Give it a go. 若者よ、やってみなはれ。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 人生は長いようで短い。順風満帆で生きているように見える人、どこか、虚しい。変化がないからである。当然に、底辺にいる人からみれば、羨ましいが、ただ、そこにあるのは、単調な世界である。年を取ってくれば、見えてくるのは、人生の出口である。そこで、一番つらいのは、やることがないことである。私は、当初から、病気で、社会にでるのが人よりも遅れた。だから、もとより、社会の出発時点で、ありきたりの人生から、ドロップアウトしていた。それなりの大学に進学して、それなりの企業に就職して、それなりの地位を得る。確かに、言われた事、与えられたミッションをこなす。それによって、企業での地位は上がる。しかし、それで、生き残れるのは、1000人ぐらいだろう。年間、100万の人が同年代でうまれたとする。それで、定年後、それなりの地位でいられる人の割合は、それで見ると、0.1%である。大体、3年分ぐらいが、ひとまとめとすると、最後まで、その地位でいられる人は、0.033%である。これからは、少子高齢化とAI化が進むから、日本の力も相対的に弱くなるから、ますます、不可解な世の中が到来する。

 

 

 人生で、重要なのは、継続性である。日本が技術で世界に負けた最大の理由は、技術の継続性を無視したことにある。日本を技術大国から三流国家に落としたのは、組織論に翻弄された三流経営者の判断ミスによるところがある。一つのものを完成させるには、リーダーの感性が重要なキーとなる。物事を作り上げるには、経験と感性、職人的な技量が重要なファクターである。組織論に支配された企業は、チームリーダーとして、有能な職人を管理職にする。仕事を奪ってしまう。担当から外されれば、権限が及ばない。それまで培ってきた人脈や外部との信頼関係も切れてしまう。その後を受け継いだ人は、また、そのチームリーダーが培った同じ年月をかけて、作り直す。有能であればあるほど、自分らしさをだそうとする。それが、技術者のプライドである。いい方向にいけばいいが、大抵は、墓穴をほる。そこで、技術の継続性は途絶える。経営者は、数字しかみていないから、後で、自分が株主から責任をとらされるともしらずに、その場をやり過ごす。

 

 

 日本を支えたのが、実は中小企業、今は、だめになったが、高度成長期であれば、失敗しなければ、業績は伸びた。インフレであるから、銀行からの借り入れは、すぐに返せた。1000万円をかりても、インフレと業績UPであるから、すぐに返せた。そして、大きくなれば、上場である。オーナー企業の負債はなくなり、膨大な株式売却で誰でも、ウハウハになった。そして、高校卒、高専卒、そういう技術者を育てた。18歳で社会にでて、10年、みっちり、しこまれたら、それなりの技術者である。企業によっては、大学や大学院までいかせてくれた。そこで、博士も取らせてくれた。そういう中小企業もあった。そういう人は、ずっと、その企業で頑張る。苦楽を共にしたオーナー企業の社長が、まさしく、人生のおやじだったからである。

今は、そんなことはなくなった。先代がなくなり、二代目も引退、そういう企業はほとんどが、大会社の子会社化となった。そうなれば、そこの経営者は大企業の天下り先である。新しいものなど、出るわけがない。言われたことだけをやる。大企業の下請け化が、日本企業の実態である。そうして、ベンチャー企業は、優良大学、優良研究所が資金をあつめる手段として、誕生する。投資家は、その名前に騙されて金をだす。何も生まれない。彼らのもともとの仕事は、論文を書くこと。新しい事実、発見をすること。それが実用化するか、利益がでるのかは、関係がない。生産技術もない。小世界で生まれたこと、それができたらこんなことができる、そういうフィクション、作文が書けたらいいのである。それで、金を集める。売り上げがなくても、そういう資本を食いつぶして生き延びる。特許にも、ガラクタ特許というのがある。利益を生まない市場価値のないもの、汎用性のないもの、それが一つの権威となる。●●先生、●●大学、●●研究所、それに、国際特許、投資家は、技術などわからないからその名前だけで金を出す。ネットで連日、そういう新しい技術や研究テーマが紹介される。本当に、すごかったら、社会はすっかり変わっている。しかし、日本は何もかわらない。すこしづつ、本当にいいもの、価値のある千や万にひとつのいいものだけが世の中を変える、

 

 

 昔は、日本には金があったから、甘えられた。どこの中小企業のおやじも、高度成長、バブルに乗っていたから、金回りがよかった。だいたい、エロおやじで人情家である。わかいやんちゃな人を雇い入れ、一人前に育ててくれた。次郎長の世界観である。今、そんなことをやっていたら、つぶれてしまう。今は、社会に甘えていたら、非正規として使い捨てされる時代となった。それでも、生活できる。一年、二年、そこから、抜け出したいと思っても、何をしたらいいかわからない。結婚もできない。ゲームでもして、時間をつぶすことしかできない。年をとれば、創造性もなくなる。発想の斬新性が命のクリエーターも、どんどん、新人が増えてくる。生き残れる人の数が限られているため、落ちこぼれが生まれる。芸人と同じである。どこの世界も生き残れる人の数は決まっている。どこの世界でもトップになれるのは、一握りしかない。40歳、50歳になって、自分の看板がもてなければ、つぎ、どうしようか、と考えた方がいい。

 

 

 若者は、社会というものがどんなものか分からない。しかし、何も心配する必要はない。迷える時間、考える時間は十分に残されている。Give it a go.である。なんでもいいから、やってみることである。いやだったら、やめて新しいことをやったらいい。しかし、そのモラトリアムも34歳までである。35歳以降は、死ぬまで、決めた道で、歩きとおすことである。35歳以降、ふらふらしていたら、最後までふらふらすることになる。継続は力である。だから、継続が力となるようなもの、それを探すことである。10年の経験が力となるなら、同じ力を得るのに、誰でも10年かかる。その時、その人は20年の経験をもつ。そういう職人文化が生きる世界を探すことである。それがAIに負けない人生となる。よく、若者は、考えた方がいい。ぼっと生きていたら、そのまま、あの世へと持っていかれる。