最近、ちょっと寂しくて掃除ばかりしています。

掃除は無心になれるからいいですね。おかげで家が【かなり汚い家】→【ちらかっている家】に進化しました(笑)

 

最近書いていないですが、私には小説を書く趣味があります。

実は自分のことは自分が一番わかっていないのではないでしょうか?

他人から見える自分と自分が考えている自分は違う。

 

友達から「なおさんは潜在意識では本当は彼女を探していない」と何人かから似たような指摘を受けました。

自分では気づかないけど何人かから同じようなことを言われるのなら、自分では気づいていない何かが恋活やセ〇レ・ソフレ活に悪影響を与えているのかもしれません。

 

なので、自分の深層心理を客観的に見てもらうために私が過去に書いた小説のあらすじを書いていこうと思います。今のところショートショート(原稿用紙10枚)×2、中編小説(原稿用紙120枚くらい)×1がきちんとかけた作品です。

 

構想はあるけど書き終えてないものもあるので、機会があればそっちも書いていこうと思います。

 

前置きが長くなりましたが、今日はショートショートの内容について書いていきます。

 

登場人物は主人公と親友の2人だけのレズビアン物の短編小説です。2人は80歳のお祖母ちゃんで、中学生からずっと親交がありました。主人公は生涯独身で仕事をするキャリアウーマンでした。

反対に、親友は結婚をして、子供を産んで、旦那を見送って、自分も病気で入院しています。

 

主人公は中学生の時からずっと親友に想いを寄せていました。彼女自身はずっとそのことを隠してきたつもりでしたが、親友は主人公の気持ちにずっと気づいていて、気づかない振りをしてきました。

物語は主人公が親友の病室を訪ねてくるところから始まり、主人公が65年間ずっと隠し続けてきた想いと親友がずっと知らない振りをしつづけながらも傍にいた二人の気持ちを打ち明けるというものです。

 

私は主人公の方の視点で書いていました。ちょっと長いですが一番お気に入りの心の中のセリフがこれです。

 

 彼女が眩しかった。それは六十五年も経った今でも変わらない。

 彼女が結婚し、子供を産み、育児に奔走している間、私は女のくせに結婚もしないでと罵られながらもキャリアを積んでいった。彼女の子供たちが成人し、その子供たちも家庭を持ち、彼女が夫に先立たれて悲しんでいたときも私は彼女の傍でただ寄り添っていた。彼女の弱さも強さも笑顔も涙も、私はすべて受け入れてきた。どんなに年を取っても、彼女はずっと魅力的で、私は一番親しい友人としてでも彼女に必要とされ、彼女の傍にいたかった。

 もちろん、その選択は決して易しいものではなかった。彼女の夫への激しい嫉妬や苦しみを乗り越え、彼女と人生のひとときを共有できる喜びを噛みしめ、私はただ彼女の傍に居続けた。誰よりも彼女を愛しているのは私だ。それなのに、今はもう彼女が死ぬのを待っているのかもしれない。私は彼女から解放されたいのだろうか? 彼女への醜い執着心を断ち切れば、私は満たされるのか、絶望するのか。もうそれすらわからなくなっていた。

 

 

物語の結末は敢えて書きません。

作品は作者の心に忠実ですね。

私は好きな人の傍にいたいです。どんな立場であっても。

その苦しみと幸せを書いてみました。

 

タイトルは「親愛なるあなたへ」です。