5/27(月)
なんと今週にも梅雨入りするらしい。

梅雨入り!

早くないか?
こんなものだったっけ?

疑問が過るが、例年、と比べても仕方がない。
入るものは入るのだ。

梅雨が明けたら夏がやってくる。
それまでの辛抱。

雨が続いたときにそとで遊びたいさかりの龍晴と
どこで遊ぼうか?というのが悩ましいが
まあそのときはそのとき。
なんとかなるだろう。

朝のさんぽは駅まで。
今日はスイムなので短めに。

1時間ちょうど昼寝をし、
ぱっと目覚めた龍晴は
いるかさんに行く?ときくと
いく!と目を輝かせる。

今日のスイムのジムは縄梯子を歩くものと平均台を組み合わせた遊具と、滑り台。
平均台だけ、のような単調なものよりも、
複雑でおもしろそう、なもののほうが龍晴は好きだ。
おそらく多くの子どもにとっても。

集団のなかにいると、
子どもながらに個性が見えてくるものだ。

龍晴はマイペース。
みんなが嬉々として踊っているダンスも、
さあ飛び込みましょう!という合図で子どもたちが次々に水中に飛び込んでいるときも、
どんなに楽しそうな遊具で全員がわらわらとむらがっていたとしても、
自分がやる気がでなければ梃子でも動かない。

それらのことが「できない」のではなく、
「やらない」のだ。

飛び込みにせよなんにせよ、
今日はそれがおもしろそう、と思うと
うきゃー!などと言いながらどんどんとやってしまうのだから。

たとえば今日なども、ちっとも動かない龍晴に先生は、
りゅうくん、がんばれ~、やればできるよ、怖くないよ、というように接してくるのだが、
(しかもそれでもまったく動じずになにもしない龍晴に
仕舞にはしびれを切らして怒り気味だった。
まあ親でも保育のプロでもなければ怒るだろうなと思うよ、あの態度には。
だってみんなは先生の言葉に嬉しそうにすぐに反応するんだから)
そうでなくて、単にほかのことに気を取られていたり
そのことに関心がないだけ、なのである。

そこのところを私はきちんと理解して
接してあげたいなと思う。
私は龍晴を、みんなで同じことを自分をおさえてまでやる子に育ってほしいわけではないから。
むしろどんなときも、自分がやりたいことをやることを、その気持ちを、
たいせつにして欲しいと思っているから。

子どもだからって、
みんなが同じことをする必要はないと思うし、
子どもだからって、
個々の意志なり意思を尊重されないのはおかしいと思うから。

ところで今日、龍晴と街を歩いていたら
年配の男性が唐突に近づいてきて、
男の子?ときかれた。

龍晴は顔立ちのせいか服装のせいか
2歳になるいまでも、はんぶんくらいは女の子?ときかれるし、
もっと小さい頃は、断定的に女の子扱いされている。

はい、とこたえると、

そう、それならなおさらだね、
あのね、東大の学生さんや東大出身のひとたちはね、殆どみんな、テレビを見ないで本を読んでいるんですよ、だからあなたも、子どもにテレビを見せてはいけないですよ、
と、おっしゃる。

はあ・・・
はあ?

えーっと、
まずだいいちに、私はあなたの知り合いではありません。
それから、子どもを東大の学生さんや東大出身のひとたちにしたいわけではありません。
(もちろん東京大学を否定しているわけではなく、絶対的に、東大である、さらにいえば大卒とかの学歴が必要がないという意味で)
さらに加えるならば、男子なら「なおさら」って、女子は?
(私は特段フェミニストではないですけど、さすがにね)

ということは、言わなかったけれども、
瞬時にあたまをよぎったことは確かです。

黙っていてもよいことなのだけれども、
思わず、いや私、東大とかまったく興味ないので・・・と言いうと、
その方は、いまは興味なくてもそのうち、というようなことばを連ねようとしたので、
面白半分(?)で、私も東大なので、と言ってみたところ、
あ、はあ、といってたちどころに去っていったのであった。
(もちろん私は東大ではありません。てへ)

世のなかにはいろいろなひとがいるなあ。
私も含めて。

さて午後のさんぽは、
龍晴の好きなクリーニング屋さんと、
先日、龍晴が具合が悪かったときに助けてくれた美容室にお礼と、
スーパーマーケットに寄り、
おおきな時計を見てから帰宅する。

今日はいちにち、龍晴を楽しく過ごせた。
先週の後半から、いちにちひとつは苛々することがあって、
溜まってるなあ>私、という感じだったので
ほうっとする。

5/28(火)
午前のさんぽは久りぶりに新井薬師のお寺と公園へ。
もうどれくらいぶりだろう?

お寺でおまいりをし、
公園では三輪車に乗る。
以前にも増して三輪車がじょうずになっている。

そばの洋菓子屋さんで買物をしてから
帰宅。

午後はNさんが来訪。
夫と私の結婚式のプロデューサーを務めて下さった方で、
京都の本社から1年間、東京支店に赴任していたのだが、
来月にまた京都に戻ることになった。

京都に帰る前に会いたい、といわれ、
今日がその日。

美しくたおやかな京都の女性、という風情のNさんは
久しぶりに会ってもやはりそのままで
うれしくなる。

次は京都で会いましょう、といいあう。

Nさんを見送りがてら駅まで行く。

龍晴とはお昼過ぎにも近くのクリーニング屋さんや
スーパーマーケットに出かける。

5/29(水)
あたまが痛いいちにち。
あたまを動かすだけでずきずきとする。
もちろんあたまはしょっちゅう動かすわけで
従っていちにち中、あたまが劇的に痛いということだ。
ふぅ。

午前中は福祉センターへ。
ここのところ毎日のように、そこへ行きたいと龍晴は言っていて、
ではいまから行く?と朝のさんぽのときにいうと、
うきゃー!と悲鳴をあげて小踊りする。

最近、なぜかまた抱っこが増えてきて
抱っこ抱っこ、とせがむ龍晴が、
そこまでは歩いていこうね、というと、
おとなの足で20分の道のりの、3分の2は歩いて(というか走って)行った。
す、すごい。

たくさん遊ぶのかと思いきや、
見たがっていた福祉センターの時計を見るのもそこそこだし
くるまや電車のおもちゃでも一通り遊んだら、
そろそろ行こうか?という龍晴。

そとの児童遊園のようなところで遊んでいると、
中野仲間のHちゃんとソウちゃんがやってきて
すこし一緒に遊ぶ。
一緒に滑り台をしよう?と誘い合ったり、
鯉を一緒に見ていたりして
前はこういうからみってなかったなあ、と成長を感じる。
Hちゃんはふたりめを授かって、12月に出産予定とのこと。

ここのところ中野仲間には第2子の話題が多い。
そうしてやはりというかなんというか、
「若い順」に第2子を授かって(早いひとはもう産んで)いる。
それには肉体的な部分の理由もあるだろうが精神的な部分も大きいような気がする。

いつもより帰宅が遅れ、
11時半からお昼寝。
2時間ほど眠る。

午後はいえでのんびりしつつ、
野菜の宅配が届くのを待って、いろいろと調理。
龍晴はなんども抱っこ~と言いに来たが、
料理のときは抱っこできないよ~というと
その都度、かなしそうに引き下がる。

これでいいのかなあ。
もっと抱っこしてあげたほうがいいのだろうか。
龍晴が抱っこをして、というときはいつでも?

でも龍晴のいうままに抱っこしていたら
一日中、抱っこになってしまう。

ここのところ、それまでよりも抱っこをせがむ頻度が増えているのは
どうしてなのだろう。
以前に比べて抱っこをしていない、わけではないので、
「抱っこ」と言えるようになったせい、だろうか?

しかも今日は「抱っこ」ではなく「抱っこは?」と言っていたし。
きっと「抱っこはできないよ」と、
抱っこ~といわれてダメなときに言っていたせいだろう。

夕方、高田馬場へ行きたいというので
東西線で出かける。
夫の会社の前まで行き、
龍晴はとうさーんと、何度も太い声で叫んだり
自作の「高田馬場のうた」をうたったりしていた。

5/30(木)
梅雨なんだなあ、と思う。
雨は降ったりやんだりを繰り返し
じめじめと蒸し暑い。
あああ、梅雨だよ。本当に。

朝のさんぽのときは
まだ雨脚が強くなかったこともあり
歩いて本屋さんとスーパーマーケットとブロードウエイに行く。

お昼寝後はポーコアポーコさんへ。
風邪をひいたり都合が悪くて
2週間ほどご無沙汰をしていた。
その間は近況をメールしていたものの。

龍晴はご主人に会えたことがとてもうれしいらしく
いまから伺います、と電話をしておいたら
お店のそとで待っていてくれたご主人を見るや
うれしくてぴょんぴょんと跳ねている。

お店でもご主人に抱っこされたり、
食事のあとはいぬを見せに連れて行ってもらったり。
よかったね、龍晴。

お店を出てから新井薬師前の駅まで行き、
西武線で高田馬場に出てすこし街をぶらぶらとし、
東西線で帰宅する。


5/31(金)
それにしてもここのところの龍晴の抱っこ熱はすごい。
どうしてこんなに?と思わざるを得ないくらいに
抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ、とやってくる。
抱っこをしていないときは必ず。
ほんとうに、必ず。

でも抱っこをしていてはできないことも
もちろんあるから・・・
たとえば家事とか、たとえば龍晴のごはんをつくることだって、
そういうときは、
待っていてね、というわけなのだが、
そのあいだずうっと、抱っこは?抱っこは?と言ってそばで待っているし、
痺れを切らして半泣きになることも多々ある。

体調が悪いならいざしらず、
元気でぴんぴんとしているのにこの抱っこ熱。
ううむ、どうしたものか。

もちろん抱っこしてあげられるときは
存分に抱っこをしているのだが
龍晴としては抱っこが足りない、ということなのだろう。
ううむ、本当にどうしたものか。

朝のさんぽは近くの神社へ。
その先にある公園へ行こうと思っていたのだが
この神社で遊ぶのが気に入ったらしい。

滑り台があるのだが、
最初は嬉々として滑っていたのに
途中から抱っこは?といいはじめ
私が抱っこをして滑ることに・・・
ううむ・・・

近くの保育園の子もやってきて
みんなで遊ぶ。

お昼寝後のおひるごはんのあとに、
今日は水族館に行く約束をしていたから、と
急いで片づけをしている最中のあまりの抱っこ攻撃に、
いま抱っこをしていたら、このあと水族館に行けないよ?というと、
号泣をはじめる。
泣かれてもなあ、と思い、

りゅう、よく聞いて?
抱っこはできないときもあるんだよ?
たとえば朝ごはんをつくっているとき、
用事をしているとい、
そういうときはいくら抱っこっていわれても
できないんだよ?
と諭すと、私に叱られていることが悲しいせいか
わかった、という龍晴。

きっと今日はわかった、といっても
明日にはまた同じことの繰り返し何だろうけれども。
一日中、飽きるほど抱っこをしてあげる日がもしあれば
納得するのだろうか?
試してみる?

午後は池袋の水族館へ。
いえのそばのバス停からバスで向かう。
自分でつくったまんぼうのうたを歌いながら歩く龍晴は
しかし最初はまんぼうをちらりと見ただけで
館内を抱っこのままぐるぐるとまわり、
ひととおり見終わったところでスイッチが入り、
あちこちと走りまわる。
そろそろ帰るよ?という時間帯になってやっと
見たがっていたまんぼうやくらげやかにやえびを眺める。

くらげをじいっと見ていたと思ったら、
きのこ!といったのには笑ってしまった。
確かにきのこに似ているなあ。

あしかショーを見ているときには
私の横をすり抜けてものすごいスピードであしかに駆け寄り、
係員さんに静止され号泣していた。

いろいろあったけれども
たのしい時間。
また来たい!と龍晴は笑っていた。
そうだね、また来ようね、龍晴。

6/1(土)
朝のさんぽは夫を見送りがてら、高田馬場へ。

お昼寝後は、ポーコアポーコさんへ。
平和の森公園で遊んでから、
スーパーマーケットに寄り、
夫を迎えがてら中野駅に寄り、
帰宅する。

夫がフットサルへ行ってから、
抱っこ抱っことせがむ龍晴にかなしい気持ちになってしまい、
抱っこをできないときがある、ということを
諭しながらもぐっと苦しくなる。

りゅう、ちょっとここに座っていて。
と、ソファの私の隣に座らせて、
私はしばし、顔をひざにうずめた。

最初はいないいないばあをしているの?と笑っていた龍晴が
私の様子がおかしいと気付き、
不安に思っているのが伝わる。

子どもを不安にさせてはいけない。
早くこの顔をあげなければ。
そう思うのに、なかなか顔をあげられない。
いま顔をあげたら、私はきっと泣いてしまうだろう。

子育てって難しいな。
ほんとうにそう思う。

そうして。

抱っこ熱がますますヒートアップしている今日この頃についてだが。
繰り返しになるが、
抱っこをすることが嫌なのではない。
一日中だって、私は龍晴を抱っこできるし、抱っこしていたいとすら思う。

だが、そうしていたら滞る、数々のこと。
家事だけでなく、龍晴に関すること・・・たとえばごはんをつくることだって、
さんぽに行く支度をすることだって、
抱っこをしていたらできないことはある。

しかし。
さんぽに行く準備をするからね、と言っておろすと、
悲痛な声で抱っこ~龍晴はという。
さんぽですらそうなのだから、料理なんてもってのほかだ。

ちょっと前までは、私が2時間近く断続的に
料理をしていても平気だったのに。

どうしたんだろう?と
思って、思い続けて、はたと気がついた。

私は起点を、龍晴が体調を崩した日においていたのだが、
そうではなく、
龍晴が体調を崩した前日、までの、
京都に行っていた2泊3日が、
ことの起こり、だったのだ。

なるほど。
そうするとすべて合点がいく。

京都の2泊3日のあいだ、
私は接待業務のため殆ど龍晴を抱っこしてあげられなかった。
龍晴はとしが近いいとこたちと遊んで
とても楽しそうだったのだけれども、
楽しいよ、という報告も、ふだんは私にしてくるのに
あとでね、といわれてしまったり、
悲しいことがあっても、すぐに抱っこをしてもらえなかった。

遠くから私のほうへ来て、
なんだか忙しそうだから、と踵を返す龍晴を何度も見た。
こらえきれずにやってきて、
まわりから、抱っこしたり?と言われて
抱っこしてあげたことはあるが、
言われないときにはなかなか抱っこできなかった。

そんな2泊3日だったのだ。

龍晴にとっては、遊んで楽しかった、という記憶は強いのだけれども、
抱っこしてもらえなかった、ということもまた、
憶えていることなのだろう。

あくまで類推だが、
いまのこの状態の主因としては
そう遠くないことだと思う。

そうなると、私のとるべき手段はひとつ。
抱っこをしてほしいときに、
抱っこをしてあげること。

抱っこできないよ、というのではなく、
おいで、といってあげること。

そのために、抱っこできない理由であるものものをすることを、
できうる限り、龍晴が寝ている時間に行うこと。

そう思い定めたら、
すっきりとした。
良かった。
これでもう大丈夫だろう。
どんなに抱っこ抱っこといわれても、
私はもう苦しくない。
抱っこ抱っこといってもしてもらえなかった龍晴の苦しさに比べれば。
少なくとも。ちっとも。


6/2(日)
朝、龍晴をうまく遊べない夫にいら立ち、
夫とひと悶着。
あなたがそんなだから、龍晴は私から離れずにいるんじゃない!と
私は苛々してしまったのだが、
夫からすれば、彼なりに頑張っているのにすぐにかあさ~んという龍晴に
どうしていいのかわからない、という部分も大きいだろう。

朝のさんぽは夫とひとあし先に出てもらい、
四季の森公園へ。
公園の噴水がある池で遊んでいた龍晴は
下半身がびしょ濡れだったが
楽しそうにしていた。

お昼寝後は、また四季の森公園へ。
中野マルシェというフェアをやっていたのでランチがてら見に行く。

龍晴はかわ!かわ!と、
噴水がある池で遊びたいというので
夫とともに池に行き、
龍晴の着替えを持ってきていたのを良いことに、
龍晴ひとりでその池に入れてみた。

午前中と違い、小学生くらいの子がほとんどで
おおにぎわいのなか、
やっぱり~という感じで龍晴が盛大に転び、
全身びしょぬれ。
しかも20分に1度くらいの間隔ではじまる噴水に小学生が次々に飛び込むと
龍晴も負けじと飛び込み、
もう大変なことになっている。

そこまで暖かくないので、
途中でガタガタ震えだしたのを機に、
なんとかなだめて水からあげ、
着替えさせて日向ぼっこをしてから帰宅する。

ものすごく楽しそうにしていたので
そんな龍晴を見るのは嬉しかったが、
しかし風邪をひかないといいのだけれども。

龍晴は、またかわに行きたい!と
なんども言っていた。

今日もたくさん、抱っこのいちにち。