今日は雨予報だったので
大きな傘と防水のスニーカーの
フル装備で仕事に出かけました。
が、結局雨は降らず
小っちゃい傘持って行った時は大雨だったのに
今日は仕事帰りに四条通の長刀鉾を見て
帰ってきました。
地下鉄乗ってる時から気配はしてましたが
人の多さにびっくりでした
こんな人が集まってるのって何年ぶり
長刀鉾のお囃子を聴くのも3年ぶり
やっぱり、このお囃子を聴かないと
夏が来た気がしないのです
って京都の人みたいなことを
言ったりしてますが
私、生まれは京都ではありません
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます
断捨離トレーナー講習生の
よしながなおみです。
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今日は同期のトレーナー講習生との読書会
2週間ぶりに読書会に参加しました。
2週間分を自分で読んでおこうと
今朝、通勤電車の中で読んでいたら
いつの間にか意識がなくなっていました
駅に着く頃にはどんな内容かも
よく覚えてない状態
今日、電車の中で読んでいたのは
時間軸のお話
だったような気がします。
現在(いま)というのは、
過去と未来の間にあるのかという内容
何事にも境界を作ろうとする発想では
過去と現在と未来の間に境界を想定する。
しかし、過去と現在と未来は
繋がっているものであり
境界で分けられるようなものではない。
というようなことだったと思います。
今日、みんなで読んだところは
この難解な本の中でも、
まだ理解できる内容でした。
印象に残ったのは
いまや人は、唯一自らの有機体と
同一化しているために、
その有機体のなかにしかるべく
存在する記憶の痕跡が、
均衡を崩すほど大きな意味を持ち、
頭から離れなくなってしまう。
そして、あたかも本物であるかのように、
つまり、本物の自己の本当の過去を
報告しているかのように記憶に執着する。
(「無境界」から)
過去の記憶というのは強大な執着を
引き起こすのですね。
そしてその記憶が張り付いた
思い出グッズも執着を引き起こす
ということですね。
人が過去や未来に執着するのは
死の恐怖から回避するため
というようなことも
書かれていたような気がします。
読めば読むほど断捨離と
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