12/2(月)
土曜日から携帯電話が故障している。

かなり支障はあるが
なければないで過ごせるのが
携帯電話というものである。

とはいえたとえば今日、
おおきな地震があったとして
携帯電話があるとないとではまったく違うだろう。
おそらくなければないでなんとかなるのだろうが
やはりあった方が便利だ。
携帯電話どうしはつながらないだろうが、
インターネットに接続することはできるかも知れないし、
そうすると夫と連絡をとりあうことができるだろう。
状況が落ち着いてきたら
心配しているだろうひとたち・・・親やきょうだいや・・・に
元気だよと伝えることができるだろう。

そもそも私が携帯電話を持っていたいと思う
いちばんの理由が結局のところ
地震への備え、だったりするのだが。

というわけでドコモショップへ行き、
故障修理の依頼をしてから
スイムへ。

10分ほど遅れてしまい、
あわや龍晴の好きなダンスができないかと思われたが
ぎりぎりで間に合った。
龍晴はうれしそうに完璧にダンスを踊っていた。

スイムのあとは恒例の抱っこひものまま昼寝。
私はそのままランチ。

起きてからマルイへ寄り、
龍晴の希望で時計を見てからカフェに行く。
カフェでお茶をしてからまた時計が見たいというので
時計コーナーに戻り、
同じ階の別の店で買物をしてから
(龍晴が選んだコーデュロイのパンツ。龍晴は服にやたらとこだわりがある)
いくつかのお店に寄って帰宅する。

旅行から帰ってきたばかりだが
今週は京都へ帰省するため、
早速荷造り開始。


12/3(火)
今日の龍晴の寝ざめのひとことは
「公園行きたい」だった。

昨晩、珍しく何度か泣いて起きて、
そのたびに「公園行きたい」といっていた。
公園に行きたいけど、行ってはいけないといわれた夢でも見たのだろうか。

朝から新井薬師へ。
お寺で参拝してから公園へ。
三輪車に乗り、バイクのようなものに乗り、
(しかも築山からバイクでなんども走り降りていた)
保育園の子たちに混ざってお店屋さんごっこをし、
(先生に、せんせいいれてー!とおおきな声でお願いしていた)
たくさん遊ぶ。

満足したらしいところで
ポーコアポーコさんでランチ。
暫く遊んでから店を出て、
いくつかの用事を済ませ・・・夫に頼まれていたことや、
新しく送られてきた携帯電話のピックアップなど・・・
をしているうちに
龍晴が目覚める。
マルイへ行きたいというのでまたマルイへ行き、
時計を見てからカフェでお茶をし、
またいくつか買物をしてから帰宅する。

クリスマスソングのCDをかけて
たくさん踊っていた。
何度も母さんも踊る?(踊ろう!の意)といわれたのだが
いろいろと用事をしていて、
終わってから踊るねー!といっていたのに
結局、一緒に踊れず、
さあ踊ろう、というタイミングになったら
今度は龍晴が眠くなってしまい、
自らステレオの電源を落としてしまった。
明日、朝、起きたら踊ろうね、とやくそくをする。
やくそく。

明日の朝のひとことは、
踊ろう!かしら?

夜、京都へ送る荷物の仕上げ。
年末の京都帰省のチケットも予約する。


12/4(水)
今日も寒い。

サンタさんからもらうもの、決めた!と
龍晴はまいにちのように言っている。
冬になるとサンタクロースさんがやってくるんだよ?という話をしたのは
まだ暑さが残るころだった。

午前中は新井薬師の公園へ。
龍晴はまだおむつをしているのだが、
公園に着いてすぐ、排泄をし、
それが「変な感じ」「冷たい」から、
「ぱんつを取り替えてほしい」といって泣く。
しかし今日は昼前にいえに戻る予定だったため、
替えのおむつを持ってきていない。
そう話すと、ここで待っているから、取りに帰ってほしい、といってさらに泣く。
しかし公園までは歩いて15分ほどかかるし、
たとえ歩いて1分であったとしても、
まだひとりで公園においておけない年齢だ。
それなら一緒に帰ろう?といろいろな方法で誘っても、
公園にいたい、でも変な感じだから嫌だ、と泣き続ける。

困ったなあ。

と思っているうちに、
すこし気持ちが落ち着いてきたらしく、
またおそらく、冷たいのが体温であたたまってきたらしく、
遊びに戻る。

これまでこういう反応はなかったから
もしかしたらおむつを外せるかも!などと思ったのだが
しかし1時間弱ほどしていえに帰ったらまったくもとの龍晴に戻っていた。

おひるごはんを食べてから昼寝。
今日は1時間ほど。
ここのところお昼寝が短い。

午後は久しぶりに高田馬場へ。
ひさしぶりにばばへいく!と龍晴からのリクエスト。
バスと西武線を乗り継いで馬場に出て、
いくつかのお店に寄り、
東西線に乗って帰宅する。

いつもと違うかえりみちを
のんびり歩いて帰る。

長野の両親から龍晴にクリスマスプレゼントが届いた。
夕方、長野と京都にそれぞれ電話。
龍晴も話をする。


12/5(木)
新井薬師の公園の消化不良感があったのだろう。
今日も朝から、やくしへいきたい!と龍晴はいう。
準備を整えて、新井薬師へ。

まずはお寺に参拝。
おまいりをしていく?とたずねると、
お寺や仏像が好きな龍晴は、
していく!とこたえる。必ず。
新井薬師の境内には、お堂が3つ(本堂を入れて)があるのだが、
龍晴はそれらを見て、
あそこにはなにが入っているの?と毎回きく。

新井薬師の本堂にまつっているのは
薬師如来なのだが、
その右側にいるのは弘法大師。
左側にいるのをだれだか忘れてしまったため、
龍晴に毎回たずねられるとすこし困る。
本堂の十二神将も龍晴は気に入っていて、
母さんはどれが好き?と決まってたずねる。
そうねえ、母さんは緑のお顔かな?りゅうは?とこたえると
じっくりと見たあとに
りゅうはちゃいろ!とか
りゅうはあか!とか
そのときどきの気分で、でもしっかりとこたえる。

今日は公園の児童館で三輪車を借り、
築山をのぼりおりしたあと、
黄色のバイクの乗り物を借りて、
岩山のほうを走りまわる。
かなりごつごつとした岩なので
ひやひやなのだが
危ないよ!というのをぐっとこらえて
好きにさせる。
(もちろんあとをついて歩くのだけれども)

保育園の子たちが集めた「焼き芋用の葉っぱの山」に
龍晴も葉っぱを持ってくる、という手伝いをさせてもらい
龍晴はおおはしゃぎである。
よかったね、楽しいことがたくさんあって。

ランチはポーコアポーコさんへ。
京都に行く前に顔を出せてよかった。

抱っこで帰ると龍晴はすぐに眠る。

干してあったふとんを
抱っこのままひっくり返し、
入れ、途中まで敷く。
我ながらすごいちからである。

目が覚めてから、デパートへ行きたい!というので
新宿へ。
高島屋で暫く遊び、
ハンズでカレンダーと来年の手帳を買う。
もう年末だもの。

飛行機雲が長く尾を引いている。
ながーい!と龍晴は空を見上げていう。
ながいねえ、とこたえる。
もしかしたら天気が悪くなるのだろうか。

明日から京都へ。


12/6(金)~8(日)
さて京都。

お昼近くの新幹線で京都へ向かう。
龍晴は車両に書かれたN700という数字をいくつも読んだり、
えぬななひゃっけいのぞみ!とうれしそうに言ったりしている。
これくらいのとしごろの子の、
好きなことに対する記憶というのはすごいと思う。

乗車してからおひるごはん。
龍晴は持ってきたおべんとうを食べ、
ほどなく眠る。

京都までは2時間半の道のりだ。
龍晴は京都駅に着く直前まで眠る。
いつも20時前にはすっかりと夢のなかの龍晴にとって
これから3日間は寝不足の日々がつづく。
少しでもたくさん眠っておいてくれて安心する。

京都までの2時間半。

私は多くのひとが好きであるのと同じように
京都が好きで
大学の頃からしばしば京都を訪れている。

ひとりでもなんども行ったし
そのときどきの恋人と一緒だったこともある。

たくさんの古刹を歩いたし
それはだれもが知る有名なところから
京都に長く、そういう学問を以前していた兄からきいた
あまり知られていないが素敵なところを探索したりもした。

京都に近づくたびにわくわくとした。

茶畑。
富士山。
浜名湖。
冬場はそこだけ景色が一変する関ヶ原。

さいごの山を抜けると
あっけなくすぐに京都だ。
京都駅のホームにすうっと電車は入る。

京都までの2時間半。

でも私がいっとう憶えているのは
いまは夫である恋人と
夫の実家にはじめて行ったときの2時間半だ。

私の夫は在日韓国人で
祖父母の代から日本に来た三世だ。

いまでこそ100名近い「親族」に
数名、日本人はいるけれども
夫と私が結婚することになる3年とすこし前までは
日本人はだれもいなかった。

もっとまえ。
夫と私が恋人どうしになってまだ数ヶ月の頃。
年末に実家へ帰省していた夫は
東京に戻り私に会うなり
もう会うのはよそう、といった。
気心の知れたいとこたちに
恋人はいるの?ときかれ
日本人だとこたえると
口々に反対されたのだという。
それは夫の父・・・私が大好きだったいまは亡きアボジが
日本人を伴侶として連れてきたら殺す、と長年いいつづけてきたせいもあるし、
(アボジがなぜそういいつづけてきたのを、
私は少なくとも想像することができたから、
それについて嫌だなとかはまったく思わなかった)
親族に誰も日本人がおらず、
また日本人と結婚しても離婚する例が多いまわりのひとたちの話、
とにかくそんないろいろを聞き話し合い、
「どうせ別れる」なら、「傷が浅いうちに」と
別れることにした、と夫はいう。
(ちなみに夫がきちんとつきあった日本人は、
私がはじめてである)

はあ?

夫の話を聞いて最初に私が思ったのは
そのことだ。

まったく、意味がわからない。
ちっとも。ぜんぜん。

私のことを嫌いならわかる。
でもそうでないのになぜ別れる必要があるのだろう。
それもまわりのひとにそういわれたからといって?

いま思えば自分の意志は強いものの
信頼しているひとの意見を素直に受け止める性格の夫ゆえの
その言動はなるほどという感じなのだが
(だからといって認めはしないけれども)
そのときの私にはまったくもって言語同断である。

だから私はぜったいにわかれない、と夫にいった。
あなたが私を嫌いならわかる。
でもそれ以外の理由は意味がわからない、と。

長い話しあいの末、
夫は私の説得に応じて
そうしていまがあるわけなのだが
それでもそのとき、
結婚はできない、と夫は私に明言していた。
(そうして結婚願望のかなり強い私は、もういちど、はあ?と思いつつも、
それはまたそのとき考えればいいじゃない!と夫に言った。
勝算があったわけではなく、それでも夫と一緒にいたかったのだ、とても)

私たちが結婚することができたのは
ひとえに夫の父が、夫の母のすすめで
クリスチャンになってからのことで、
人類みな兄弟、国籍なんて意味がない、人間みな地球人、と言いだすなんて、
その頃にはだれひとり、想像していなかったのだ。

夫の実家にあいさつに行くことになったのは
まだ夏が来る前の季節で
私はなにを着ていくかさんざん迷って
うす水色のワンピースを選んだ。

そんなことまでを
よく憶えている。

京都までの2時間半。
何度もトイレに行く私を
夫は笑いながら大丈夫やで、といった。
大丈夫やで、緊張することなんてなにもあらへん。

それはわかっているのだけれども。
でもそんな事情があったからこそ余計に
私はとてもどきどきとしていた。

必要ない、といわれた韓国語もすこし憶えて
でもうろ憶えの部分を
車内でなんども暗唱しては
また夫に笑われた。
(実際に韓国語はまったく必要なかった。
あいさつやお互いの関係をあらわす言葉が韓国語なだけだったし、
それだって在日韓国人のことばと辞典に載っている韓国語は発音がだいぶ違ったのだ)

茶畑も。
富士山も。
浜名湖も。
関ヶ原も。

なにも見えなかったのは。

新幹線が京都駅のホームにすべるように入るとき
わくわくとしなかったのは
そのときがはじめてのことだった。

2回目は。
アボジが亡くなったとき。

アボジ。

厳しく一族を統率してきたというアボジは
いったいどんなこわもてのひとなのだろうと思っていたのだが
はじめて会ったアボジも
それ以降なんども会ったアボジも
いつもおおきな笑顔をたたえたひとだった。

おおきくて、あたたかい。
私のだいすきな。

アボジが亡くなって
もうすぐいちねんが経つ。

そのアボジをしのぶ会、ということで
今回は京都に帰省する。

桂のいえには
もうしめった空気はほとんどなくて
それでもアボジのことを思い出すと涙が出る。

ちいさいチャゴノメ、
と私を呼んだアボジ。

きんようびはしのぶ会のための
料理づくりにいそしんだ。
50名ほどの来客のための
牛肉とにらと白菜のチヂミをとにかく焼くのが
私の仕事だ。
(一般的にチヂミはいろいろな具材を混ぜて焼くが、
行事のときのチヂミは一品づつ焼く。
そのため途方もない時間がかかる)
焼いて焼いて焼いて
とにかくたくさん焼く。
もう全身、胡麻油のにおいでいっぱいである。
もちろんそれ以外の、キムチや鶏の煮たものや汁ものや
たくさんの料理を準備したりタッパーに詰めたりして明日に備える。

龍晴はいとこたちと遊んでもらい
なんどか抱っこして~とやってきたりはしたが
以前より落ち着いていとこたちと長い時間遊んでいられて
ほうっとする。

龍晴がまだ小さいからと、
夜、早めにやすませてもらえることになり
龍晴を寝かしつける。

とうきょうに帰りたい、と龍晴がいいはじめ、
体調が悪くなったかと心配する。

どようび、
いつものように早起きの龍晴。
今日はしのぶ会本番である。

朝から昨日つくった料理を切ってはさらに盛り、
それを来客用のテーブルに並べたりしているうちに
もう開始の時間である。

龍晴はしかしおなかが空いた、と
半泣き状態のため、
先にお昼ごはんをあげてしまうことにする。

ゆっくりふたりだけの状態で
おひるごはんを食べたこともあり
落ちついた気持ちになったらしい龍晴は
遅れて参加したしのぶ会のあいだ、
ずうっとおとなしくできてほうっとする。
教会から牧師さんがいらして説法をされていた。
(夫の両親はプロテスタントである。それもかなり敬虔な)

牧師さんが帰られてから
親族の宴である。

龍晴が昼寝をしたくて
眠くてつらくなってきたようなので
すこし抜けさせてもらう。
抱っこをしてそとを歩くと
ほどなく眠る。

それから1時間ほど抱っこのまま眠り、
そうっと起こして(いつまでも抜けていられないので)
戻り、
今度は皿洗い部隊と化す。

龍晴はたくさんいる子どもたちと
はしゃぎまわり
とても楽しそうにしている。
親戚の子らのなかで龍晴はいっとう味噌っかすなのだが
果敢についてまわり、
そうしていつも感心してしまうのだが
夫の親族の子どもたちは
昔の子どもたちのようにほんとうに面倒見がよく
年長者が場を仕切り、
そこにいる子どもたち全員が楽しめ、かつ安全なように
楽しく遊んであげているので
いつも子どもたちどうしだけで任せておけるのだ。

20時近くまでたくさんのひとたちに囲まれ
龍晴はずうっと笑い、遊び、
東京に帰りたい、ということもなく
21時に眠る。

にぎやかな宴に
アボジも満足しただろうか。

にちようびはお昼前の新幹線で東京に戻る。
みんなで(珍しく龍晴も)寝坊したので
そんなにのんびりする時間もない。

そろそろ桂を出る、という直前の
オモニとふたりになったときに。
ナオさんとT(夫)が結婚するときに
なにもしてあげられなかったのが
アボジとオモニふたりのこころのこりなんよ、ということをいわれる。

なにもって、たくさんしていただきましたよ?とこたえると、
そうやなくて、ほんとうは、
あんなものもこんなものも贈ってあげたかったし、
Mさん(夫の兄の奥さん)のときはしてあげられたことやのに、
お金がなくなってしまってできなくなってしまって
(それはアボジが当時勤めていた金融機関が破綻したからなのだが)
ほんとうにそれがこころのこりで、
何度もアボジといってたんよ、
アボジとオモニがなんもでけへんかったから、
そのぶん、Tにちゃんとしてもらい?
とオモニは一気にそういう。
ちょうど現れた夫に、オモニは
もういちどその話をし、なんども念を押す。
ナオさんにちゃんとしたり?
ナオさんがものを欲しいというひとではないのはわかってるけど、
それでもやっぱり、ちゃんとしたってな?と。

でもね。オモニ。

わかった、ちゃんとする、
と夫が笑いながらいって、また別の場所に行ってしまったあと、
私はオモニに返事をする。

でもね。オモニ。

ちゃんとって、私。
なんにもいらないんですよ。
私はTがほんとうにだいすきでだいすきだったんです。
だからすきなひとと結婚できただけで
もうなんにもいらないんですよ。

話していて途中から
涙が出てしまった。

でもオモニ。
私はそれなのに、Tにいまなにもしてあげていない。
アボジにもたくさんしたいことがあったのに
なにもできなかった。
そのことが私のこころ残りなんです。

なにもしてあげてないなんてことあらへんよ。
結婚してよかったと、Tはいっとったよ、
アボジもほんまに結婚してよかったと
なんどもいっとったよ、
とオモニも泣きながらいう。

そうなのだ。
私は夫のことがだいすきでだいすきで
ほんとうにだいすきだったのだ。

でも子どもが産まれると
日々の忙殺のなかで、
すき、という気持ちは変わる。

私は変わらない、と思っていた。
だってこんなにも恋人であった夫がだいすきなのだ。

でもやっぱり。
変わるのだ。

そう。
変わるのだと思っていた。
変わったのだと思っていた。
つい最近まで。

そうして気持ちが変わることは、
おそらく当然のことなのだろう。
でもその当然を私はうまく受け容れられなくて
自分のことなのにとても悩んでもいた。
いや自分のことだからこそ。

夫は私よりもひとあしもふたあしも先に
変容していて
そのことも私を戸惑わせもしたのだけれども。

でもそのことよりも
私自身の変化に私は戸惑っていたのだと思う。

でもオモニと向き合って話したときに
夫への自分の気持ちが
つるりと出てきて
それはきれいごとを言ったわけではないと自分でもわかっていたから
そうなのか、と思った。

さらにそれをことばにしたときに
こころのなかから湧きあがってきた
夫をすきだという気持ち。

そのすきという気持ちは
恋人だったころの夫を好きだという気持ちの質と
そんなに変わらないのだ、ということにもまた
気付いたりもした。

そうなのだ。

私は夫のことを
だいすきでだいすきなのだろう。
ほんとうは。

だいすきでだいすきだった、のではなくて。

それがうまくかたちにできなくて
ことばにはもっとできなくて
時間が経てば経つほどできなくなって
だから戸惑っている。

東京に戻る新幹線のなかで
私の腕のなかで眠るのは龍晴で
となりの席で眠るのは夫だ。
私のいとしいたいせつなひとたち。

東京駅に着くと
目覚めた龍晴は
いいこと考えちゃった。
これからまた京都にいく!と
言っていた。

よかったね。
京都がたのしいものでほんとうによかった。

私にも実りある時間になった。
いろいろな意味で。

そうして。
アボジが亡くなって
もうすぐいちねんが経つ。

京都までの2時間半を。
いまは泣くことなく過ごせるようになった。
アボジのおおきくあたたかい笑顔を思い出すと
それでも胸がぎゅっとなる。