いよいよ、わが指のオーケストラの最終巻(第3巻)です。

 

口話法で手話が弾圧される理由は、手話の方が簡単でわかりやすいため、手話があるせいでろう者が口話教育より楽な手話に逃げてしまうからだとされていました。

口話教育をする学校が増え、その中には手話をする生徒に体罰を加えるなど、明らかに行き過ぎた行動がみられるようになりました。

 

第3巻の見どころは手話法の高橋校長と口話法の西川先生が初めて出会うシーンです。

二人が出会ったのは近畿地区の校長会です。そこで滋賀ろうあ学校の開校式が行われました。

西川先生はただのろう児の父親に過ぎませんでしたが、口話教育の研究と発展に貢献し、学校教育に資金が足りない時は惜しげもなく私財を捧げました。

 

西川先生は口話法に自信を持っていました。娘の成功例があるので、それは当然のことだったかもしれません。

西川先生は高橋校長に話しかけます。

「口話法は歴史の必然です。人々がそれを欲したのです。欧州でも米国でもそのことは既に証明されています」

 

それに対して、高橋校長が答えます。

「確かにそうでしょう。歴史は勝者が記します。しかし、かつて一度たりとも歴史の中でろう者が勝者だったことはありません。口話法の方々は手話のない世界、ろう者が手話をしないですむ世界を理想とするでしょう。しかし、我々はろう者が手話をすることが認められる世界、さらには全ての人々が手話を理解する世界を理想とします」

 

二人の高潔な人格者たる、ろう教育の父たちの対立。

高橋校長は日本中を敵に回しても手話を守るため、海外での手話と聴覚障がいに関する教育の文献について、教師たちで手分けして研究に没頭します。

その中の一人がヘレンケラー女史と面会することに成功し、通訳を介さずに指文字と口話で対談します。

 

彼女は日本にも指文字(50音を手の形だけで表したもの)を作るようにアドバイスをします。

※日本にも渡辺式という指文字があったそうですが、使いにくさから普及していませんでした。

 

ヘレンケラー女史の登場はわずか数ページだったんですが、彼女の別れ際の挨拶が印象に残ったので記載します。

「日本にお帰りになったら貴方の生徒さん達にお伝えください。私は盲ろうの不自由な身を嘆いてはおりません。いかなる運命にも感謝し、神に対する奉仕を光栄として、人と人とが美しい心で結ばれなければなりません」

 

まさかヘレンケラー女史がこの漫画で登場してくるとは思わなくてびっくりしました。

日本の指文字がアメリカの指文字を参考に作られたとは他の文献で読んでいましたが、それがヘレンケラー女史だったとは知りませんでした。

口話法と手話法の対立から、指文字が生まれました。歴史とは非常に興味深いですね。

 

高橋校長は学校内での研究をまとめます。

欧州ではアメリカに先駆け口話法が普及し、その過程で手話が駆逐されたが、ろう者たちは成人後に各国でろうあ協会を作り、そこでは公然と手話が行われている。

また、学校においても現実的に口話が可能な者は全体の約3割で、これはろう学校の中の中途失聴者、残聴者が占める割合と一致する。

デンマークやソビエト(ロシア)では早くも口話教育に対する見直しが行われ、手話の再導入、あるいは手話と口話の併用が行われている。アメリカでも、手話と口話の併用が行われ始めていました。

 

高橋校長は以上の研究結果を踏まえ、生徒の適性に応じて①口話、②口話と手話と指文字、③手話と指文字、を教育する方法を取ります。

しかし、昭和7年には手話法から口話法への急激な転換が行われ、大阪市立ろうあ学校だけが手話の適正教育の必要性を訴え続けました。

 

第3巻は歴史的な重要な記載が多かったので、どこをまとめるか私も悩みました。

破竹の勢いで普及した口話法でしたが、その過激な教育方法と口話法そのものの限界によって、手話が再導入され、口話と併用されていくことになります。

 

そして、昭和15年に西川先生が自殺します。

西川先生について、はま子は後年の手記の中で次のように語っています。

「私のお父さんはわが子一人の幸福にしたくなかった。すべてのろう者の幸福にしたかった。私のお父さんは死ぬまでそれを考えていました」

 

西川先生はとても不器用で誠実な人だと思いました。

口話教育を普及させたかったのも、ろう者が聴者と対等に扱われて、差別されないで幸せな生涯を過ごせることを願ったからです。

 

ここが高橋校長と本当に対極ですね。

どうしてその違いが生じたのか、それはろう者を可哀想と思うかどうか、なんでしょうね。

高橋校長は手話を使ってろう者と対等に接しようとし、西川先生は口話と読唇でろう者を聴者と対等にさせようとした。

 

私は西川先生の不器用で真っ直ぐなところが好きですが、西川先生と違って私は手話が好きです。

気持ち悪がられるかもしれませんが、私はオタク気質・学者気質なところがあるので何でも自分なりに分析・考察するのが好きです。

 

最近はYouTubeで簡単に手話の動画が見れるので、①周囲にろう者がいる環境で育ったろう者の手話動画、②自分は聴者で子供がろう者の人の手話動画、③仕事で手話を使う人の手話動画、④自分だけがろう者で周りに手話を使う人がいない人の手話動画、などを見比べて、表現がどう違うのか、自分なりに考察しています。

 

中でも、とあるろう者の女優さんが映画のインタビューで手話をしている動画が一番好きです。

彼女は自分の手元を全然見ないのに、無駄な動きが全然なくて手話がすごく見やすくて綺麗なんです。動きが流れるように速すぎて、字幕がないと全然わかりませんが(笑)

 

彼女の手話を見て、理屈ではなく、なんて綺麗な言語なんだろうと感じました。

ピアノの演奏みたいな手話だなって思ったんです。

優雅で美しくて、これが言語なのすごいって純粋に思いました。

 

私が手話の勉強をやめない一番の理由はこれなのかもしれません。

確かに、世の中の役に立つかなとか、世界が広がるとか、ろう者の人と話してみたいとか、理由は他にもたくさんあります。

でも、一番の理由はあの美しい手の動き、言語表現を自分のものにしてみたいと思ったからかもしれません。