ごきげんさまです。
やましたひでこ公認
断捨離®︎トレーナーの
よしながなおみです。
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます。
今朝は久しぶりの雨模様
しかも結構降ってました。
小雨なら歩いて職場へ行こうと思ってましたが
ちょっと歩くだけでも雨が傘の間から
振り込んでくるような降り方だったので
今日はバスにしました。
流石にこのお天気で
こんな朝早くから紅葉見物には
行かないだろうと思って。
見込みどおり、観光客は少なく
バスも普通に乗ることができました。
バス停までは錦市場を通って
先日、職場でちょっとしたトラブルがありました。
そう、パワハラ事件です。
この時のことです↓
これをきっかけに職場のそのグループの空気が
何となく重たくなっています。
些細なことで、
また不満や不安が爆発しそうな様相
一触即発なので、明日の研修会は
私も出勤することにしました。
いるだけですけど。
1年半ほど前、ある詩に出会いました。
茨木のり子さんの「感受性くらい」という詩です。
職場のゴタゴタを見ながら
思い出していました。
「感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
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ひとのせいにはするな
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みずから水やりを怠っておいて
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ㅤ
気難しくなってきたのを
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友人のせいにはするな
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しなやかさを失ったのはどちらなのか
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苛立つのを
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近親のせいにするなㅤ
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なにもかも下手だったのはわたくし
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初心消えかかるのを
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暮らしのせいにはするなㅤ
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そもそもが ひよわな志にすぎなかった
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ㅤ
駄目なことの一切を
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時代のせいにはするな
ㅤ
わずかに光る尊厳の放棄
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ㅤ
自分の感受性ぐらい
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自分で守れㅤ
ㅤ
ばかものよ
ㅤ
ㅤ
― 詩人 茨木のり子(1926 – 2006)
「ばかものよ」という言葉が
こんなに愛情深く表現されて
心に刺さります。
「ばかもの」と言われると
バカにされたとか卑下されたと思われがちです。
でも、この詩の
” 自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ”
のばかものという言葉は
とても愛情に満ちているように
聞こえるのです。
自分に真摯になりなさいという
叱咤激励にも聞こえます。
人を見下すときの「ばかもの」という言葉と
このような使い方をする「ばかもの」では
全く意味が違ってくるのです。
言葉は同じなのに
ニュアンスの違いが生じるというのは
言葉の奥の深さですね。
自分の感受性すら
自分で守れなくなっているのが
今の世の中なのだと気づかされます。
何でも人のせい
社会のせい
環境のせい
それなら、その人との関係性を
社会との関係性を
環境を変えていきませんか
と思うのです。
断捨離をしていると
自分とモノとの関係性を
問い直していくうちに
自分軸を取り戻し、
誰のせいとか
社会のせいとか
環境のせいとか
そんな思考が自分の中から
いつの間にか消えていることに
気づかされます。
そういう意味で、
私にとって
断捨離というのは
自分の心に水をやり
しなやかさを取り戻し
志を強くし
わずかに光る尊厳を大切にしていく
そんな自らの感受性を
磨いていくことになっているようです。
仕事帰りは雨が上がり
いつものように夜景を見ながら
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