父が亡くなった。
父、といっても実の父ではなく
世の中的には義父、であるところの
夫の父である。
ただ私は実の父のように
父を、また夫の家族を思っているので
「義」ということばを重ねるのにはどうも抵抗がある。
だからずうっと「父」、
いや、アボジ、と呼んでいる。
その報せは突然だった。
そう、本当に突然で。
アボジが先の長くない病・・・
肺線維症という、
いまのところ不治の病にかかっていることは
もちろん知っていたのだけれども
それでもこんなに早く、とは
だれも思っていなかった。
と思う。
ただもしかしたら。
アボジにはわかっていたのかも知れない。
そんなふうにも思う。
死に顔は穏やかだった。
病気が進行してからは
ほとんど寝たきりで
食事もほぼできなかったアボジ。
元気だったころよりも
ずいぶんと痩せていたアボジ。
チャゴメヌリ、と私のことを呼んでいたアボジ。
すこしせっかちで
おおきな笑顔をしているアボジ。
最後に会ったのは
5月。
年末の帰省で会えることを
とても楽しみにしていたし
アボジも楽しみにして待っていてくれていたと思う。
夫の会社が移転したので
その写真を送ったら
看板をあげられるならたいしたものだと
喜んでいたというアボジ。
新しいオフィスにちいさくうつりこんでいた龍晴と
会いたいといっていたというアボジ。
突然の報せを聞いた翌朝、
取るものもとりあえず龍晴とふたりで新幹線に乗った。
早朝の新幹線で京都へ向かった夫を追う。
車窓から見える冠雪の富士は
あまりにもきれいだ。
突然すぎて
かなしいという感情も浮かばない。
信じられない。
そのひとことだけだ。
夫もそうだったと思う。
でも桂のいえには
ものいわぬアボジ。
翌日の葬儀は西京極の教会で行われた。
そこでアボジからの遺言をきいた。
ひとつひとつのことを丁寧に
きちんとしたためてある遺言だった。
アボジにはわかっていたのだろう。
長くない自分のいのちのこと。
天国で会おう。
遺言の最後は
オモニに向けたそのひとことだった。
ありがとう、アボジ。
私はアボジからたくさんの愛情をもらったし
たくさんのことを教わった。
それは婚家として、ということよりも。
在日韓国人二世として生きてきたアボジの生きてきた道と。
私が出会ってからの。
なにじんとか関係あらへん、といってくれたアボジの。
たとえばひとは。
何歳になっても変われるのだということ。
志を高く持つということ。
決めたことを遂行するとはどういうことかということ。
律するということ。
家族を守るということ。
そんなようなこと。
帰りの新幹線は
夫と龍晴と3人だった。
膝元で眠る龍晴を抱きながら
夫と富士山を眺めた。
また京都に行けば
アボジがいると思うのに。
この富士山を東海道線から眺めるときは
京都に行くときか帰るときで
そこには必ずアボジがいるという思いが
まだまだたくさんあるのに。
アボジ。
私はアボジと家族になれて幸せでした。
ありがとう。
いまごろは天国にいますね。
天国でもきっとせかせかと
早足で歩きまわっていることでしょうね。
もしかしたらやめていた煙草を
喫っているのではないですか。
アボジ。
いままでありがとう。
これからもありがとう。
たいせつなことを
教えてくれてありがとう。
元気でいてください。
奈緒
父、といっても実の父ではなく
世の中的には義父、であるところの
夫の父である。
ただ私は実の父のように
父を、また夫の家族を思っているので
「義」ということばを重ねるのにはどうも抵抗がある。
だからずうっと「父」、
いや、アボジ、と呼んでいる。
その報せは突然だった。
そう、本当に突然で。
アボジが先の長くない病・・・
肺線維症という、
いまのところ不治の病にかかっていることは
もちろん知っていたのだけれども
それでもこんなに早く、とは
だれも思っていなかった。
と思う。
ただもしかしたら。
アボジにはわかっていたのかも知れない。
そんなふうにも思う。
死に顔は穏やかだった。
病気が進行してからは
ほとんど寝たきりで
食事もほぼできなかったアボジ。
元気だったころよりも
ずいぶんと痩せていたアボジ。
チャゴメヌリ、と私のことを呼んでいたアボジ。
すこしせっかちで
おおきな笑顔をしているアボジ。
最後に会ったのは
5月。
年末の帰省で会えることを
とても楽しみにしていたし
アボジも楽しみにして待っていてくれていたと思う。
夫の会社が移転したので
その写真を送ったら
看板をあげられるならたいしたものだと
喜んでいたというアボジ。
新しいオフィスにちいさくうつりこんでいた龍晴と
会いたいといっていたというアボジ。
突然の報せを聞いた翌朝、
取るものもとりあえず龍晴とふたりで新幹線に乗った。
早朝の新幹線で京都へ向かった夫を追う。
車窓から見える冠雪の富士は
あまりにもきれいだ。
突然すぎて
かなしいという感情も浮かばない。
信じられない。
そのひとことだけだ。
夫もそうだったと思う。
でも桂のいえには
ものいわぬアボジ。
翌日の葬儀は西京極の教会で行われた。
そこでアボジからの遺言をきいた。
ひとつひとつのことを丁寧に
きちんとしたためてある遺言だった。
アボジにはわかっていたのだろう。
長くない自分のいのちのこと。
天国で会おう。
遺言の最後は
オモニに向けたそのひとことだった。
ありがとう、アボジ。
私はアボジからたくさんの愛情をもらったし
たくさんのことを教わった。
それは婚家として、ということよりも。
在日韓国人二世として生きてきたアボジの生きてきた道と。
私が出会ってからの。
なにじんとか関係あらへん、といってくれたアボジの。
たとえばひとは。
何歳になっても変われるのだということ。
志を高く持つということ。
決めたことを遂行するとはどういうことかということ。
律するということ。
家族を守るということ。
そんなようなこと。
帰りの新幹線は
夫と龍晴と3人だった。
膝元で眠る龍晴を抱きながら
夫と富士山を眺めた。
また京都に行けば
アボジがいると思うのに。
この富士山を東海道線から眺めるときは
京都に行くときか帰るときで
そこには必ずアボジがいるという思いが
まだまだたくさんあるのに。
アボジ。
私はアボジと家族になれて幸せでした。
ありがとう。
いまごろは天国にいますね。
天国でもきっとせかせかと
早足で歩きまわっていることでしょうね。
もしかしたらやめていた煙草を
喫っているのではないですか。
アボジ。
いままでありがとう。
これからもありがとう。
たいせつなことを
教えてくれてありがとう。
元気でいてください。
奈緒