闇が全くない人もいないと思います。

私も普段はわざわざ出さないようにしていますし、自助グループもやっているから返って他の人よりストレスを解消できているんじゃないかとさえ思います。

 

元々、性格がポジティブで明るく社交的だと評価されることが多く、私自身もそうだと思っています。でも、それはストレスや暗い感情を処理するのがうまいだけで、そういった感情がないわけではありません。

 

心の闇って執着と葛藤で生まれるんじゃないでしょうか?

こうなりたい、こうゆうことがしたい、という自分の中の理想があるにもかかわらず、実現されないから葛藤して、さらに強い執着が生まれて、執着と葛藤を繰り返して肥大化した負の感情を周囲にまき散らしているのだと思います。

 

執着自体に問題はなくて、葛藤する際に負の感情が生まれるのが問題なのだと思います。

それなら、葛藤をうまく処理してできた肥大化した執着は、闇なのか、善なのか。

 

私は女性に執着しています。

女性を大事にしたい。幸せにしたい。一緒にいたい。

だからレズビアンの需要を読み取って供給できる立場にいた方が女性とずっと関われると考えました。

 

オフ会の恋愛がうまくいかないのは周囲のアシストが少なく、レズビアンたちが楽しんで会話をしながら、お互いの価値観を探る仕組みがないからではないでしょうか?

 

内向的で大人しかったり、良い人なのに経験不足で自信がなかったりすると、なかなかオフ会で積極的に声をかけるのは難しいと思います。

だから、ある程度性格も見た目も良くて、恋愛関係になっても良いと思える人を集めることができれば、女性は喜んできてくれると考えました。それを繰り返すことで、さらに性格も見た目も良い女性を無限に集められる。

 

自分で狩りにいかなくても食事が与えられる動物園の動物たちから野性を奪うように、私の会にくれば魅力的な女性と楽しく食事ができると信用させることによってリピーターになってもらう。

誰も損していないんだけど、この執着は闇なのか、善なのか。たまにわからなくなります。

 

毒親もメンヘラと周囲から認定されてしまう人たちも執着自体には問題がないけれど、葛藤から生まれる負の感情をうまく処理できなかったがゆえに、迷惑な存在になってしまったんだろうなと感じます。

何でもっとうまくできないんだろうと思ってしまうんです。

 

相手の要求がわからなければ聞けばいいし、他の人に尋ねてもいい。相手が快適に過ごせるようにした上で喜んで自分と関係性を維持する方向に持っていけばいいのに。

会話ができない人種も確かに存在はするけれど、それなら、そういった人たちを排除して自分と相性の良い人たちと向き合うようにすれば済むと思います。

 

葛藤をうまく処理できた執着は誰にも迷惑をかけないし、感謝されることも多いと思います。

 

でも、一つ気がかりなんです。

誰にも迷惑はかかっていないんだけど、この感情は人から怖がられるものなのか、そうではないのか。だから言わないようにしていました。

ただ、最近はもう開き直ってもいいのかなと思うようになりました。完全な善意で他人に優しくできる人もいないだろうと。

 

欲しいものを欲しいということは悪いことではない。

私はパートナーでも友達でも、その人の人生が欲しい。

残りの人生を一緒に過ごして、最後にその人が自分の人生をどう評価するのか聞きたいんです。