
正しさにある私の悲しみ
こんにちは〜!
松岡 なおです
毎日雪がふるかもといわれつつ、
ふるふる詐欺にあっている
毎日です
でもやっぱり外は寒い
昨日、子供の体調が悪く、
病院に連れて行っていました。
帰りに何か暖かいラーメンでもと
かの有名な
「〇〇一品」に
行ってきました🍜
子供が少し食欲が落ちていたので、
「今日は小ラーメンでいいよ。」と
ラーメン小を頼んだら、
「はい!ラーメン小ね!。」
。。。
ラーメンが小さい
確かに小なのですが、
小というよりミニだった
食欲がないといえど、
食べ盛りの息子に足りるわけもなく
チャーハン追加
それ、普通にラーメン頼んだ方が
安かったんじゃ
そんな母の横で
おいしそうにチャーハンを
たいらげる息子でした。
やっぱりラーメン一つにとっても
”小”の価値観が違うので、
そりゃあ1つの事象とっても
人によって取り方が違うようなあと
考えた昨日でした。
私の幼少時代
先日、しんみりした話でもお話したのですが、
↓↓↓
最近、とても
「正しい」
というキーワードが
自分に引っかかります。
昨日仕事で、
「私の部署でそれをしていただいた方が
正しいと思うので、
お願いできないでしょうか。」
またその前にも、
「この仕事はなおさんにお願いするのが
総合的に判断して正しいと思いましたので、
ご連絡しました。」
単純に、
これは私に仕事を
依頼しているだけの文章です。
でもこの「正しい」というキーワードが今、
私にはすごくささる。
私の気持ちは、
「私に何も聞かずに勝手に正しいと判断して、
仕事を押し付けてこないで。」
です。
この気持ちを分析すると、
以前お弟子の先輩に
カウンセリングをしていただいて、
私の親子関係に
起因すると最近思います。
私には弟、妹がおり、
私は長女です。
当時、母親は父方の祖母と
同居しており、
育児に、祖母との同居に
心の余裕がなかったんだと思います。
当時のことを母に聞くと、
自分に味方がほしくて、
子供は自分の味方にしておきたかった。
特に私は物わかりが良かったので、
申し訳なかった
と言われます。
私も子供を育てる母親として
今ならその気持がよくわかる。
できるだけ子育て楽をしたい。
三人もいたら、それは大変だっただろう。
物わかりが良ければ、
それは甘えてしまったかもしれない。
一生懸命育ててくれた
母には感謝しかありません。
でも、
この「正しさ」に関していえば、
やっぱり子供ながらに傷ついた経験が
すごくあるのを感じます。
一言でいえば、
私が母に主張したとき、
「そうだね。」っていってもらった記憶がない。
だいたい、
弟と妹とのことなのですが。
一番覚えているのは、
「豆腐にネギなし」事件
昔、長女であった私の時代は、
母親は教育ママでした。
字を汚くかけば、
「やり直し。」
と全部宿題を消されました
ご飯も残したり、
好き嫌いすることは許されず。
好き嫌いをして食べないものがあると
「お菓子半分にするからね。」
もちろん、
純粋な子供の私は、
言いつけを守り、
宿題はきっちりするもの
好き嫌いはだめ
好き嫌いするとお菓子は半分にされるもの
こう学習するわけです。
妹が生まれて、
妹はとにかく好き嫌いが多かった
特にネギは大キライ。
未だにネギは食べません
ある日の夕飯は冷や奴。
もちろん、豆腐にはネギがのっている
でも、妹の豆腐にはネギがない。
そしたら、言いつけを忠実に守ってきた、
長女としてはもちろんこう言いたくなるわけです。
私「こら、好き嫌いしちゃだめなんだよ!
好き嫌いしたら、お菓子半分にするからね。」
妹「食べなくていいんだもん。ネギ嫌いだもん。」
私「ねえお母さん、妹が好き嫌いしてるよ。
お菓子半分にしないと!!」
妹「お姉ちゃんに
いちいち言われたくない。」
母「いいのよ。食べないから。
ネギもったいないでしょ。」
私「でも、私の時はお菓子半分て言われたよ!
妹のお菓子半分にしてよ。」
母「はいはい、細かいこと気にしない!」
私「でも、私のときにはそういって、
妹の時にはそうしないっておかしいでしょ??」
母「いいかげんにしなさい
それ以上言ったらお母さんの機嫌が悪くなるよ。」
妹「」
結構こういうことって、
子供の時になかったでしょうか
ほんと、親からしたら
ただ夕飯時で忙しい。
夕飯作るだけでも
大変なのに、子供がへりくつを
いってくる。
もう忙しいんだから、
邪魔しないでよ!
ただ母からしたらこれだけのこと。
でも、
小さい子供の私からしたら。
ものすごく傷ついたわけです。
未だにこの時のことは
鮮明に覚えています。
特に妹とはこういったことが
何度もあって、
一度も母が私のいうことに
「そうだね。」と同意してくれることは
ありませんでした。
正しさの中にある私の悲しみ
きっと今、私の中に
「正しい」
というキーワードがすごくささるのは、
「何が何でも私が正しいということを
証明したい気持ち」
おそらく未だにこの気持ちを
自分の中で消化しきれていない。
実際にネギなし事件を
思い出して、自分で書いても
やっぱりムカつきます。
お母さんは何で私の味方を
してくれなかったの?
どうせ妹の方がかわいいんでしょ?
私はこの家でいらない子なんだ
私と妹は違うんだ
私の方が
正しいのに、
正しいのに
ねえなんで??
こんな気持がたくさんでてきました。
ここはもう少し自分と向き合って、
癒やしていくポイントなんだと思います。
未だにこの自分の正しさを
誰かにみとめてほしい
この気持ちが強くて、
自分で自分の正しさが受け止められない
シュチュエーションをたくさん
つくりだして、
「ほら、やっぱり私なんて。」
という気持ちを強める
環境を今作りだしている可能性が
高いなあと。
逆にいえば、今それを
癒やすタイミングがきた。
ちょうどもうすぐ
お弟子の
本講座が始まります。
母親も妹も別に嫌いじゃない。
でもきっとここを癒やせば
もっと自分が楽になりそうなので、
ここを講座で向き合っていけたらなと
思った今日でした。
今日はここまで
松岡 なおでした。