5/9(月)
中野妊婦仲間と出産前最後の集い。
早稲田通り沿いにあるエカイエに行き、ランチをしながらみんなで話をする。
中野妊婦仲間のうち、ひとりは無事出産を向かえ、今日集まった私を入れて5人はこれから7月にかけて
三々五々、みんな出産に向かうのだ。
また産まれたら会おうね!と手を振りあい、おなかの赤ちゃんにみんなであいさつをして店をあとにする。

帰宅後、ものすごく眠くてたまらなくなり、いえに帰ってずっと眠ってしまう。

夫が夜、ポテトチップスを買ってきてくれた。
ポテトチップスはお菓子のなかでいっとう好きなもので、苺のショートケーキと並び、出産前に絶対に食べておきたい!といきまいていたものなのだ。
食べたいっていってたやろ、この前、食べれんかったから。
そういって夫が買ってきてくれたもの。
優しいなあ。ありがとう。
はたからみたらどんなにささやかなことでも私にとってはとてもうれしいこと。

ちびちびは今日も元気。


5/10(火)
朝5時に起きる。
最近、いつもこんな感じだ。
夜1時か2時に寝るのだが、朝は5時か遅くとも6時には目がさめてしまう。
その代わり、日中に暴力的な眠気におそわれる。

いよいよからだのむくみも始まった。
ストレッチやつぼ押しやヨガや海草を食べたり!やらでは全然解消しないむくみだ。
これがはじまると出産がすぐ近くに来ていると、銀座の鍼灸のS院長がいっていた。
そういえば週頭におなかも壊した(おなかを壊すのも兆候のひとつ)。
本当に近いのかもしれない。

早くちびちびに会いたいな。
夫も同じことをいっている。

午前中、東京女子医大の皮膚科へ。
いまつけているステロイド剤が、産後、子どもの皮膚についたとしたらどうなる?ということを確かめにいったのだが、納得のいく回答をしてもらえた。
川島教授、お忙しいだろうに、そして患者もすごく多いだろうに、
カルテひとつ見ずに私の顔を見るなり「だいぶよくなりましたね」とおっしゃる。
患者ひとりひとりのことを覚えているということなのだろうか?すごい。

昼ごはんは高田馬場のパティオでハヤシライス。
もうすぐ出産だから、とマダムにお伝えする。

その後、夫の事務所へ。
まとめてしておきたい仕事を済ませる。
これで2ヶ月くらいは大丈夫でしょう、というところまで手伝いができた。
ほうっとする。

夜は夫と高田馬場の中華へ。
こちらのお店もいつもとてもよくしていただいているので
出産前に顔を出しておきたかったのだ。
店主に挨拶ができてよかった。

夫とともに帰宅。
うれしい一日。

ちびの動きが少なくなっている。
元気は元気なのだけれども、動ける範囲が狭まった印象。


5/11(水)
午前中、銀座の鍼灸へ。
S院長に「ぶっちゃけ、いつ産まれると思います?」とたずねると、そうですね、土日の夜でしょう、と予告。
そうか!
それならそれまでに最後の追い込みだ。

私と夫のあいだでは、ちびちびは13(金)の夜に産まれるということになっている。
13日の日中に夫は重要な会合がある。
出産を優先してくれるとはいえ(当然やと夫はいっているけど)、やはり重要な会合がない日の方が気持ちだっていいだろう。
だから13日の夕方くらい、夫が会議後にメールをチェックすると「陣痛始まりました。先に病院に行きます」という私からのメールが届いている、というのが私の妄想だ。
そううまくいくんかな~と夫はいっているけれども、
だいじょうぶ、ちびに毎日言い聞かせているもんね!とおなかをなでる私である。

と。
思っていたのだが。

17時頃、破水疑惑第2弾。
この前よりは量が多いみずっぽいものが出たのだが、それでも世の中的なイメージどおりの破水とはずいぶんと違う。
念のため、警察病院に電話。
看護師さんが「破水の可能性がある場合はとにかく来ていただいている、入院の準備も持ってきてください」とおっしゃるので、まさか~おおげさな~と思いつつ、入院用にまとめていたバッグのうちのひとつを持ち、夫に用件を伝え(もし入院になったら大きいほうのバッグをもってきてほしいとかそういうこと)、病院へ向かう。

夜間に入っていたのでまたしても救急外来へ。
すぐに診てもらえるかと思っていたのだが、
私の直前にただごとならない産婦人科の緊急対応があったらしく、
救急担当医だけでなく、私の主治医のI先生まで救急に来ていた。うむむ。

ようやく私の診察。
まさか~と思いつつ、
時間外なのにご迷惑おかけしてすみませんね、念のためということで、と言いながら診ていただくと
「破水です」とのこと。
ええっ?と驚く私。
観念して入院してください、とM先生が冗談めかしておっしゃった。
さらには感染症にかからないようにするために、これから48時間以内には産んでいただくことになります、とおっしゃるではないか。
えええ?そういうシナリオなの?
・・・びっくりである。

ちなみにそれって促進剤使うってことですか?と聞くと、そうです、とのこと。
促進剤か・・・なるべくなら「すべて自然」にいきたかったのだけれども、仕方がない。
ちびちびが元気に産まれてきてくれるのなら。
そればかりを思う。

救急外来から産科病棟から迎えにきてくださった看護師さんと車椅子で移動。
そのまま入院。
夫に「破水だったよ、緊急入院になったよ」という説明の電話をする。
夫も驚きつつ、1時間後には荷物を持ってやってきてくれた。
医師と助産師さんがしてくれた説明を夫にいまいちど詳しく話す。

夜、23時過ぎにM医師の診察があり、バルーンを入れる。
私は前期破水といって、子宮口が開いていないのに破水をした、という状態。
したがって、子宮口を開けないといけないのだ。
3センチの小さなバルーンを入れて朝まで陣痛と子宮口開大を待つ。
明朝までに開かなければ5センチのバルーンに切り替えるのだそうだ。

深夜、陣痛が始まる。
10分に1度程度の強い痛みがやってくる。
これが陣痛の始まりか!
よせてはかえす波のような感じだ。
波がない間は眠ることもできるが、波がやってくると痛くてもだえる。
ちびちびがもうすぐこの世に産まれることを思う。

帰宅した夫に詳報をときどきメールで送る。
夫は明日の10時に病院に来ることになっている。
つまりそれからが私たちの「出産のはじまり」ということ。

思いがけない促進剤も、破水も、少し不安だけれども、
ちびちびと夫と3人で乗り切ろう。一緒に。
夫からも同じ内容のメールがくる。
早くちびに会いたい。
とても楽しみだ。
どんな顔?どんな目?鼻?口?
元気だったらそれでいい。やっと会えるね。


5/12(木)
ほとんど眠れないまま夜が明ける。
しかし朝、深夜から明け方まで続いた陣痛の波はだんだんと遠のいてしまっていた。
朝からLDR(陣痛~分娩~快復までをひとつの部屋でできるシステム、その部屋のこと)で陣痛促進剤を点滴。
子宮口は2センチほど開大していた。
バルーンは変更しない方針らしい。
担当についてくださる助産師のDさんは、病院のマタニティクラスで講師をされていた女性で、てきぱきとして明るくて頼もしい、好印象の方だった。
医師はまだ一度も診察を受けたことがないH医師。女医さんである。

さて。
促進剤を投与されつつも、
10時少し前に病院にきた夫にも軽口をたたく余裕もあったし、
お昼近くなったので、お昼ご飯食べてきたら?先は長いし、まだ余裕だし、2時間でも3時間でもお昼に行ってくるといいよ!なんて言って、そうやなそれならちょっと上の階のレストランに行ってくるわと夫は12時少し前にLDRをあとにした。
するとその数分後、信じられないくらいの痛み到来。
おお、これが陣痛か!などと考えている余地すらない。
ちょうどそのとき、D助産師も出払っていて私しかいない。
分娩用に用意しておいた音楽が気になり、陣痛に集中するために止めてほしいのだが頼めるひとがいない(いま思えばどうしてそんなことが気になったのだろうか)。
なんとか携帯に手を伸ばし、夫にメール。
帰ってきて!というひとことだけしか打つことができず、しかし夫はすぐに帰ってきてくれた。

陣痛は、信じられないくらいの激痛だ。
いままで味わったどんな痛みとも似ていない。
(しかし実際にこれを書いているいまは、痛みの種類や強さのことは忘れてしまっている。だから女性は何度も出産ができるんだって!なるほど~)
何分間隔、なんてもはや意識している暇もない。
病院から教わっていた呼吸法(警察病院は気功を取り入れている)を必死で思い出しなんとか実践する。
夫も必死の介助。
背中をさすってくれたり、いろいろと支えてくれる。
確かに陣痛には波があって、痛みと休息が交互に訪れ、その間隔はどんどん短くなっている。
でもそれを感じる・・・いま痛いから、次は休息ね!とか、陣痛の間隔が短くなっているわね!とか、
そういうふうに思う余裕はそんなにない。
戻ってきた助産師さんたちは子宮口の開大状態を確認し、にわかに分娩の準備を開始しているのがわかる。
この日、3つあるLDRは満室。
おそらく別室にいるH医師に、携帯で、子宮口全開です!と助産師のDさんが連絡をとっている声も聴こえる。
夫は私の後ろで、手を握ってくれている。

そうして。
ああもう本当にこれはすごいかも!というタイミングで、
いきみ開始。
信じられないくらいすごい。なにがすごいかって痛みがすごい。
そのうち私のなかからちびちびが出てこようとしているのがわかる。
頭のようなものが感じられる。
もうすぐですよ、と助産師さんの声もする。
痛みの頂点はたぶんここだった気がする(が、やはりあまり記憶にない)
ああ早く、早くちびちびを産み出したい。ここで痛いのに負けたら、ちびちびを世の中に送り出せない、負けちゃだめだ!と必死でいきみ、同時に頭が出てくるのがわかった。

13時過ぎ。
ちびちびの産声が聞こえる。
元気なちびちびの声。
ああやっと。やっとちびちびに会えたんだ。
そう思ったら、涙が止まらなくなった。
ふだんは絶対に泣かない夫からもそんな気配を感じる。
つないでいる夫の手のちからがぎゅうっと強くなる。

こうして。5月12日13時6分にちびちびは誕生した。

私たちの赤ちゃん。
あなたが産まれた日。

ちいさな命が芽生えてから3人で今日まで頑張って頑張って、
そうして産まれてくれた、私たちの子ども。
子どもの名前は龍晴(りゅうせい)という。
夫の名前から一時とり、「晴」の字は夫が決めた。
まわりのひとびとのこころも晴れやかにするような、そんな子になってほしいとつけた名前。
どうか今日のこの五月の天気のようにあなたの人生も晴れやかで素晴らしいものでありますように。
こころから願う。

それにしても短い分娩時間だった。
初産で高齢、にもかかわらず1時間ちょっとの分娩時間。
これには医療側のスタッフもみな驚いていた。
もちろん私自身も夫も。
私はきっと難産、もしくは長時間の分娩になるだろうなと思っていたし、
だからこそそのためにそうならないような地道なことやそうなったとしての体力づくりをし続けてきたのだけれども
それが功を奏したのだろうか。
夫や私やちびちびの願い、京都や長野からの祈りが通じたのだろうか。


LDRに2時間ちょっといて、夫にも龍晴を抱っこしてもらったり、
カンガルーケアや初乳をあげたりして過ごす。
信じられないくらい龍晴はちいさくてかわいらしい。
顔は思わず笑ってしまうくらいに夫にそっくりだ。
下にさがった少し薄い眉毛、目のかたち。
口元だけ私に似ている。

めちゃくちゃTに似てるね!というと、
夫はうれしそうに笑っている。

すべてがしあわせで満たされている。そんな時間。

最初から早速、母子同室にしてもらった。
警察病院は一日目から母子同室を選べるのだ。
疲れていたりしてゆっくり休みたければ預かってももらえるのだが、私はお願いして母子同室にしてもらった。
助産師のⅠさんがやってきてくれて、添い寝の方法を教えてくれる。
夫は面会時間の終了までいてくれてから帰宅し、
私は朝まで龍晴と添い寝をする。

この世に産まれて数時間の龍晴。
時折あげるくすんくすんという泣き声。大きな声で泣く顔。おっぱいを飲んでいるところ。寝顔。
すべてがいとおしくかわいらしい。
カーテンを開け放した窓からはそとの薄明かりがぼんやりと病室を照らし
神々しいまでの静けさと子どもの健やかな寝息に、穏やかな気持ちになる。
信じられないくらいの幸福感に満たされているのを感じる。
こんな気持ちははじめてだ。

龍晴が夫にとてもよく似ているのもうれしい。
龍晴、産まれてきてくれてありがとう。
本当にありがとう。
帰宅した夫からもメールをもらう。
これから家族3人、楽しく生きていこうね。



5/13(金)
入院一日目。
警察病院のスパルタおっぱい合宿のスタートである。
警察病院の産科は「退院時点で母乳育児に困らない」ことを念頭に特訓のようなスパルタ授乳管理が始まり、さらに至れり尽くせりのケアも特長である。
たとえば24時間体制の母乳相談室。
助産師さんが2人常駐していて、母乳で悩む母たちが赤ちゃんを連れて集まってくると、いろいろなケアをしてくれる。
具体的な授乳指導だったり、場合によっては疲れてしまったお母さんから赤ちゃんを離してお母さんを少し寝かせることも含めて。
赤ちゃんがお乳をもっとも求めるのが夜なので、24時間あけておかないと意味ないでしょ、というのが病院の方針なのだが、本当にこれには助けられた。
だいたい最初から、母乳がわんさか出たり、あるいは母乳をわんさか飲んでくれる赤ちゃんなんてそんなにいないのだから。

警察病院の面会時間は13時~20時。
夫は仕事の合間を縫ってやってきてくれる。
龍晴のたんじょうをことのほか、私の想像よりもずうっと喜んでいる夫。
病室にやってきては、ほんまにかわいいな~を繰り返し、
龍晴の頬っぺたをつっついたり手をさわったりしている。
わかるよ、その気持ち!
夫もよくいうのだが、子どもがこんなにかわいいなんて思わなかった、というくらいにかわいいのだ。
いままで産んできた友だちはみな同じことをいっていて、そういうものなんだ~というくらいにしか思っていなかったのだが、自分が産んでみると確かに、思っているのの何倍、などといえないくらいにかわいいのだ。不思議だなあ。
夫もそういう気持ちでいることが何よりもうれしいことのひとつ。

昨日の子どもの様子があまりにも神聖で神々しく、
そのことを助産師さんたちに話すと、そうなのよ~、赤ちゃんって出産当日と翌日は全然違うのよ、と異口同音におっしゃった。
そうなんだ。
やっぱり昨日、一緒にいてよかった。


5/14(土)
入院二日目。
朝から授乳指導、沐浴指導など指導がつづく。
警察病院は母乳ケアとあわせて各種指導がすごい勢いでスケジュール化されている。

龍晴が誕生して3日目。
何度見てもかわいらしくてほうっとする存在。
おっぱいを飲んでいるときの背中がとても愛らしくて、涙が出そうになる。
こんな気持ちが世の中にあったのだということ。
こんな気持ちを持てる存在。
朝、目が覚めたときに横に寝ている龍晴を見るときのしあわせ。

夫も毎日のことながらとても喜んでいる。
想像以上の喜びっぷりだ。
よかった。
面会時間にお願いしておいた荷物などを持ってきてくれる。
入院中の私の洗濯などや家事なども頑張っている夫。
忙しいのにありがたい。

出産して意外だったのは、予想よりはるかにおなかが小さくならないことだ。
すぐに体型が戻らないとは聞いていたがそれどころの騒ぎではない。
いまでも妊娠8ヶ月ですか?というくらいの出っぷりだ。
妊娠中からやたら腹囲があったせいだろうか。

想像していなかったことといえば、
産後には歩きにくくなること。筋肉痛になること。
当たり前といえば当たり前なのだが、全然想像していなかった。
なにごとも経験してみないとわからない。
妊娠と出産はその極地かもしれない。


5/15(日)
入院3日目。
まだ母乳の出があまりよくない。
こんなものですよ!とおっぱい合宿の助産師さんたちは励ましてくれるのだが。
龍晴も私も吸い付き・吸い付かせについては比較的早くマスターしたのに、
如何せんすぐに母乳が出るわけではないのだ。

そのため一時間に一度程度の授乳。
夜中も当然そうなので寝不足なはずなのだが、
神経が張っているせいか全然疲れない。
もともと睡眠が短くて済むタイプというせいもあるだろうか。
体力があってよかったとほうっとする。

午後、長野から両親と、川崎の従妹夫婦、伯母がお見舞いに来てくれる。
夫と相談し、分娩が終わってから両方の実家に連絡しよう、ということに出産前に決めて、
そのとおりにしたら、さすがに両家の両親ともにびっくりしていた。
夫の姉からはいきんでいる最中に電話があったし(ナオさんげんき?そろそろやんなあ、というのが主旨だったそうなのだが、まさか分娩中だとはとびっくりしていたそうだ)。
みな安産であったことと、龍晴が無事に生まれたことにとても喜んでくれた。

しかしお見舞いはありがたかったが、
両親と親戚の連続お見舞いが12時~17時まで続き、さすがに疲れてしまった。
龍晴には不安な環境だったらしく、母乳も飲まなくなったし眠れなくなってしまったようで
とても心配する。
みんなが帰り、夫と3人になったらやっと落ち着いた様子の龍晴。
やはり新生児に騒がしいのはよくないということなのだろう。
警察病院は基本的に「お見舞いは遠慮してください、親であっても」・・・なぜならそのことで、お母さんと赤ちゃんが疲れてしまうから、という方針を貫いているのだが、
確かにその通りなんだね、と夫といいあう。

昨日は夫のフットサル仲間までがみんなでお祝いを準備してくれたと喜んでいた。
みんなに祝福されるのはとてもうれしいことだ。
出産報告を待ってくれている友だちたちにも連絡をしたいのだが、
携帯の画面を開くだけで目が疲れてしまう。
これも出産してみてわかったこと。

夫は本当によく頑張ってくれている。
疲れているだろうにありがたい。
仕事もとても忙しいけれども、これくらいのほうが張りがあっていいという。
俺にとっては今年は転換期や、仕事もそうだし新しい家族もできたし、と何度もいっている。
夫がそう思ってくれているのがうれしい。
龍晴を見るときの表情はいままでと全然違う。
きっと私もそうだろう。

まだちいさな龍晴の頬っぺたをそうっとさわる。
ちいさな指。背中。お尻。あたま。目。鼻。口。おなか。足。
そうっとなでる。いとしくて何度もなでる。
かわいらしい声も好きだ。
龍晴の声がおもしろくてかわいくて、
夫とふたりでよく笑う。

この背中のかたち、お尻のかたち。
私のおなかのなかに入っていたときと同じかたちをしている。
愛らしくて、いとしさがこみ上げてくる。


これを書いているのは出産してから3週間目にあたる「いま」だ。
手帳につけている毎日の日記をもとに、さらにいろいろなことを思い出しながら書いているのだが、
出産してからすべてが変わってしまったように思う。
それ以前とそれ以降。
同じものでも同じようには見えないし感じない。
震災のときにも感じたが、同じように、あるいはさらにそれ以上に。
生活も一変した。
以前、鍼灸のS院長が「子どもができたら子どものことが頭から離れる瞬間は一度だってない」というようなことをおっしゃっていたが、まさにそのとおりだと思う。

うれしいことは、龍晴が元気なこと。
夫がこころからうれしそうなこと。龍晴をかわいくて仕方ないと思っていること。
父親としても夫としてもさらに頑張ってくれていること。
私のからだも順調なこと。あれ?と思うこともあったが、大丈夫そうだ。

毎日どんどんと成長していく龍晴。
昨日はできなかったことが今日はできていたり、
そんなこといつのまに?とかその奇声はいったい・・・とか、
夫と3人で育児を楽しんでいる。
もちろん眠れない(眠らせてもらえない)こともあるし、泣かれると困ったりもするのだけれども
総じてすべてが順調だ。
龍晴は育てやすい子どものようにも思う。
既に授乳が3時間おき程度(夕方だけ1時間おき)、夜は4時間おき程度になったので、
私もだいぶ睡眠がとれるようになったし、
なによりも龍晴は無駄に泣くことがないことも重要なことに思う。
たとえば泣いてしまっても、抱き上げて欲求を・・・たとえばおしっことかうんちとかおなかがすいたとか暑いとか寒いとか単に泣いてみただけとか、そういうのを満たしてあげれば一瞬で泣き止む。
一度だけ、退院した当日に2時間ほど欲求がわからずにずうっと泣かせてしまったのだが、ぎゃんぎゃんと泣かせてしまったのはそのときだけだ。
おむつを変えられるのと服を変えられるのが大嫌いで(そのくせ濡れるとむずかる)、
変えている最中は泣いているけれども変え終わって抱き上げるとけろりと静かになる。
親孝行息子だねえ、と夫といいあう毎日だ。

それでもこれからは定期的に日記を更新していくのは難しいだろう。
手帳につけている日記も2日分や3日分をためてみたりしている状態だ。
でもまたそのうち。
折をみてできるだけ日々のことを残していくことにしようと思う。