50歳から老化スピードを下げるには、ダンディズムを意識すること。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 何か、体に疾患があって、それが悪化して、ぽっくりと行く場合は、どうしようもないが、ある程度、老化して、そして、機能不全となり、なくなるのは、どうしようもない。しかし、元気な爺さんと、これは、どこかで、だめになると思える爺さんを比較すれば、その生きている雰囲気を見ただけでも、大体、どこまで、その人が生きられるか想像はつく。しかし、世の中には、天変地異がある。元気であっても、地震や津波に巻き込まれることもある。道ひとつの隔たりが生死を分けることもある。これは、どうにもならない。

 

 

 骨がベースにあって、それに、筋肉がまつわりついていることで人間の強度は成り立っている。コンクリートの骨材にセメントがまつわりついているのと、類似している。どんなものでも、弾性が損なわれたら、もろくなる。外力を弾性で逃がすから、機材はもつ。人間でいえば、関節の動き、骨の密度、筋肉に量、それによって、人の活動も、機能できる。同じ年齢でも、老けた70歳と若い70歳との差が出てくる。動きの柔軟性をみれば、老いの状態が、見えてくる。

 

 

 寝ている状態から、起き上がれる。歩ける。座る。横になる。荷物を持てる。荷物を下ろせる。ものを食べれる。風呂に入れる。トイレに行ける。排泄できる。物をかたずけられる。階段を上り下りできる。自転車に乗りおりできて、動き回れる。若い人からみれば、当たり前の行動である。それが、できる間は、一人で生活できる。90歳だろうが、95歳だろうが、それができる間は、一人で生きていられる。それが、できなくなれば、介護施設に入ることになるだろう。

 

 

 介護の状態で、キーになるのが、歩けるかどうか、自分でベットから起き上がり、自立して、歩けるか、そして、少なくとも、家からでて、買い物ができて、自炊できるかにかかる。人間、誰でもが老いる。そして、生命を閉じることになる。ある意味、介護が必要になる期間、それが、死への準備となる。理想は、介護の期間ができるだけ少なく、あの世へと行くことである。自分で、食事を終え、それをかたづけ、自分で、布団を敷き、自然と、眠ることである。老人にとって、生と死を分けるものは、朝、目覚めるか、目覚めないかである。

 

 

 2年半前に、知り合いの社長が、亡くなった。その亡くなる一か月前に、やはり、意識混濁日が数日続いたことがあった。寝ていて、数日、意識が戻らなかった日が続いた。心臓は動いていたので、死んではいなかった。それから、一か月間は、生きた。その間に、自分が死んでもいいように、色々と準備をした。なくなる2日まえも、電話で数時間、話した。そして、その社長は、亡くなった。朝、目覚めなかったのである。周りの人が気づいた時には、もう心臓は停止していて、蘇生はできなかった。死因は膵臓ガンだったそうだ。ある意味、亡くなる数日まで、活動していた。そして、亡くなる数時間前も、それなりに生きていた。そして、ベッドに入って、そのまま永眠したことになる。人生はなるようにしかならない。その社長が作った因果は、どこかに、生かされるはずである。未来にとって必要なものはのこり、不要なものは、消えていく。

 

 

 ものごとで、重要なのは、経験値である。経験から学び取ったものは、金では買えない。たとえば、医者、パイロット等、人の命を預かる職業、実践を通してでないと、そのスキールは身につかない。同じ経験を通しても、人の感じ方によって、身につくその経験値も変わってくる。若者にあるのは、未来であり、可能性である。しかし、経験値がない。同じ事象をみても、未経験者と経験者では、見立てが異なる。その経験値が生かせる年齢というのが、それぞれ異なる。つまり、物事を習得できる年齢には、どこかで限界があるということ。その物事が習得でき、それがいかせる人ほど、若く見えるということである。つまり、成長できる余力がある人ほど、若く見えるということになる。年齢が55歳、65歳、70歳とする。人によっては、同じぐらいにしか見えない人もいるだろう。つまり、最大15歳の年齢差は、でてくるということになる。55歳の人で、40歳ぐらいにしか見えない人もいるし、40歳で、もう55歳ぐらいにしか見えない人もいる。ふけた70歳と若々しい85歳では、同じか、逆に若々しい85歳のほうが、若く感じられるように思える。若々しく見えるのは、それだけ、伸びしろがあるということである。15年は、がんばれるということになる。

 

 

 人間の源は、精力である。精力が落ちれば、人間の寿命も落ちてくる。いつまでも、エロおやじでいた方が、精力が落ちない。ある意味、年をとればとるほど、ダンディズムを意識したほうがいい。そうすれば、おなかの脂肪も減るかもしれないし、着こなしもうまくなるかもしれない。リズム感をよくなるかもしれない。そして、いろんなことにチャレンジすることであり、今の最新ツールを使いこなすことでもある。英語も話せた方がかっこいいはずである。そうなるには、自分が必要とされる技量や技能が必要になる。勉強することである。周りの人から、とくに、若い人から、かっこいい爺さんと思われること、それは、ダンディズムを意識することである。年金以外に、どのような収入をえるかである。経験に裏付けられた技量、技能は、お金に変わる。今、50代の人は、そうなるように、今から準備することである。今、55歳の人なら、15歳、若く見えるようにしなければならない。つまり、40歳の風貌を保ち、55歳の経験での知見をもつことである。人生の目標は、自分が今までに得てきた経験値を利他に用いられるように、未来に必要な人になるようにがんばり、そして、できるだけ、介護が必要な期間を最短にして、寝ている間にぽっくりと行くことである。