2/3(月)
節分。
節分日和、というべきか
春のようにあたたかいいちにち。
朝、みんなで豆まきをする。
龍晴もおにはそと、ふくはうち、といいながら
豆をまく。
今日はスイムの日なので
朝のさんぽは軽めに、近くのクリーニング屋さんと
スーパーマーケットへ。
区役所で不在者投票を済ませ
(龍晴はせんきょだせんきょだ、と喜んでいる)
線路が見える場所でおひるごはんを食べてる。
今日はあたたかいのでそとでごはんを食べても
ちっとも寒くない。
スイムは1週間あいているせいもあり
龍晴はいつも以上におおはしゃぎである。
終了後、お昼寝。
1時間弱で目覚め、
龍晴のリクエストで傍にあるホームセンターへ行き、
いえに帰る途中の神社で遊ぶ。
町内会の方々が豆まきをしていて
子どもたちがかなりの数いて、龍晴はうれしそうにしている。
滑り台などを子どもたちに混じってたくさんする。
スーパーマーケットに寄ってから帰宅する。
2/4(火)
やっと雪が降りそうになってきた。
ゆきがふったらゆきだるまをつくろう?と
今日も龍晴はいっていて、
パント!という、龍晴が唯一見ているテレビ番組「おかあさんと一緒」の、
パントマイムコーナーの「雪だるまの回」を
朝から自分でアレンジしたりしている。
午前中は冷たい雨。
サンモール商店街まで歩き、
おべんとう箱を売っているお店に寄り、
(しかし今日はお休みだった)
本屋さんに寄り、
皮膚科で診察をしてもらい、
スーパーマーケットに寄ってから帰宅する。
お昼ごはんは
ビニールシートのようなものを敷いて
ピクニックごっこをしながら。
ピクニックしようか?というと龍晴は
目をきらきらとさせて、
うん!とこたえる。
そのかわいらしいことといったら。
お昼寝は1時間半ほど。
抱っこをしていたらまた眠りそうで
しかし今日のようにあまり外出ができないような陽気だと
たくさん眠りすぎても困りものである。
それとなく眠らないように誘導し、
いえのなかでたくさん遊ぶ。
雪が降ってきた。
りゅう、ゆき!というと
これがゆきか~などといっている。
そうだよね。
去年も雪遊びはしているのだけれども
記憶に残る、これが龍晴にとっての初雪になるのかも知れない。
ベランダの窓をあけて雪に触る。
冷たい!と龍晴。
暫くするとたくさん降ってきたので、
雪のなかを探検にいこう!と出かける。
近くのカフェまで行き、
お休みだったのでまたいえに戻ってきただけだが
それでもぼたん雪に近い雪が舞うなか、
たのしいさんぽになった。
雪がまだ積もっている。
明日はそりあそびができるかな。
2/5(水)
と思ったら。
積もっているはずの雪がまったくなかった。
朝。
久しぶりに屋上にあがってみるも
近所をまわってみるも
雪のかけらも殆どない状態。
とはいえ氷が厚めに張っているので
龍晴と夫と氷のうえを歩いたりして遊ぶ。
念のためにもっていこう?と
そりを持って新井薬師の公園へ行ったのだが
やはり雪はまったくなく
気に入りのSLのかたちのコンビカーと
黄色のバイクに乗って暫く遊ぶ。
それにしても寒い。
とてもとても寒い。
やってきた保育園の子たちが
15分もせずに退散するほどに寒い。
どうする?とたずねても
まだあそぶー!と龍晴は元気だ。
11時の開店を待ってポーコアポーコさんへ。
なかなかからだがあたたまらないが
あたたかいスープをいただき、
ほんのりとする。
帰宅途中にお昼寝をはじめた龍晴だが
スーパーマーケットの入り口で
ぱっちりと目を開けてしまった。あらら。
眠くない!というので
そのまま起き、
今日の昼寝は結局、5分ほど。
済ませたい家事もあったので
体力温存も兼ねて午後はいえでたくさん過ごす。
龍晴はブロックをつくったり
ひとりで長い時間・・・2時間近くだろうか。
途中の外出を挟んだが、ずうっとひとりで遊んでいる。
そうして19時半前にぱたんと眠る。
疲れたよね。
ゆっくりおやすみ。龍晴。
2/6(木)
底冷えのするいちにち。
どうぶつえんかにこにこパークへでも行こうかなと思っていたのだが
週末に雪が降るらしく、
龍晴の雪の備えが殆どないので
そのための装備?を買っておかねばならない。
今日は買物日と決めて出かける。
近くのスーパーマーケット、サンモール商店街のお店、
マルイなどをあちこち梯子をし、
またスーパーマーケットに戻り、
そこのパン屋さんのイートインコーナーで
お昼ごはんとする。
龍晴はそのお店のパンと持ってきたおべんとう。
お昼寝後は高円寺へ。
中野のお店の支店が高円寺にあり、
そのお店になら求めていた商品があることがわかったので
出張する。
バスに乗りたい!と龍晴がいうので
いえの傍のバス停からバスを乗り継いで行く。
運転席の近くに座ったのだが
運転手さんが子ども好きでかつ親切な方で、
いろいろと便宜を図ってくれたり
龍晴の話しを聞いてくれたりする。
うれしい。
高円寺の店で目当てのものを購入し、
公園で遊びたい、というので
先日行った公園へ。
寒いせいか時間のせいか(16時ちょうど)、
ひとっこひとりいない。
まさに閑散、ということばがぴったりである。
龍晴はそれでも楽しそうに
すべりだいやいくつかの遊具で遊び、
砂場のそばでお店屋さんごっこをしたりする。
そろそろ帰るよ、というときに
なかなか帰らず、
青いカフェ(いえの近くのカフェ)へ行きたいといっていたのに
このままではいけないよ?
今日は行かなくていい?とたずねると、
カフェには行かない!とこたえ
暫くすべりだいで遊んでいる。
何度か確認したのだがそれでも遊んでいるので
いえに帰るぎりぎりの時間まで遊ばせていると、
はっと気付いたらしく、
青いカフェへいこう!といまごろになって言い出す。
りゅうー、もう青いカフェ、終わっちゃったよ?というと、
いきたいー!と号泣。
いやー、いきたいっていわれてもねえ、
いまいかないと終わっちゃうよって何度も声をかけたよねえ?と
諭すも効き目なし。
しかし泣きやむのを待つほど時間に余裕もないので
泣いた龍晴の手を引きながら
いきたい!でもねえ、というのを繰り返しながら歩いていると、
見かねたらしい老夫婦が
気分転換にどうぞ、と、龍晴に飴を握らせてくれた。
まだあげちゃいけないなら、ママがなめてね、と注釈をつけて。
こういう気遣いって素敵だなあと思う。
実際、そのことで龍晴の気持ちは紛れてリセットできたし、
私もあたたかいご夫婦の様子にほうっとしたし、
まだあげちゃいけないなら・・・というひとことも、
わかってるなあ、という感じでよかったとおもう。
私もこういう気遣いをしたい。
元気になった龍晴は
中野駅から元気に歩き、
さらには追いかけっこしよう!といいながら走っていた。
2/7(金)
それにしても寒い。
今年は去年より、寒い気がする。
長野の母にたずねると
長野も例年より寒いという。
しかし今年は雪は殆ど降っていないらしい。
月末頃に長野に行くのだが
せっかく行っても雪がないのはつまらない。
龍晴が遊べるようにソリをamazonで買って長野に配送してあるのだが。
日のめを見ることはできるのだろうか。
午前中は新井薬師へ。
お寺で参拝をしてから
公園に朝10時前に到着すると、
しーん・・・ということばがぴったりの閑散っぷりである。
だれもいなーい!と龍晴。
児童館でSLのかたちのコンビカーを借り、
公園中を走りまわる。
暫くすると保育園の子たちが何組か来たので
場は賑やかになってきた。よかった。
滑り台をしたり、砂場で遊んだりする。
龍晴が砂場で「餅つき」をしていると、
1歳半くらいの子がやってきて
「餅」を破壊しまくる。
龍晴はたまらず号泣。
男の子も「餅」の破壊にこだわりを憶えてしまったらしく
母親にひきはがされて号泣。
お互いにその場所、にこだわって埒が明かないので
暫くぎゅうっとしてから、
りゅう、あっちのほうで餅つきしよう?と別の場所を伝え、
最初は嫌がっていたがそれでもいいよ、と移動できた。
えらかったね、りゅう。
1時間半ほど遊び、
ポーコアポーコさんへ。
冷え切ったからだにあたたかい料理とあたたかいおもてなしは染みる。
そろそろかえるよ?と伝えておいたあたりで
龍晴は自分から、片づける!と借りていたおもちゃをしまいはじめ、
ここでも成長を実感。
どんどん成長しているのだな。
抱っこをしながら帰宅途中に
あちこちで買物を済ませる。
龍晴は抱っこのままお昼寝。
目覚めてからいえで暫く遊び、
皮膚科へ。
アトピー性皮膚炎も今回は初動が良かったらしく
酷くなりすぎずに済んだらしい。
ほうっとする。
本屋さんに寄ったり、
スーパーマーケットに寄ったりしながら帰宅。
明日の雪に備えて買物をしなくて済むようにしておく。
そう。
明日こそほんとうに雪が降るらしい。
それもかなりたくさんんの。
その結果、なにかが大変になるひとも多々いるのだろうけれども。
とりあえず、うれしい。
少なくともわが家にとって。
2/8(土)
朝、起きると。
既に雪が降りはじめている。
雪だ。
いよいよ雪だ。
しかし今日は病院で検査があるため、
またはらはらと降る雪、ではなく
かなりの風雪らしいので
晴れる明日に雪遊びはまわすことにして
まずは病院へ。
朝8時に警察病院に到着。
雪が降っていることもあり、
タクシーで行く。
龍晴はタクシーに乗ることと
警察病院へ行くことが好きなので
好きなことが重なり、とても喜んでいる。
今日もまた警察病院の入り口の
タクシー寄せまでもうすこし、というところで
こちらでけっこうです、おせわさまです~と
やたらとはきはきと言い、
運転手さんを戸惑わせている。
予約をしてから
朝ごはんを食べに9階のレストランへ。
雪景色を見ながら朝ごはんを食べる。
今日は検査があるため、
夫も同伴だ。
夫といっしょにここでごはんを食べるのは
龍晴の出産のとき以来だ。
いまは私と夫のあいだにその龍晴が座り
いっしょにごはんを食べている。
ふわあっと。私のこころがゆるやかになる。
なつかしい。
あたたかい。
そんなふうな。
今日は外科に、
乳癌の検査を受けにきた。
先日、いつもお世話になっている助産院へ
最後の卒乳チェックに行ったのだが。
Kさん、もう病院へ行った?とチェックをしながら
堤先生にいわれた。
先生がいうところの病院、とは、乳癌の検査を受ける病院のことで、
前回も前々回も・・・3ヵ月前のチェックのときから何度も
同じことをいわれている。
行ってないです、春くらいに人間ドックに行こうかと思っているので、
とこたえると、
んー、早めに検査を受けたほうがいいわよー、とおっしゃる。
難しいかおをしながら、
あのね、ここに腫瘍があるから。
と左胸をさして。
私にとって腫瘍というのは、
遠くないものだ。
遠くない。
というか、かといって親しい、ということでもないのだが、
またきたか、という程度の。
私は腫瘍ができやすい体質のように思う。
胃カメラを飲むたびに腫瘍が見つかるし
(そうして胃の場合はいつも良性だ)
数年前にマンモグラフィを撮ったときも
良性の腫瘍が見つかった。
さらに遡れば、子宮頸癌も患っている。
これは悪性だったし、
そう考えると、立派な?腫瘍体質、だろう。
そんなものが医学的に存在するかはわからないのだけれども。
だから、というかなんというか、
腫瘍があるから、というのは、
良性か悪性かも含めて、
ああそうですか、と、
冷静に捉えられるもののひとつでもある。
少なくとも私にとって。
そうして今回は左胸。
恐らくは良性だと堤先生もおっしゃるし、
私自身も過去の腫瘍づきあいからそう思うのだが、
念のため、検査に行くことにする。
夫に暫く前にそれを伝えると
ことのほか・・・少なく見積もっても私の30倍くらいは焦り、
いますぐにでも検査に行け、病院に行け、と
いった。
そういうところを私は好きだなと思う。
夫の好きなところ。
そうねえ、今月、予約がとれなければ
来月に行くね、と。
その時点ではまだのんびりというと、
怒り気味に、いますぐ行った方がええんちゃうの!?と
いうところも。
そんなわけで急いで検査をすることにした。
ちなみに検査を受けるんだ、ということを
今日、本当は会うことになっていた友人にも伝えたのだが
彼女も私以上に私のことを心配してくれていて
ありがたく思う。
ところで今回の検査は、
龍晴を連れていけるところ(内診とエコー検査)と
いけないところ(マンモグラフィ)があるので、
夫にも同伴してもらう。
朝いちばんで行っただけあり、
また奇しくも?大雪で病院が空いていたこともあり
あっという間にいろいろなことが終わり、
そうして案の定、
なんともありませんね、という結果だった。
ほうっとする。
夫は私の姿を会計のあたりで見つけるや
おおきなこえで
どうやった?とまた焦ってたずねる。
だいじょうぶだって、と伝えると
よかったやん、とやっと落ち着いた様子。
龍晴は私がいないあいだ、
本屋さんで素敵な本を見つけたり
夫がいるときだけ飲める野菜ジュースを飲ませてもらったりして
ご機嫌に過ごしていたらしい。
よかった。
仕事に行く夫とともに、
みんなで高田馬場へ行き、
龍晴と少し買物をしてから
夫の事務所へ。
1時間ほど龍晴は遊び、
夫とお昼ごはんを食べ、
夫の事務所で龍晴はお昼寝。
目覚めてからタクシーで龍晴とふたり中野に戻り、
マルイで龍晴の手袋と私のブーツを買ってから
帰宅する。
屋上で龍晴と雪遊び。
雪だるまをたくさんつくる。
さらさらの粉雪で
今日の雪は全然固まらない。
夫のフットサルはさすがに中止である。
そんなふうにいちにちが流れていき
終わろうとするなかで
ときどきふうっと感慨にふける。
生きていること。
私がこのいのちの長さについて真剣に考えたのは
これまでに4回、だと思う。
阪神と東北のふたつの震災。
以前勤めていた会社の同期には
阪神大震災のときに神戸で大学生だった友だちが何人もいる。
そのうちのひとり、Uくんは
助けて、という友だちを目の前で亡くしている。
燃え盛る炎にどうすることもできなかったひとりだ。
あのなあ、ナオちゃん。
太く長く生きるってことばがあるやろう。
でもな、人生の長さは自分ではどうしようもないねん。
でも太いか細いかだけは、自分で決められる。
やから俺は、太く生きようと思ってん。
明日、後悔しないために。
酔っぱらうとUくんは
そんなことを教えてくれた。
そうして私は、生きる、ことについて
その意味について。
そのときに真剣に考えた。
それから10年経ったころ。
私は子宮頸癌になった。
といってもごく初期のもので
癌部を切除してしまえばいのちに別条はない。
ただ切除することで失うこと、
可能性が低くなることもある。
(それがたとえば妊娠の可能性で、
そのことについて真剣に考えたのはもっとずっと後のことだ)
でも切除しないと、いずれいのちに関わるだろう。
癌が見つかった段階で、
私には切除以外の選択肢はなかった。
私の家族はいわゆる癌家系で、
しかし現代はもはや癌家系というのは死語のように
癌が多い時代でもある。
ただ肺癌だった父を筆頭に、卵巣癌やら胃癌やらすい臓癌やら、
まわり中癌だらけだったので、
だから自分もいつか、
その病気になるだろうとは思っていた。
それでも30代半ばを前にして
その告知を受けるとも思っていなかった。
癌だ、ということがわかった病院からの帰り道。
当時は恋人だった夫に電話をしながら
私は泣いた。
自分が癌であること、が、
やはり重かったのだ。
それが癌とはいえないくらいの初期のものであってすらも。
大丈夫や、
切ってしまえば心配あれへん、と
そのとき夫はいったと思う。
その夫の声に私はどれだけ救われただろう。
夫の声に。存在に。
そのときのあれこれが
私が自分のいのちの長さと
さらにきることの意味について考え
生きかたそのものを大きく変えていく契機になっている。
そうしてもうひとつは
龍晴の誕生。
さずかったときだけでも
うまれたときだえでもなく。
龍晴を見ていると
日々、それこそ毎日のように
自分のいのちについても考える。
私はいったいいつまで
龍晴のことを見ていられるのだろう?
もう必要ないよといわれる年齢まで
果たして生きていられるのだろうか?
そんなふうに。
でも少なくとも。
私はいま生きている。
いくつかのことを乗り越え
さらにこの先にもいくつかのことがあるだろう。
それがどんなことなのか
想像していることもあるし
想像を超えていることもあるだろう。
いつだって思うのだ。
今日を生きれば明日になること。
明日を生きれば明後日になること。
未来はそのつながりであること。
たいせつなひとをたいせつに。
自分自身もたいせつに。
生きること。
それが私にとって
生きることの意味。
2/9(日)
雪だ!
朝。
カーテンを開けて思わず息をのむ。
ここはどこの国でしょう?というような
たくさんの雪に覆われた世界。
りゅう、ゆき!というと
わああ、とこたえる龍晴。
こんなにたくさんの雪を
おそらく脳裏にきちんと残るであろう年齢に
見せることができてうれしく思う。
午前中は新井薬師へ。
築山でそり滑りをしたり、
雪だるまをつくったりする。
いえに戻り、
お昼ごはんとお昼寝。
午後は平和の森へ。
おおきめの山でそり滑りをたくさんし、
龍晴はひとりでたくさん滑ったり、
そりにうつぶせになってあたまから滑ったり!もしたりして
たくさん楽しむ。
とても楽しかったらしく、
夜、寝る前に、
うふふうふふと思い出し笑いをたくさんしていた。
よかったね、龍晴。
雪がふったらまた
雪遊びをしよう。
節分。
節分日和、というべきか
春のようにあたたかいいちにち。
朝、みんなで豆まきをする。
龍晴もおにはそと、ふくはうち、といいながら
豆をまく。
今日はスイムの日なので
朝のさんぽは軽めに、近くのクリーニング屋さんと
スーパーマーケットへ。
区役所で不在者投票を済ませ
(龍晴はせんきょだせんきょだ、と喜んでいる)
線路が見える場所でおひるごはんを食べてる。
今日はあたたかいのでそとでごはんを食べても
ちっとも寒くない。
スイムは1週間あいているせいもあり
龍晴はいつも以上におおはしゃぎである。
終了後、お昼寝。
1時間弱で目覚め、
龍晴のリクエストで傍にあるホームセンターへ行き、
いえに帰る途中の神社で遊ぶ。
町内会の方々が豆まきをしていて
子どもたちがかなりの数いて、龍晴はうれしそうにしている。
滑り台などを子どもたちに混じってたくさんする。
スーパーマーケットに寄ってから帰宅する。
2/4(火)
やっと雪が降りそうになってきた。
ゆきがふったらゆきだるまをつくろう?と
今日も龍晴はいっていて、
パント!という、龍晴が唯一見ているテレビ番組「おかあさんと一緒」の、
パントマイムコーナーの「雪だるまの回」を
朝から自分でアレンジしたりしている。
午前中は冷たい雨。
サンモール商店街まで歩き、
おべんとう箱を売っているお店に寄り、
(しかし今日はお休みだった)
本屋さんに寄り、
皮膚科で診察をしてもらい、
スーパーマーケットに寄ってから帰宅する。
お昼ごはんは
ビニールシートのようなものを敷いて
ピクニックごっこをしながら。
ピクニックしようか?というと龍晴は
目をきらきらとさせて、
うん!とこたえる。
そのかわいらしいことといったら。
お昼寝は1時間半ほど。
抱っこをしていたらまた眠りそうで
しかし今日のようにあまり外出ができないような陽気だと
たくさん眠りすぎても困りものである。
それとなく眠らないように誘導し、
いえのなかでたくさん遊ぶ。
雪が降ってきた。
りゅう、ゆき!というと
これがゆきか~などといっている。
そうだよね。
去年も雪遊びはしているのだけれども
記憶に残る、これが龍晴にとっての初雪になるのかも知れない。
ベランダの窓をあけて雪に触る。
冷たい!と龍晴。
暫くするとたくさん降ってきたので、
雪のなかを探検にいこう!と出かける。
近くのカフェまで行き、
お休みだったのでまたいえに戻ってきただけだが
それでもぼたん雪に近い雪が舞うなか、
たのしいさんぽになった。
雪がまだ積もっている。
明日はそりあそびができるかな。
2/5(水)
と思ったら。
積もっているはずの雪がまったくなかった。
朝。
久しぶりに屋上にあがってみるも
近所をまわってみるも
雪のかけらも殆どない状態。
とはいえ氷が厚めに張っているので
龍晴と夫と氷のうえを歩いたりして遊ぶ。
念のためにもっていこう?と
そりを持って新井薬師の公園へ行ったのだが
やはり雪はまったくなく
気に入りのSLのかたちのコンビカーと
黄色のバイクに乗って暫く遊ぶ。
それにしても寒い。
とてもとても寒い。
やってきた保育園の子たちが
15分もせずに退散するほどに寒い。
どうする?とたずねても
まだあそぶー!と龍晴は元気だ。
11時の開店を待ってポーコアポーコさんへ。
なかなかからだがあたたまらないが
あたたかいスープをいただき、
ほんのりとする。
帰宅途中にお昼寝をはじめた龍晴だが
スーパーマーケットの入り口で
ぱっちりと目を開けてしまった。あらら。
眠くない!というので
そのまま起き、
今日の昼寝は結局、5分ほど。
済ませたい家事もあったので
体力温存も兼ねて午後はいえでたくさん過ごす。
龍晴はブロックをつくったり
ひとりで長い時間・・・2時間近くだろうか。
途中の外出を挟んだが、ずうっとひとりで遊んでいる。
そうして19時半前にぱたんと眠る。
疲れたよね。
ゆっくりおやすみ。龍晴。
2/6(木)
底冷えのするいちにち。
どうぶつえんかにこにこパークへでも行こうかなと思っていたのだが
週末に雪が降るらしく、
龍晴の雪の備えが殆どないので
そのための装備?を買っておかねばならない。
今日は買物日と決めて出かける。
近くのスーパーマーケット、サンモール商店街のお店、
マルイなどをあちこち梯子をし、
またスーパーマーケットに戻り、
そこのパン屋さんのイートインコーナーで
お昼ごはんとする。
龍晴はそのお店のパンと持ってきたおべんとう。
お昼寝後は高円寺へ。
中野のお店の支店が高円寺にあり、
そのお店になら求めていた商品があることがわかったので
出張する。
バスに乗りたい!と龍晴がいうので
いえの傍のバス停からバスを乗り継いで行く。
運転席の近くに座ったのだが
運転手さんが子ども好きでかつ親切な方で、
いろいろと便宜を図ってくれたり
龍晴の話しを聞いてくれたりする。
うれしい。
高円寺の店で目当てのものを購入し、
公園で遊びたい、というので
先日行った公園へ。
寒いせいか時間のせいか(16時ちょうど)、
ひとっこひとりいない。
まさに閑散、ということばがぴったりである。
龍晴はそれでも楽しそうに
すべりだいやいくつかの遊具で遊び、
砂場のそばでお店屋さんごっこをしたりする。
そろそろ帰るよ、というときに
なかなか帰らず、
青いカフェ(いえの近くのカフェ)へ行きたいといっていたのに
このままではいけないよ?
今日は行かなくていい?とたずねると、
カフェには行かない!とこたえ
暫くすべりだいで遊んでいる。
何度か確認したのだがそれでも遊んでいるので
いえに帰るぎりぎりの時間まで遊ばせていると、
はっと気付いたらしく、
青いカフェへいこう!といまごろになって言い出す。
りゅうー、もう青いカフェ、終わっちゃったよ?というと、
いきたいー!と号泣。
いやー、いきたいっていわれてもねえ、
いまいかないと終わっちゃうよって何度も声をかけたよねえ?と
諭すも効き目なし。
しかし泣きやむのを待つほど時間に余裕もないので
泣いた龍晴の手を引きながら
いきたい!でもねえ、というのを繰り返しながら歩いていると、
見かねたらしい老夫婦が
気分転換にどうぞ、と、龍晴に飴を握らせてくれた。
まだあげちゃいけないなら、ママがなめてね、と注釈をつけて。
こういう気遣いって素敵だなあと思う。
実際、そのことで龍晴の気持ちは紛れてリセットできたし、
私もあたたかいご夫婦の様子にほうっとしたし、
まだあげちゃいけないなら・・・というひとことも、
わかってるなあ、という感じでよかったとおもう。
私もこういう気遣いをしたい。
元気になった龍晴は
中野駅から元気に歩き、
さらには追いかけっこしよう!といいながら走っていた。
2/7(金)
それにしても寒い。
今年は去年より、寒い気がする。
長野の母にたずねると
長野も例年より寒いという。
しかし今年は雪は殆ど降っていないらしい。
月末頃に長野に行くのだが
せっかく行っても雪がないのはつまらない。
龍晴が遊べるようにソリをamazonで買って長野に配送してあるのだが。
日のめを見ることはできるのだろうか。
午前中は新井薬師へ。
お寺で参拝をしてから
公園に朝10時前に到着すると、
しーん・・・ということばがぴったりの閑散っぷりである。
だれもいなーい!と龍晴。
児童館でSLのかたちのコンビカーを借り、
公園中を走りまわる。
暫くすると保育園の子たちが何組か来たので
場は賑やかになってきた。よかった。
滑り台をしたり、砂場で遊んだりする。
龍晴が砂場で「餅つき」をしていると、
1歳半くらいの子がやってきて
「餅」を破壊しまくる。
龍晴はたまらず号泣。
男の子も「餅」の破壊にこだわりを憶えてしまったらしく
母親にひきはがされて号泣。
お互いにその場所、にこだわって埒が明かないので
暫くぎゅうっとしてから、
りゅう、あっちのほうで餅つきしよう?と別の場所を伝え、
最初は嫌がっていたがそれでもいいよ、と移動できた。
えらかったね、りゅう。
1時間半ほど遊び、
ポーコアポーコさんへ。
冷え切ったからだにあたたかい料理とあたたかいおもてなしは染みる。
そろそろかえるよ?と伝えておいたあたりで
龍晴は自分から、片づける!と借りていたおもちゃをしまいはじめ、
ここでも成長を実感。
どんどん成長しているのだな。
抱っこをしながら帰宅途中に
あちこちで買物を済ませる。
龍晴は抱っこのままお昼寝。
目覚めてからいえで暫く遊び、
皮膚科へ。
アトピー性皮膚炎も今回は初動が良かったらしく
酷くなりすぎずに済んだらしい。
ほうっとする。
本屋さんに寄ったり、
スーパーマーケットに寄ったりしながら帰宅。
明日の雪に備えて買物をしなくて済むようにしておく。
そう。
明日こそほんとうに雪が降るらしい。
それもかなりたくさんんの。
その結果、なにかが大変になるひとも多々いるのだろうけれども。
とりあえず、うれしい。
少なくともわが家にとって。
2/8(土)
朝、起きると。
既に雪が降りはじめている。
雪だ。
いよいよ雪だ。
しかし今日は病院で検査があるため、
またはらはらと降る雪、ではなく
かなりの風雪らしいので
晴れる明日に雪遊びはまわすことにして
まずは病院へ。
朝8時に警察病院に到着。
雪が降っていることもあり、
タクシーで行く。
龍晴はタクシーに乗ることと
警察病院へ行くことが好きなので
好きなことが重なり、とても喜んでいる。
今日もまた警察病院の入り口の
タクシー寄せまでもうすこし、というところで
こちらでけっこうです、おせわさまです~と
やたらとはきはきと言い、
運転手さんを戸惑わせている。
予約をしてから
朝ごはんを食べに9階のレストランへ。
雪景色を見ながら朝ごはんを食べる。
今日は検査があるため、
夫も同伴だ。
夫といっしょにここでごはんを食べるのは
龍晴の出産のとき以来だ。
いまは私と夫のあいだにその龍晴が座り
いっしょにごはんを食べている。
ふわあっと。私のこころがゆるやかになる。
なつかしい。
あたたかい。
そんなふうな。
今日は外科に、
乳癌の検査を受けにきた。
先日、いつもお世話になっている助産院へ
最後の卒乳チェックに行ったのだが。
Kさん、もう病院へ行った?とチェックをしながら
堤先生にいわれた。
先生がいうところの病院、とは、乳癌の検査を受ける病院のことで、
前回も前々回も・・・3ヵ月前のチェックのときから何度も
同じことをいわれている。
行ってないです、春くらいに人間ドックに行こうかと思っているので、
とこたえると、
んー、早めに検査を受けたほうがいいわよー、とおっしゃる。
難しいかおをしながら、
あのね、ここに腫瘍があるから。
と左胸をさして。
私にとって腫瘍というのは、
遠くないものだ。
遠くない。
というか、かといって親しい、ということでもないのだが、
またきたか、という程度の。
私は腫瘍ができやすい体質のように思う。
胃カメラを飲むたびに腫瘍が見つかるし
(そうして胃の場合はいつも良性だ)
数年前にマンモグラフィを撮ったときも
良性の腫瘍が見つかった。
さらに遡れば、子宮頸癌も患っている。
これは悪性だったし、
そう考えると、立派な?腫瘍体質、だろう。
そんなものが医学的に存在するかはわからないのだけれども。
だから、というかなんというか、
腫瘍があるから、というのは、
良性か悪性かも含めて、
ああそうですか、と、
冷静に捉えられるもののひとつでもある。
少なくとも私にとって。
そうして今回は左胸。
恐らくは良性だと堤先生もおっしゃるし、
私自身も過去の腫瘍づきあいからそう思うのだが、
念のため、検査に行くことにする。
夫に暫く前にそれを伝えると
ことのほか・・・少なく見積もっても私の30倍くらいは焦り、
いますぐにでも検査に行け、病院に行け、と
いった。
そういうところを私は好きだなと思う。
夫の好きなところ。
そうねえ、今月、予約がとれなければ
来月に行くね、と。
その時点ではまだのんびりというと、
怒り気味に、いますぐ行った方がええんちゃうの!?と
いうところも。
そんなわけで急いで検査をすることにした。
ちなみに検査を受けるんだ、ということを
今日、本当は会うことになっていた友人にも伝えたのだが
彼女も私以上に私のことを心配してくれていて
ありがたく思う。
ところで今回の検査は、
龍晴を連れていけるところ(内診とエコー検査)と
いけないところ(マンモグラフィ)があるので、
夫にも同伴してもらう。
朝いちばんで行っただけあり、
また奇しくも?大雪で病院が空いていたこともあり
あっという間にいろいろなことが終わり、
そうして案の定、
なんともありませんね、という結果だった。
ほうっとする。
夫は私の姿を会計のあたりで見つけるや
おおきなこえで
どうやった?とまた焦ってたずねる。
だいじょうぶだって、と伝えると
よかったやん、とやっと落ち着いた様子。
龍晴は私がいないあいだ、
本屋さんで素敵な本を見つけたり
夫がいるときだけ飲める野菜ジュースを飲ませてもらったりして
ご機嫌に過ごしていたらしい。
よかった。
仕事に行く夫とともに、
みんなで高田馬場へ行き、
龍晴と少し買物をしてから
夫の事務所へ。
1時間ほど龍晴は遊び、
夫とお昼ごはんを食べ、
夫の事務所で龍晴はお昼寝。
目覚めてからタクシーで龍晴とふたり中野に戻り、
マルイで龍晴の手袋と私のブーツを買ってから
帰宅する。
屋上で龍晴と雪遊び。
雪だるまをたくさんつくる。
さらさらの粉雪で
今日の雪は全然固まらない。
夫のフットサルはさすがに中止である。
そんなふうにいちにちが流れていき
終わろうとするなかで
ときどきふうっと感慨にふける。
生きていること。
私がこのいのちの長さについて真剣に考えたのは
これまでに4回、だと思う。
阪神と東北のふたつの震災。
以前勤めていた会社の同期には
阪神大震災のときに神戸で大学生だった友だちが何人もいる。
そのうちのひとり、Uくんは
助けて、という友だちを目の前で亡くしている。
燃え盛る炎にどうすることもできなかったひとりだ。
あのなあ、ナオちゃん。
太く長く生きるってことばがあるやろう。
でもな、人生の長さは自分ではどうしようもないねん。
でも太いか細いかだけは、自分で決められる。
やから俺は、太く生きようと思ってん。
明日、後悔しないために。
酔っぱらうとUくんは
そんなことを教えてくれた。
そうして私は、生きる、ことについて
その意味について。
そのときに真剣に考えた。
それから10年経ったころ。
私は子宮頸癌になった。
といってもごく初期のもので
癌部を切除してしまえばいのちに別条はない。
ただ切除することで失うこと、
可能性が低くなることもある。
(それがたとえば妊娠の可能性で、
そのことについて真剣に考えたのはもっとずっと後のことだ)
でも切除しないと、いずれいのちに関わるだろう。
癌が見つかった段階で、
私には切除以外の選択肢はなかった。
私の家族はいわゆる癌家系で、
しかし現代はもはや癌家系というのは死語のように
癌が多い時代でもある。
ただ肺癌だった父を筆頭に、卵巣癌やら胃癌やらすい臓癌やら、
まわり中癌だらけだったので、
だから自分もいつか、
その病気になるだろうとは思っていた。
それでも30代半ばを前にして
その告知を受けるとも思っていなかった。
癌だ、ということがわかった病院からの帰り道。
当時は恋人だった夫に電話をしながら
私は泣いた。
自分が癌であること、が、
やはり重かったのだ。
それが癌とはいえないくらいの初期のものであってすらも。
大丈夫や、
切ってしまえば心配あれへん、と
そのとき夫はいったと思う。
その夫の声に私はどれだけ救われただろう。
夫の声に。存在に。
そのときのあれこれが
私が自分のいのちの長さと
さらにきることの意味について考え
生きかたそのものを大きく変えていく契機になっている。
そうしてもうひとつは
龍晴の誕生。
さずかったときだけでも
うまれたときだえでもなく。
龍晴を見ていると
日々、それこそ毎日のように
自分のいのちについても考える。
私はいったいいつまで
龍晴のことを見ていられるのだろう?
もう必要ないよといわれる年齢まで
果たして生きていられるのだろうか?
そんなふうに。
でも少なくとも。
私はいま生きている。
いくつかのことを乗り越え
さらにこの先にもいくつかのことがあるだろう。
それがどんなことなのか
想像していることもあるし
想像を超えていることもあるだろう。
いつだって思うのだ。
今日を生きれば明日になること。
明日を生きれば明後日になること。
未来はそのつながりであること。
たいせつなひとをたいせつに。
自分自身もたいせつに。
生きること。
それが私にとって
生きることの意味。
2/9(日)
雪だ!
朝。
カーテンを開けて思わず息をのむ。
ここはどこの国でしょう?というような
たくさんの雪に覆われた世界。
りゅう、ゆき!というと
わああ、とこたえる龍晴。
こんなにたくさんの雪を
おそらく脳裏にきちんと残るであろう年齢に
見せることができてうれしく思う。
午前中は新井薬師へ。
築山でそり滑りをしたり、
雪だるまをつくったりする。
いえに戻り、
お昼ごはんとお昼寝。
午後は平和の森へ。
おおきめの山でそり滑りをたくさんし、
龍晴はひとりでたくさん滑ったり、
そりにうつぶせになってあたまから滑ったり!もしたりして
たくさん楽しむ。
とても楽しかったらしく、
夜、寝る前に、
うふふうふふと思い出し笑いをたくさんしていた。
よかったね、龍晴。
雪がふったらまた
雪遊びをしよう。