友達に面白い作品だからと勧められて、図書館で借りてみました。

これは是非、色んな人に読んでもらいたいと思ったので紹介します。

 

日本で初めてろう教育が始まったのは明治11年(1878年)に設立された京都盲唖院でした。

高橋潔(1887~1958)は本当は音楽の道に進みたかったのですが、家庭の事情がそれを許さず、恩師の勧めでろう学校の教師になります。彼は最終的に【ろう者の父】と呼ばれるほどろう教育に貢献し、その教育に生涯をささげた人物です。

 

明治時代に手話が誕生し大正時代にかけて発展していきますが、その後に世界的に口話法という読唇によってろう者に聴者の言葉を読み取らせ、ろう者自身にも発話をさせる教育が主流になり、手話が激しく弾圧されます。

日本のろう学校が口話教育で手話を禁止する中、高橋潔が校長を務める大阪市立ろう学校だけが手話を守り、ろう者たちから言葉を守りました。

「わが指のオーケストラ」はそんな彼の生涯を描いた作品です。

 

物語は高橋先生が音楽の道を諦め、ろう教育の教師になるところから始まります。

そこでは、言葉が通じないからという理由でろう者は竹刀で殴られ、暴力によって言うことを聞かせるのが教育だということがまかり通っていました。

 

高橋先生は手話を使えない生徒(一作)に殴られ、噛みつかれ、唾を顔に吐かれながらも、懸命に対話をしようと試みます。一作は耳が聞こえないからと家庭でも殴られて育ち、学校でも同じ扱いを受けていたので、人への猜疑心がとても強い状態でした。

 

言葉が通じないことは心も通じないことなのだと感じました。

相手が何を考えているのかわからない、自分がどう感じているのか伝えることができない。ましてや、人間に対して不信感を抱いている言葉の通じない子供に、どうやって信用してもらい、対話をしていけばいいのか。

高橋先生は自分の言葉が一作の耳には届かないことがわかりながらも、何度も何度も一作に話し続けます。

 

言葉は通じなくても、高橋先生の気持ちが伝わり、少しずつ一作は彼に心を開いていきます。高橋先生は一作が住む寄宿舎に移り、公私ともにろう教育に関わっていくことになります。

 

高橋先生はどのようにろう者に教育をしていけばいいのかわからなかったので、中途失聴者の福田先生が高橋先生に手話と子供たちへの教育について指導してくれることになりました。

 

福田先生が高橋先生にろう教育の難しさを伝えるシーンがこの作品の中で一番心に響きました。

私は図書館帰りに電車の中でこのシーンを読んでいたのですが、思わず泣いてしまって目の前にいたおばあちゃんに不審な目で見られてしまいました。

 

「生まれながらに耳の聴こえない子供というのは単に言葉を知らないのではない。

この世界に言葉があるということを知らないのです。耳が聴こえないということはそういうことです。ろう教育はあなたが考えているような甘いものではありません」

 

福田先生は高橋先生に教室では聴こえない子供と同じ立場で、同じ体験をさせて手話を学ばせようと試みます。

福田先生は高橋先生に身振りだけで生徒たちにスイカ、犬、猫、を伝えるように言います。

 

「身振りを恥ずかしがってはいけません。身振りから手話は生まれたんです。あなたが何の苦労もなく耳から覚えた言葉をこの子たちはそうやって体全体で少しずつ獲得していくのです」

 

汗だくになりながら身振りをして子供たちに言葉を伝えようとする。高橋先生はショックで教室を飛び出します。

 

知らなかった。聴こえないということはこういうことなのか。

 

ここのシーンも胸が抉られる思いでした。

私は特別教育をどこか美化していたのだと思います。

障害を乗り越え、教師も生徒も成長していく、とても美しい物語を想像していたのだと思います。

 

ろう教育はあなたが考えているような甘いものではありません。

福田先生のこの言葉は高橋先生だけでなく、時代を越え、私たち読者に語り掛ける命題なのだと感じました。

 

一作は手話を通して言葉だけでなく、人間性を取り戻し、学校の中で居場所を作っていきます。

ただ、この時代にろう者を理解してくれる人はとても少ないのだということがわかります。

 

ある日、一作の母親が訪ねてきて、一作を家に連れて帰りたいと言いました。

一作の家では戦死した一作の父のために住職がお経を上げ、一作の親戚たちが集まっていました。

耳が聴こえない一作は彼らが何をしているのかわからず、彼なりに周囲の人の身振りを真似てみますが、そんな彼の行動を一作の祖母は嘆き、一作を叱責します。

 

そして、一作の祖母は住職に問いかけます。ろう者は前世で悪いことをしたせいで耳が聴こえないのかと、父母がお釈迦様の悪口を言ったせいでこうなってしまったのかと。

住職はその問いかけを肯定し、因果応報なのだと静かに諭します。

それどころか、一作が懸命に学んだ手話も「手真似なんてみっともない」と蔑みます。

でも、一作はどうしてみんなが怒っているのか、なぜ母親が泣いているのかもわかりません。

 

母親が畑仕事に出ている間、一作は近所の子供たちの輪に入れてもらえず、ずっと独りぼっちでした。

今でいうゴミ回収をしている男性から絵本をもらい、一作はそれを大事に読んでいたのですが、それを盗んだと誤解されてしまい、手話が通じないために誤解が解けずに一方的に殴られて、納屋に閉じ込められます。

 

この時代の差別や手話についてよくわかる作品です。

1巻もとても読みごたえがあるのですが、2巻以降ではこのろう者の差別がはびこる中で、ろう者への教育をどのようにしていくのか、口話法と手話法という対立する立場が生まれていきます。

 

私は口話法はろう者に負担の大きい教育方法だと思って、どうしてこんな教育方法が普及していったのだろうと不思議に思っていました。

その答えが2巻以降に明らかになります。

私は一つ大きな誤解をしていました。口話法は一人の偉大な父親が愛娘を思って作り出した愛の結晶だったのだということを。

 

長くなるのでここまでにしますが、後日2巻以降も詳細に語っていきたいと思います。