3/1(土)
かようびから長野へ行き、
今日、東京に戻ってきた。
東京の空気はほうっとする。
もう東京での暮らしも今年で21年目。
長野での19年間をもう通り越してしまった。
東京はとうに私にとっては
「帰る」場所だ。
それは長野が「行く」場所であるように。
とても自然に。
それでも新幹線「あさま」が発車するときに流れる車内の音楽や
ときおりふと胸をよぎるくるりの「東京」のメロディには
やっぱり胸をゆさぶられるし
碓氷峠を越えて右手に浅間山が見えると
ふるさとの村からは決して見えない山なのに
その稜線をああ長野だなあと思う。
今回の帰省は
そんな「あさま」ではなく
龍晴のリクエストで「あずさ」に乗った。
山梨県のあたりの雪はやはり凄く
潰れた屋根をあちこちで見た。
龍晴は旅程のはんぶんを眠って過ごし、
残りのはんぶんを、ごはんを食べたり
うしろの席のご夫婦に遊んでもらったり
車窓を眺めたりして過ごす。
たのしい旅だった。
松本では弟夫婦の家に寄り、
龍晴の従妹であるところの姪っ子、あーちゃんと初対面をする。
あーちゃんは7月産まれなのだが
11月の終わりまで、沖縄に帰省?していたのだ。
弟のいえからも職場からも車で5分ほどの浅間温泉に
両親と弟一家、そして龍晴と私で泊まることになっていたのだが
弟は急患でやってきたのは深夜のことだったらしい。
青白い顔のまま朝食をかきこみ、
龍におおきくなったなあ、とふたことみこと声をかけて
また出て行った。
世の中にはいろいろな仕事があるが
小児科医というのはほんとうにたいへんな仕事のひとつだと
弟を見ていていつも思う。
弟の奥さんは育休中だが同じ仕事なので
(しかもふたりともいまは大学病院に勤務している)
たいへんな仕事のひとがふたりもひとつの家庭にいるということだ。
すごすぎる。ううむ。
そんな弟を尻目に温泉でのんびりと過ごす。
両親は龍晴とあーちゃん、ふたりの孫に囲まれて
楽しそうに見える。
弟の奥さんのMさんとは、
忙しい夫を持つ妻同士、「平日母子家庭組」として
おおいに共感できる部分があり
話しも弾んだ。
今年の豪雪は長野も松本も40年にいちどのこと、だったそうで、
もともと雪深くない松本もまだあちこち雪だらけだった。
いわんや長野をや。
一泊してから移動した長野の実家も
雪まみれである。
ガソリンスタンドを更地にしたところが一面雪だらけで、
父がそこに龍晴が遊べるようにと
そり用の滑り台をつくってくれた。
標高2メートルくらいの高さの、なかなか立派な台である。
しかし龍晴は、そりよりも雪かきのスコップで
雪かきをしたり、
それを車に見立てて歩くことが楽しいらしく
お義理のように数回そりをしただけで
ずうっとスコップで遊んでいる。
そんな龍晴を見て、
子どもっておもしろいもんだなあ、
と父は笑っていた。
かまくらもつくってくれたのだが、
龍晴が入るにはすこし小さい。
龍晴はよつんばいで入って、ちいさい!などといっていたのだが、
りゅうちゃん、どうかな?などと父にいわれると、
もっとおおきいのがいい!
じいじがんばってー!などといい、
参ったなあと父は苦笑いをしながら
結局、大きいかまくらをつくっていた。
このようにして祖父母というものは孫に翻弄されていくのであろう。
滞在期間中、半分以上が雨の予報だったのだが
結局、本格的に雨が降ることはいちどもなく、
毎日、午前中は雪でたくさん遊び、
午後は温泉に連れて行ってもらい、
龍晴は大満足の毎日である。
そりやかまくらをつくってもらい、
じいじ株はストップ高。
龍晴は「ごっこ遊び」が大好きで、
毎日何十回もいろいろなキャラに変身するのだが、
「じいじになった!」といって
長野にいるあいだは殆ど「じいじ」キャラで過ごしていた。
りゅうは、尊敬したり気に入っているひとになりたがるんだよ、
というと、
(実際その通りなのだが)
父はまんざらでもない様子である。
もくようびにはMさんがあーちゃんを連れて
松本から遊びにきてくれた。
温泉のときよりもたくさん話す。
お互いに迷ったり悩んだりしていることを話したりして
たのしい時間。
母もMさんやあーちゃんのことで
すこし悩んでいたところがあるのだが
それも払拭されつつあるようで
うれしく思う。
どようびの昼の新幹線で東京へ。
きんようびから新潟に出張していた夫が東京に戻る新幹線が
偶然、私たちが東京に到着した10分後に入線だったので
東京駅で待っていることにする。
ホームに突然現れた夫に、
龍晴は最初、だれだかわからない、という雰囲気だったが
とうさんだ!とわかると
ぎゅうっと抱きついていてかわいらしかった。
そのままみんなで中央線で帰宅する。
龍晴はいえに着くと
気に入りのおもちゃをひとつひとつ出しては
暫く遊んでいた。
夫は夕方、フットサルへ。
3/2(日)
洗濯機を買い変えることにしているので、
量販店に下見に行こうと昼前にいえを出る。
バスで新宿へ。
せっかくなら景色がきれいなところでランチにしようかと
三角ビルに行き、
イタリアンで食事をする。
龍晴はおべんとう。
残念ながらそぼふる雨で視界は悪かったのだが
たのしい時間を過ごす。
京王ホテルのカフェでお茶をしつつ
龍晴はお昼寝。
1時間ほど寝たところで、
そろそろ行こうか、と夫に私の財布で会計をしてもらおうとすると
財布がない。
どこを探してもない。
えええ。
イタリアンで会計をしてから
財布はバッグに入れていて、
ただ京王ホテルのつるし雛の展示を背景に龍晴の写真を撮ったときに
バッグのなかからいくつかものが落ちたので
もしかしたらホテルで落とした可能性もゼロではない。
しかしフロントにも届いていないという。
くらーい気持ちで、
しかし龍晴の手前、そこまでくらーくなることはできないので
一応は明るくふるまいながら、
念のためイタリアンまで戻ったり、
三角ビルの警備室に寄ったりし、
さて西口の交番へ一応届けようか、
もう量販店の下見どころではないし
夕方に行こうといっていた荻窪のスーパー銭湯どころではもっとない。
龍晴は行きたがっているから泣くだろうなあ、
でも私も泣きたいよ、
あのなかにはいつもより多い現金10万円近くと(長野帰りだったため多めに入れていた)、
キャッシュカードに銀行のカード、
免許証に龍晴の医療証、私と龍晴の保険証・・・あああとあれとこれと、
それにあの財布は夫がたんじょうびにプレゼントしてくれたものだし、
うわあああ、と思いながらふと携帯を見ると、
同じ局番から何度も電話がきていて留守番電話も入っている。
もしや?と思い留守電をきくと、
京王ホテルのフロントの方が、折り返しが欲しいという。
も、もしかして???
そう、あったのです。
もうすべて諦めていたのだけれども、
私の財布。
落としたと思われる場所の傍のソファに置いてあったものを
どなたかが(権利放棄をされたそうで名前もわからないのだけれども)
拾って、フロントに届けてくださったのだとか。
幾人かの善意あるひとの手を渡り、
また私のもとに戻ってきたのです。
いろいろなことを想定して
真っ暗な気持ちでいただけに
もう涙が出そうなくらいうれしくて、
夫とも、よかったねよかったね、これはたのしい休日を過ごしなさいという神様からのプレゼントかも知れないね、これを教訓にしないといけないよねといいあい、
龍晴にも、おさいふがみつかってほんっとうによかったよねえ、などといわれ、
ほうっと深い安堵のためいきをついたのであった。
どなたかわからないのだけれども
ほんとうにありがとうございました。
あなた(がた)のおかげで、
たのしい休日のまま、いちにちを終えることができます。
素晴らしい対応をしてくださった
フロントの方にもたくさんの感謝を。
洗濯機をみるのはやめにして、
荻窪へ。
いつもよりは短い時間だったけれども
温泉に入り、いつものような週末となったのであった。
さて明日からまた一週間。
かようびから長野へ行き、
今日、東京に戻ってきた。
東京の空気はほうっとする。
もう東京での暮らしも今年で21年目。
長野での19年間をもう通り越してしまった。
東京はとうに私にとっては
「帰る」場所だ。
それは長野が「行く」場所であるように。
とても自然に。
それでも新幹線「あさま」が発車するときに流れる車内の音楽や
ときおりふと胸をよぎるくるりの「東京」のメロディには
やっぱり胸をゆさぶられるし
碓氷峠を越えて右手に浅間山が見えると
ふるさとの村からは決して見えない山なのに
その稜線をああ長野だなあと思う。
今回の帰省は
そんな「あさま」ではなく
龍晴のリクエストで「あずさ」に乗った。
山梨県のあたりの雪はやはり凄く
潰れた屋根をあちこちで見た。
龍晴は旅程のはんぶんを眠って過ごし、
残りのはんぶんを、ごはんを食べたり
うしろの席のご夫婦に遊んでもらったり
車窓を眺めたりして過ごす。
たのしい旅だった。
松本では弟夫婦の家に寄り、
龍晴の従妹であるところの姪っ子、あーちゃんと初対面をする。
あーちゃんは7月産まれなのだが
11月の終わりまで、沖縄に帰省?していたのだ。
弟のいえからも職場からも車で5分ほどの浅間温泉に
両親と弟一家、そして龍晴と私で泊まることになっていたのだが
弟は急患でやってきたのは深夜のことだったらしい。
青白い顔のまま朝食をかきこみ、
龍におおきくなったなあ、とふたことみこと声をかけて
また出て行った。
世の中にはいろいろな仕事があるが
小児科医というのはほんとうにたいへんな仕事のひとつだと
弟を見ていていつも思う。
弟の奥さんは育休中だが同じ仕事なので
(しかもふたりともいまは大学病院に勤務している)
たいへんな仕事のひとがふたりもひとつの家庭にいるということだ。
すごすぎる。ううむ。
そんな弟を尻目に温泉でのんびりと過ごす。
両親は龍晴とあーちゃん、ふたりの孫に囲まれて
楽しそうに見える。
弟の奥さんのMさんとは、
忙しい夫を持つ妻同士、「平日母子家庭組」として
おおいに共感できる部分があり
話しも弾んだ。
今年の豪雪は長野も松本も40年にいちどのこと、だったそうで、
もともと雪深くない松本もまだあちこち雪だらけだった。
いわんや長野をや。
一泊してから移動した長野の実家も
雪まみれである。
ガソリンスタンドを更地にしたところが一面雪だらけで、
父がそこに龍晴が遊べるようにと
そり用の滑り台をつくってくれた。
標高2メートルくらいの高さの、なかなか立派な台である。
しかし龍晴は、そりよりも雪かきのスコップで
雪かきをしたり、
それを車に見立てて歩くことが楽しいらしく
お義理のように数回そりをしただけで
ずうっとスコップで遊んでいる。
そんな龍晴を見て、
子どもっておもしろいもんだなあ、
と父は笑っていた。
かまくらもつくってくれたのだが、
龍晴が入るにはすこし小さい。
龍晴はよつんばいで入って、ちいさい!などといっていたのだが、
りゅうちゃん、どうかな?などと父にいわれると、
もっとおおきいのがいい!
じいじがんばってー!などといい、
参ったなあと父は苦笑いをしながら
結局、大きいかまくらをつくっていた。
このようにして祖父母というものは孫に翻弄されていくのであろう。
滞在期間中、半分以上が雨の予報だったのだが
結局、本格的に雨が降ることはいちどもなく、
毎日、午前中は雪でたくさん遊び、
午後は温泉に連れて行ってもらい、
龍晴は大満足の毎日である。
そりやかまくらをつくってもらい、
じいじ株はストップ高。
龍晴は「ごっこ遊び」が大好きで、
毎日何十回もいろいろなキャラに変身するのだが、
「じいじになった!」といって
長野にいるあいだは殆ど「じいじ」キャラで過ごしていた。
りゅうは、尊敬したり気に入っているひとになりたがるんだよ、
というと、
(実際その通りなのだが)
父はまんざらでもない様子である。
もくようびにはMさんがあーちゃんを連れて
松本から遊びにきてくれた。
温泉のときよりもたくさん話す。
お互いに迷ったり悩んだりしていることを話したりして
たのしい時間。
母もMさんやあーちゃんのことで
すこし悩んでいたところがあるのだが
それも払拭されつつあるようで
うれしく思う。
どようびの昼の新幹線で東京へ。
きんようびから新潟に出張していた夫が東京に戻る新幹線が
偶然、私たちが東京に到着した10分後に入線だったので
東京駅で待っていることにする。
ホームに突然現れた夫に、
龍晴は最初、だれだかわからない、という雰囲気だったが
とうさんだ!とわかると
ぎゅうっと抱きついていてかわいらしかった。
そのままみんなで中央線で帰宅する。
龍晴はいえに着くと
気に入りのおもちゃをひとつひとつ出しては
暫く遊んでいた。
夫は夕方、フットサルへ。
3/2(日)
洗濯機を買い変えることにしているので、
量販店に下見に行こうと昼前にいえを出る。
バスで新宿へ。
せっかくなら景色がきれいなところでランチにしようかと
三角ビルに行き、
イタリアンで食事をする。
龍晴はおべんとう。
残念ながらそぼふる雨で視界は悪かったのだが
たのしい時間を過ごす。
京王ホテルのカフェでお茶をしつつ
龍晴はお昼寝。
1時間ほど寝たところで、
そろそろ行こうか、と夫に私の財布で会計をしてもらおうとすると
財布がない。
どこを探してもない。
えええ。
イタリアンで会計をしてから
財布はバッグに入れていて、
ただ京王ホテルのつるし雛の展示を背景に龍晴の写真を撮ったときに
バッグのなかからいくつかものが落ちたので
もしかしたらホテルで落とした可能性もゼロではない。
しかしフロントにも届いていないという。
くらーい気持ちで、
しかし龍晴の手前、そこまでくらーくなることはできないので
一応は明るくふるまいながら、
念のためイタリアンまで戻ったり、
三角ビルの警備室に寄ったりし、
さて西口の交番へ一応届けようか、
もう量販店の下見どころではないし
夕方に行こうといっていた荻窪のスーパー銭湯どころではもっとない。
龍晴は行きたがっているから泣くだろうなあ、
でも私も泣きたいよ、
あのなかにはいつもより多い現金10万円近くと(長野帰りだったため多めに入れていた)、
キャッシュカードに銀行のカード、
免許証に龍晴の医療証、私と龍晴の保険証・・・あああとあれとこれと、
それにあの財布は夫がたんじょうびにプレゼントしてくれたものだし、
うわあああ、と思いながらふと携帯を見ると、
同じ局番から何度も電話がきていて留守番電話も入っている。
もしや?と思い留守電をきくと、
京王ホテルのフロントの方が、折り返しが欲しいという。
も、もしかして???
そう、あったのです。
もうすべて諦めていたのだけれども、
私の財布。
落としたと思われる場所の傍のソファに置いてあったものを
どなたかが(権利放棄をされたそうで名前もわからないのだけれども)
拾って、フロントに届けてくださったのだとか。
幾人かの善意あるひとの手を渡り、
また私のもとに戻ってきたのです。
いろいろなことを想定して
真っ暗な気持ちでいただけに
もう涙が出そうなくらいうれしくて、
夫とも、よかったねよかったね、これはたのしい休日を過ごしなさいという神様からのプレゼントかも知れないね、これを教訓にしないといけないよねといいあい、
龍晴にも、おさいふがみつかってほんっとうによかったよねえ、などといわれ、
ほうっと深い安堵のためいきをついたのであった。
どなたかわからないのだけれども
ほんとうにありがとうございました。
あなた(がた)のおかげで、
たのしい休日のまま、いちにちを終えることができます。
素晴らしい対応をしてくださった
フロントの方にもたくさんの感謝を。
洗濯機をみるのはやめにして、
荻窪へ。
いつもよりは短い時間だったけれども
温泉に入り、いつものような週末となったのであった。
さて明日からまた一週間。