に現れ、侍医と面会する。侍医は帝からの紹介状を受け取ると、読まずに懐にしまい快く二人の前で承諾をする。


《作者からの一言》

官位相当であれば侍医は正六位下にあたりますが、殿上を許されるのは従五位下以上。ですので侍医は殿上を許される身分ということで従五位下に叙されていることにしています。

この和気泰明、今後の展開で中心的な人物になります。というよりも雅和帝編の次の主人公でしょうか?



                                   東大寺 大仏殿