9/16(月)
台風。
夫の実家は桂川にかかる桂大橋のすぐ傍だし
福知山に親戚がたくさんいるので
朝からずうっと肝を冷やす。
福知山の親戚のいえは
避難をしたりしていたのだが
幸い、被害は殆どなく、
また婚家の桂の家も、すぐそばに住む
夫の兄一家の家も、姉一家の家も、
誰もなんともなく、
さらにまた、私の兄夫婦の家も無事で
ほうっとする。
無事ではなかった方々もたくさんいるなかではあるものの。
風雨が激しいため
さすがに午前中は出かけずにいる。
龍晴が午前中にいちども外出をしなかった、ということは
もしかしたら2年以上ぶり、ではないかと思う。
午後には雨もやみ、
風も心配するほどではなくなったため
マルイへ行き、スーツケースを購入。
龍晴はスーツケースをずうっと引いて歩き、
道行くひとびとの笑顔を誘う。
空が赤く光っているので
西のほうを見ると、
それはとても美しい夕焼けだった。
みんなで夕焼けを眺める。
龍晴と夫と私と。
きれい!と龍晴はいう。
ほんとうだね、きれいだね、と夫と私がこたえる。
9/17(火)
台風が過ぎ、秋がやってきた。
朝のさんぽは城山公園へ。
しかし昨日の台風で木の上の烏の巣が落ちていて
烏が威嚇を続けている。
その場で遊ぶのは危険そうなので
紅葉山公園へ移動。
龍晴は小さな子が来るたびに
あーそぼ!と声をかけていて
かわいらしい。
ひとしきり遊んでから
いえの傍の神社の公園に戻ってそこで滑り台をしてから
帰宅する。
午後はポーコアポーコさんでランチ。
久しぶりに平和の森公園へ。
龍晴はうれしそうに雄たけびをあげながら
公園のなかを走りまわっている。
近くの刑務所作業用品のお店で
おもちゃを入れるための箱を求め
暫く店内を散策。
(龍晴は以前からこのお店がとても気に入っている)
スーパーマーケットなどに寄り、
帰宅する。
9/18(水)
今日は新井薬師の縁日。
毎月、8のつく日は縁日で本堂に入ることができる。
最近、街の小冊子のようなものに
お寺の本堂の仏像のことが触れられていて
龍晴はそれが気になって仕方がない。
こんどの縁日には、では、仏像を見に行こうね、と
龍晴と約束をしていたのである。
早速、新井薬師のお寺へ。
まだ時間が早いせいもあり、
本堂には誰もいない。
念のため断ると、もちろん入っても大丈夫、とのことなので
いそいそと本堂へ。
龍晴はたくさんの仏像ひとつひとつを指しては
これはなに?これはなに?とたずね、
(殆どわからなかったのだが、お寺の方が教えてくださった)
おおきな木魚やかねを見ては
ビッグ~!と驚き、
興味津津である。
1時間近くお寺を眺め、
隣接の公園へ。
三輪車をたくさんこぎ、
どんぐりをひろってから帰宅する。
お昼寝は1時間半。
午後はバスで高田馬場のスーパーマーケットへ買物に行き、
龍晴のリクエストで山手線と総武線を乗り継いで帰宅する。
冷蔵庫のうえを掃除していたら
いまなにをしているの?と龍晴がやってくる。
冷蔵庫の天井を掃除しているんだよ?とこたえると、
天井?といいながら踏み台を持ってきて
タオルで冷蔵庫をごしごしといいながら拭いている。
こういう会話ができるようになって暫く経つ。
成長しているなあ。
ところでここのところ龍晴のおおきな関心事のひとつは
「サンタクロースさん」である。
サンタクロースさんへのはじめてのお願いは、
「三輪車」。
去年と一昨年は、お願いをしなくても
枕元にプレゼントがあったのだが、
今年は自分からお願いをする、はじめてのとしだ。
かくして龍晴はサンタさんに赤い三輪車をもらう!と張り切っているのだが、
(かごがついているもの、と細かい指定まである)
サンタさんはいつくるのか、
どうやってくるのか、と興味は尽きないようである。
サンタクロースさんは、冬になって(そこで冬ってなに?となるので、冬の説明がまず必要だ)クリスマスになると子どもたちにプレゼントを配りにやってくるひとで、
トナカイさんが引くそりに乗っていて(もちろんここまでのあいだに、さまざまな説明が入る)、
そのそりは空を飛んできて、いえのベランダに降りるんだよ、
そうしてベランダの窓から入ってきて(わが家には煙突がない)、
りゅうの枕元にプレゼントを置いてくれるんだよ、
と話をする。
ベランダから入ってくる、というところが
とても気になるようで、
では鍵は母さんが夜、眠る前に開けておくね、というと
とてもほうっとした様子を見せる。
それともりゅうが眠る前に鍵を開けてからねんねんする?とたずねると、
とてもうれしそうにする。
サンタクロースがやってくるまで
あと3カ月。
9/19(木)
朝はいくつかの所用を済ませながら
サンプラザまで行き、そこで休憩をし、
またいくつか所用を済ませて帰宅する。
お昼寝は2時間弱。
午後は上野の森の美術館と、
上野動物園へ。
モノレールに乗りたい龍晴は
どうぶつたちを一瞥するだけで
モノレール乗り場に走っていく。
さらにモノレール乗り場で見つけた、
モノレールのおもちゃのようなものに釘付けに。
どうぶつえんに来た記念に買ってあげると
とても喜ぶ。
山羊や羊と遊べるコーナーで暫く遊び、
帰宅する。
十五夜。
龍晴と一緒に月を眺める。
きれい!と龍晴は感嘆の声をあげる。
きれいだね、と私はこたえる。
9/20(金)
今日はでんぐり返しができた。
昨日まではでんぐりがえし~といいながら
ころんと横にころがっていたのだが
今日はほんとうのでんぐり返しがはずみでできて
いちどできたらもうずうっとできる。
ああまたひとつできることが増えたのだな。
おおきくなっていくんだな。
そんなふうに思う。
朝のさんぽは新井薬師のお寺と公園へ。
三輪車をたくさんこぐ。
龍晴は三輪車がどんどん上手になってきた。
うまくこげないと
できないよ~と泣き声をたてるのがまた
かわいらしい。
がんばれ、龍晴。
お昼寝がうまくできず、20分だけ。
半年ぶりくらいいの短さだ。
龍晴とひと悶着。
ごめんね、今日は叱りすぎてしまったなあ。
反省反省反省。
龍晴にも、叱りすぎてごめんね、と謝る。
午後はポーコアポーコさんへ。
時間もたっぷりあるのでゆっくり遊ぶ。
眠くなりそうなのでそろそろ家へ、と思ったのだが
龍晴は平和の森公園へ行きたいという。
大丈夫かなあと思ったものの
公園へ。
龍晴はナチュラルハイなのかどうか
いつもは抱っこと主張するのに
今日はずうっと歩いている。
公園でも芝生広場をずうっと歩き、
滑り台で遊び、
おとなの足で30分くらいかかるところを
何度か休憩をはさみながらも
ずうっと歩いて帰ってきた。
すごいなあ。
今日はとてもおおきな月が出ている。
まるさは欠けてきたけれども
龍晴と一緒に今夜もまた月を眺める。
夜、眠るまえにふとんのうえでたくさん遊ぶ。
9/21(土)
先日、突然気がついたのだが。
龍晴になにかを促すとき、
○○しな、と言っていることが度々ある。
これってなんだか命令っぽくない?と不図思ったのだが、
言っている私には命令している意図はなく、
○○しようね、という程度の意味しかない。
よくよく記憶を遡ると、
この○○しな、というのは、
祖母→母→私、と受け継がれている。
さらにいえば、母の姉や、その子である従妹もよく使っている。
そして全員に共通しているのが、
そのことばを命令や強制として使っているわけではない、という点。
しかし龍晴は私の言葉遣いやイントネーションをよく真似ているので
もし○○しな、というのを自分のことばとして修得したら、
どうなのだろう、となんだか気になってきた。
口癖のようなものなので
つるっと口から出てしまうのだが
それでもなんとか治していきたい。
うん、治そう。
朝のさんぽは夫を見送りがてら
近くの公園でみんなで鉄棒や追いかけっこで遊び、
龍晴の好きな守衛さんがいるスーパーマーケットに立ち寄り、
ぐるりとまわって帰ってくる。
お昼寝後はホームセンターで時計を眺め、
駅で旅行のチケットを受け取ってから
高田馬場へ。
夫のオフィスですこしのあいだ遊ぶ。
明日から旅行。
最近、読んだ本。
伊坂幸太郎「オーデュポンの祈り」
伊坂幸太郎「重力ピエロ」
伊坂幸太郎「ラッシュライフ」
伊坂幸太郎「グラスホッパー」
伊坂幸太郎「死神の精度」
伊坂幸太郎「終末のフール」
伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」
伊坂幸太郎祭り。
すべて再読。
9/22(日)
今日から一泊で、湯河原旅行である。
長野の実家では、60年続けてきた家業を
今年の6月についに畳んだ。
私たちきょうだいの誰かが跡を継ぎたいと強くいったなら
もしかしたら存続させたかも知れないのだが
(業態としては優良ではあったし、それはこのさき数十年はそうであると思われた)
誰もおおきな声でそれをいうことはなかったし
父はできれば子どもたちに跡を継がせたくない、
自分の代で閉めたいと思っていたからだ。
夫からの提案もあり、
両親の退職(?)祝いで、
旅行に行くことにした。
最初の行き先は東北に2泊3日だったのだが、
諸般の事情で1泊2日、湯河原、に変更になってしまい、
ううむ、と思っていたのだが
それでも両親はとても楽しみにしていた。
朝、東京駅の新幹線のホームに
両親を迎えに行き、
まだ東海道線の発車まで時間があったため
地下の待合室で暫く歓談。
東海道線のなかで龍晴は昼寝。
真鶴で途中下車し、
鶴鮨で地魚の握りやさざえの壺焼き、地魚のかま焼きや海鮮サラダなどなど、
これでもか!というくらい地魚を堪能する。
鶴鮨さん、久しぶりに伺ったが
いやはや健在!
素晴らしい。
両親はお世辞抜きにおいしいと満足していた。
以前、夫とも来たことがあり、
夫はそのことを思い出して懐かしいと言っていた。
真鶴からはタクシーで湯河原の宿へ。
本当は海石榴あたりを予約しようと思っていたのだが
全員分の支払いを考えるとさすがにしんどいことと
子どもを受け入れてくれないことがわかったので
断念し、
予約した時点で空室があったなかで満足できそうである、という理由から
藤田屋さんへ。
実はそんなに期待していなかったのだが、
とてもよいお宿だった。
お風呂がとにかく気持ちが良いし、
古いけれども清潔で清々しい印象。
料理も悪くなく(たぶん良いほう)
従業員の方々のおもてなしも悪くなく(たぶん良いほう)
満足できた。
両親も同じ思いだったらしく
とても楽しいと何度も言い、
特にふたりそろっての温泉好きで
長野だけでなく全国の温泉宿に泊り歩いているため
どこまで満足できるのかと思っていたのだが
ここのお風呂にはとても満足したようである。
龍晴も祖父母に遊んでもらってうれしそうにしていたし
夫は気を遣いつつもリラックスして楽しんでいたようで
うれしく思う。
食事のあとに、
退職祝いのケーキを用意してもらっていたら
(これも夫の口添えによる)
両親はこれぞサプライズ!ととても喜んでいた。
良かった。
龍晴はみんなに促されても一度もしなかった
「ほんもののでんぐり返し」を
自分たちの部屋に戻るや30連続くらいで繰り返していた。
照れ屋である。
龍晴はいつもどおり早めに休み、
夫はマンチェスターユナイテッドとマンチェスターシティ戦が放映されないとわかるや眠り、
別室の両親は大河ドラマと半沢を堪能したらしい。
9/23(月)
1泊2日の旅行は短い。
11時くらいに宿を出て、湯河原駅へ。
スーパービュー踊り子に乗り(私以外は5分で眠っていた…)
東京駅へ。
大丸でてんぷらを食べて解散とする。
長野に戻った両親からは
とても楽しかった、という弾んだ声の留守番電話が残されていた。
移動に弱い私はとても疲れてしまい
早めに休む。
東京に戻ったら
すっかり秋になっていた。
台風。
夫の実家は桂川にかかる桂大橋のすぐ傍だし
福知山に親戚がたくさんいるので
朝からずうっと肝を冷やす。
福知山の親戚のいえは
避難をしたりしていたのだが
幸い、被害は殆どなく、
また婚家の桂の家も、すぐそばに住む
夫の兄一家の家も、姉一家の家も、
誰もなんともなく、
さらにまた、私の兄夫婦の家も無事で
ほうっとする。
無事ではなかった方々もたくさんいるなかではあるものの。
風雨が激しいため
さすがに午前中は出かけずにいる。
龍晴が午前中にいちども外出をしなかった、ということは
もしかしたら2年以上ぶり、ではないかと思う。
午後には雨もやみ、
風も心配するほどではなくなったため
マルイへ行き、スーツケースを購入。
龍晴はスーツケースをずうっと引いて歩き、
道行くひとびとの笑顔を誘う。
空が赤く光っているので
西のほうを見ると、
それはとても美しい夕焼けだった。
みんなで夕焼けを眺める。
龍晴と夫と私と。
きれい!と龍晴はいう。
ほんとうだね、きれいだね、と夫と私がこたえる。
9/17(火)
台風が過ぎ、秋がやってきた。
朝のさんぽは城山公園へ。
しかし昨日の台風で木の上の烏の巣が落ちていて
烏が威嚇を続けている。
その場で遊ぶのは危険そうなので
紅葉山公園へ移動。
龍晴は小さな子が来るたびに
あーそぼ!と声をかけていて
かわいらしい。
ひとしきり遊んでから
いえの傍の神社の公園に戻ってそこで滑り台をしてから
帰宅する。
午後はポーコアポーコさんでランチ。
久しぶりに平和の森公園へ。
龍晴はうれしそうに雄たけびをあげながら
公園のなかを走りまわっている。
近くの刑務所作業用品のお店で
おもちゃを入れるための箱を求め
暫く店内を散策。
(龍晴は以前からこのお店がとても気に入っている)
スーパーマーケットなどに寄り、
帰宅する。
9/18(水)
今日は新井薬師の縁日。
毎月、8のつく日は縁日で本堂に入ることができる。
最近、街の小冊子のようなものに
お寺の本堂の仏像のことが触れられていて
龍晴はそれが気になって仕方がない。
こんどの縁日には、では、仏像を見に行こうね、と
龍晴と約束をしていたのである。
早速、新井薬師のお寺へ。
まだ時間が早いせいもあり、
本堂には誰もいない。
念のため断ると、もちろん入っても大丈夫、とのことなので
いそいそと本堂へ。
龍晴はたくさんの仏像ひとつひとつを指しては
これはなに?これはなに?とたずね、
(殆どわからなかったのだが、お寺の方が教えてくださった)
おおきな木魚やかねを見ては
ビッグ~!と驚き、
興味津津である。
1時間近くお寺を眺め、
隣接の公園へ。
三輪車をたくさんこぎ、
どんぐりをひろってから帰宅する。
お昼寝は1時間半。
午後はバスで高田馬場のスーパーマーケットへ買物に行き、
龍晴のリクエストで山手線と総武線を乗り継いで帰宅する。
冷蔵庫のうえを掃除していたら
いまなにをしているの?と龍晴がやってくる。
冷蔵庫の天井を掃除しているんだよ?とこたえると、
天井?といいながら踏み台を持ってきて
タオルで冷蔵庫をごしごしといいながら拭いている。
こういう会話ができるようになって暫く経つ。
成長しているなあ。
ところでここのところ龍晴のおおきな関心事のひとつは
「サンタクロースさん」である。
サンタクロースさんへのはじめてのお願いは、
「三輪車」。
去年と一昨年は、お願いをしなくても
枕元にプレゼントがあったのだが、
今年は自分からお願いをする、はじめてのとしだ。
かくして龍晴はサンタさんに赤い三輪車をもらう!と張り切っているのだが、
(かごがついているもの、と細かい指定まである)
サンタさんはいつくるのか、
どうやってくるのか、と興味は尽きないようである。
サンタクロースさんは、冬になって(そこで冬ってなに?となるので、冬の説明がまず必要だ)クリスマスになると子どもたちにプレゼントを配りにやってくるひとで、
トナカイさんが引くそりに乗っていて(もちろんここまでのあいだに、さまざまな説明が入る)、
そのそりは空を飛んできて、いえのベランダに降りるんだよ、
そうしてベランダの窓から入ってきて(わが家には煙突がない)、
りゅうの枕元にプレゼントを置いてくれるんだよ、
と話をする。
ベランダから入ってくる、というところが
とても気になるようで、
では鍵は母さんが夜、眠る前に開けておくね、というと
とてもほうっとした様子を見せる。
それともりゅうが眠る前に鍵を開けてからねんねんする?とたずねると、
とてもうれしそうにする。
サンタクロースがやってくるまで
あと3カ月。
9/19(木)
朝はいくつかの所用を済ませながら
サンプラザまで行き、そこで休憩をし、
またいくつか所用を済ませて帰宅する。
お昼寝は2時間弱。
午後は上野の森の美術館と、
上野動物園へ。
モノレールに乗りたい龍晴は
どうぶつたちを一瞥するだけで
モノレール乗り場に走っていく。
さらにモノレール乗り場で見つけた、
モノレールのおもちゃのようなものに釘付けに。
どうぶつえんに来た記念に買ってあげると
とても喜ぶ。
山羊や羊と遊べるコーナーで暫く遊び、
帰宅する。
十五夜。
龍晴と一緒に月を眺める。
きれい!と龍晴は感嘆の声をあげる。
きれいだね、と私はこたえる。
9/20(金)
今日はでんぐり返しができた。
昨日まではでんぐりがえし~といいながら
ころんと横にころがっていたのだが
今日はほんとうのでんぐり返しがはずみでできて
いちどできたらもうずうっとできる。
ああまたひとつできることが増えたのだな。
おおきくなっていくんだな。
そんなふうに思う。
朝のさんぽは新井薬師のお寺と公園へ。
三輪車をたくさんこぐ。
龍晴は三輪車がどんどん上手になってきた。
うまくこげないと
できないよ~と泣き声をたてるのがまた
かわいらしい。
がんばれ、龍晴。
お昼寝がうまくできず、20分だけ。
半年ぶりくらいいの短さだ。
龍晴とひと悶着。
ごめんね、今日は叱りすぎてしまったなあ。
反省反省反省。
龍晴にも、叱りすぎてごめんね、と謝る。
午後はポーコアポーコさんへ。
時間もたっぷりあるのでゆっくり遊ぶ。
眠くなりそうなのでそろそろ家へ、と思ったのだが
龍晴は平和の森公園へ行きたいという。
大丈夫かなあと思ったものの
公園へ。
龍晴はナチュラルハイなのかどうか
いつもは抱っこと主張するのに
今日はずうっと歩いている。
公園でも芝生広場をずうっと歩き、
滑り台で遊び、
おとなの足で30分くらいかかるところを
何度か休憩をはさみながらも
ずうっと歩いて帰ってきた。
すごいなあ。
今日はとてもおおきな月が出ている。
まるさは欠けてきたけれども
龍晴と一緒に今夜もまた月を眺める。
夜、眠るまえにふとんのうえでたくさん遊ぶ。
9/21(土)
先日、突然気がついたのだが。
龍晴になにかを促すとき、
○○しな、と言っていることが度々ある。
これってなんだか命令っぽくない?と不図思ったのだが、
言っている私には命令している意図はなく、
○○しようね、という程度の意味しかない。
よくよく記憶を遡ると、
この○○しな、というのは、
祖母→母→私、と受け継がれている。
さらにいえば、母の姉や、その子である従妹もよく使っている。
そして全員に共通しているのが、
そのことばを命令や強制として使っているわけではない、という点。
しかし龍晴は私の言葉遣いやイントネーションをよく真似ているので
もし○○しな、というのを自分のことばとして修得したら、
どうなのだろう、となんだか気になってきた。
口癖のようなものなので
つるっと口から出てしまうのだが
それでもなんとか治していきたい。
うん、治そう。
朝のさんぽは夫を見送りがてら
近くの公園でみんなで鉄棒や追いかけっこで遊び、
龍晴の好きな守衛さんがいるスーパーマーケットに立ち寄り、
ぐるりとまわって帰ってくる。
お昼寝後はホームセンターで時計を眺め、
駅で旅行のチケットを受け取ってから
高田馬場へ。
夫のオフィスですこしのあいだ遊ぶ。
明日から旅行。
最近、読んだ本。
伊坂幸太郎「オーデュポンの祈り」
伊坂幸太郎「重力ピエロ」
伊坂幸太郎「ラッシュライフ」
伊坂幸太郎「グラスホッパー」
伊坂幸太郎「死神の精度」
伊坂幸太郎「終末のフール」
伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」
伊坂幸太郎祭り。
すべて再読。
9/22(日)
今日から一泊で、湯河原旅行である。
長野の実家では、60年続けてきた家業を
今年の6月についに畳んだ。
私たちきょうだいの誰かが跡を継ぎたいと強くいったなら
もしかしたら存続させたかも知れないのだが
(業態としては優良ではあったし、それはこのさき数十年はそうであると思われた)
誰もおおきな声でそれをいうことはなかったし
父はできれば子どもたちに跡を継がせたくない、
自分の代で閉めたいと思っていたからだ。
夫からの提案もあり、
両親の退職(?)祝いで、
旅行に行くことにした。
最初の行き先は東北に2泊3日だったのだが、
諸般の事情で1泊2日、湯河原、に変更になってしまい、
ううむ、と思っていたのだが
それでも両親はとても楽しみにしていた。
朝、東京駅の新幹線のホームに
両親を迎えに行き、
まだ東海道線の発車まで時間があったため
地下の待合室で暫く歓談。
東海道線のなかで龍晴は昼寝。
真鶴で途中下車し、
鶴鮨で地魚の握りやさざえの壺焼き、地魚のかま焼きや海鮮サラダなどなど、
これでもか!というくらい地魚を堪能する。
鶴鮨さん、久しぶりに伺ったが
いやはや健在!
素晴らしい。
両親はお世辞抜きにおいしいと満足していた。
以前、夫とも来たことがあり、
夫はそのことを思い出して懐かしいと言っていた。
真鶴からはタクシーで湯河原の宿へ。
本当は海石榴あたりを予約しようと思っていたのだが
全員分の支払いを考えるとさすがにしんどいことと
子どもを受け入れてくれないことがわかったので
断念し、
予約した時点で空室があったなかで満足できそうである、という理由から
藤田屋さんへ。
実はそんなに期待していなかったのだが、
とてもよいお宿だった。
お風呂がとにかく気持ちが良いし、
古いけれども清潔で清々しい印象。
料理も悪くなく(たぶん良いほう)
従業員の方々のおもてなしも悪くなく(たぶん良いほう)
満足できた。
両親も同じ思いだったらしく
とても楽しいと何度も言い、
特にふたりそろっての温泉好きで
長野だけでなく全国の温泉宿に泊り歩いているため
どこまで満足できるのかと思っていたのだが
ここのお風呂にはとても満足したようである。
龍晴も祖父母に遊んでもらってうれしそうにしていたし
夫は気を遣いつつもリラックスして楽しんでいたようで
うれしく思う。
食事のあとに、
退職祝いのケーキを用意してもらっていたら
(これも夫の口添えによる)
両親はこれぞサプライズ!ととても喜んでいた。
良かった。
龍晴はみんなに促されても一度もしなかった
「ほんもののでんぐり返し」を
自分たちの部屋に戻るや30連続くらいで繰り返していた。
照れ屋である。
龍晴はいつもどおり早めに休み、
夫はマンチェスターユナイテッドとマンチェスターシティ戦が放映されないとわかるや眠り、
別室の両親は大河ドラマと半沢を堪能したらしい。
9/23(月)
1泊2日の旅行は短い。
11時くらいに宿を出て、湯河原駅へ。
スーパービュー踊り子に乗り(私以外は5分で眠っていた…)
東京駅へ。
大丸でてんぷらを食べて解散とする。
長野に戻った両親からは
とても楽しかった、という弾んだ声の留守番電話が残されていた。
移動に弱い私はとても疲れてしまい
早めに休む。
東京に戻ったら
すっかり秋になっていた。