11/22(月)
長野の母から電話。
明日、突然だけどお見舞いに行くけどいい?とのこと。
本当にいつも急であるが、前日に連絡があっただけまだいいほうともいえる。
母に、それならば申し訳ないのだけれども、うずら餅と茄子のおやきを買ってきてほしい、とリクエストする。
思えば親に何かをリクエストしたのは初めてのことのような気がする。
私は昔からどうも誰かになにかを頼むのがとても苦手で、それは親であっても同じだ。
が、今回はどうしてもどうしても!うずら餅と茄子のおやきが食べたくて、それは地元でしか手に入らないものなのである。
ちなみにうずら餅とは、実家から車で10分くらいのところにある神社で売っている大福のようなもので、耳たぶくらいの硬さの餅にこしあんがほどよく包まれているもの。
子どものころから餡子が食べられなかった私でも、このうずら餅だけは大好物だったのである。
また長野の郷土料理である「おやき」は、家庭や店によって味が全く違う。
私はおやきはあまり好きではないのだが、どういうわけか突然、これまた実家のそばにある、とあるお店の茄子のおやきが食べたくなったのであった。
いくらお見舞いとはいえ長野から来てくれるのに手ぶらで帰すのもなあと思い、
新井薬師の商店街で両親の好きそうなせんべいなどを購入。
ついでにお薬師さんにお参りをする。
桂に送る荷物をパッキング。
先日の赤ちゃんへの手紙のお礼に、絵本と紙芝居を買って入れる。
あとは先日作って冷凍しておいた蒸しパンと新井薬師で買った煎餅など。
11/23(火)
12時くらいに到着するから、といっていた長野の両親、10時半にはもう練馬インターに着いたという電話。
朝食べたものを吐いたばかりだったので少し体調も安定している。よかった。
お見舞い、とはいえトイレに引きこもっている状態も気が引けるし。
今回は車でやってきたため(車を買ったので見せたかったらしい)道に迷った両親を捜しに早稲田通りに出ると、
やたらと派手で目立つ車が向こうからやってきて、一発で両親だとわかった。
ランチはみんなでパスタキッチンへ。
オーナーはお休みだったので残念だったが、いつものホールスタッフの女性がたくさんサービスしてくれてありがたく思う。
両親もパスタキッチンの味を絶賛してくれた。よかった。
帰宅後、母が持ってきた漬物やうずら餅などを食べながらお茶。
数時間して両親は帰って行った。
お土産に買っておいた煎餅と、以前作って冷凍しておいた烏賊明太子キムチ、牛筋の煮物などを持って帰ってもらう。
夜、新井薬師の「五香菜館」へ。
月曜日にたまたま見つけてランチに入ってみたらとても丁寧なつくりで、
今度は夫と行きたいと思っていたのだ。
炒飯と広東麺をいただく。
どちらも丁寧につくってあってとてもおいしい。幸せ。
夫もとても気に入ったようでうれしく思う。
11/24(水)
昨日少しだけよくなっていた体調、また悪化。
つわりめ。
平和の森公園まで散歩に行く。
いつもは12時前後に行くのだが、今日は14時近く。
やたらとちびっこ連れのお母さんたちがいた。
そうか、みんなこの時間に出歩いているのだな。
散歩していて目に付くのは「お孫さんをつれたおじいちゃん」がそこそこな人数いること。
「お孫さんをつれたおばあちゃん」というのは一人も見ないのだが・・・。なぜ?
「お孫さんをつれたおばあちゃんとお母さん」というのは何人かいるのだが。
桂の姉から荷物が届いたよというメールと、
蒸しパンをほうばるチビたちの動画が届いた。
かわいいなあ。
夕方、母と電話。
帯祝の帯を贈りたいといわれていたので、お参りに行く日程を伝えるための電話だったのだが、
母はずうっと別のことばかり話していて、結局私が「ところで私が電話した理由はね」と切り出せたのは1時間近くあとだった。
途中、何度も具合が悪く、察してくれよ・・・とそれとなく気持ち悪そうな声を出してみるのだが全然気がつかない母。まあいつものことなのだけれども。
話しの途中で、私からしたらすごく残念なことを母からいわれ、なんだかなあと思ってしまった。
それは子どもが産まれたら、夫と私のことを子どもたちになんと呼ばせるのか?ということ。
アボジとかなんとかって呼ばせるの?といきなり聞きてきた母に、真意がわからず、
韓国ではアボジとかオモニは少し大きくなってからの呼び方で、小さいときはオッパ、オンマというんだよ、でも私自身はオンマというふうに呼んで育ったわけではないから、どうかなあ、やっぱりお父さんお母さんなのかなあ、まだわからないや、と答えると、
母はすごーく安心したように、オッパ、オンマじゃなくて日本語で呼ばせたほうがいい、だって日本で育っているんだし、たとえばナオたち夫婦が京都の家のそばで生きていくならともかく東京で暮らすんだから、といったのである。
つまるところ、それは私の夫が韓国人で、夫と私の子どもが韓国人と日本人のハーフであることを、隠したほうがいいといっているのとイコールなのではないだろうか。
そこまで強い気持ちで母がいったわけではないこともわかるし、両親は夫と私の結婚を心から祝福している。
そのことは事実なのだが、やはり母の本音のなかでは、韓国人ということがわかると差別されるのではないか、ということを危惧しているのではないかと思う。私の類推だけれども。
以前も、夫と結婚式を挙げる前に、ナオは韓国人になるのか?と聞かれ、国籍を変えるのは面倒だから日本人のままで当面はいる、といったときに、日本人のままがいいよといっていた母。
子どもが産まれたらその子は何人になるの?と聞かれ、確か20歳のときにどちらかの国籍を選ぶんだと思うけどなあ、といったら、日本人のほうがいい、といっていた母。
これらすべてのことを照合するとやはり、母のなかでは、そういう気持ちが・・・母個人に差別意識は全然なくても、世の中はそうじゃないから、なるべく隠していったほうがいいよ、という気持ちが、あるのではないかと思うのだ。
たとえばもしも夫がフランス人やアメリカ人やイタリア人だったら?
たとえばマンマと私のことを子どもが呼ぶ、のだとしたら、そのことを「そんな呼び方をさせないで」なんて親はいわないのではないかと思う。これも想像だけど。
そうしてこういう母の考え方を知ったことは、私にとってはすごく悲しい、残念なことであり、私とは相いれないことであり、
またああ親も年を取ったなあとすごく思う出来事となってしまった。だって母は若いころ、そういう人種や民族差別、部落差別に反対する運動をしていたくらいのひとなのだから。
母の真意はわからない。でもどういう意味でそれをいったのかと問いただしたところで何かになるのだろうか。
私は自分の子どもが、韓国人と日本人のハーフであることをふつうに思って生きて欲しいと思っている。誇りに思うというよりも、自然に、ふつうに。それは何人だったとしても一緒だ。
こんなことを考えていたら全然眠れなくなってしまった。なんだかなあ。
そういえば私はもともと里帰り出産をする予定もなく(何しろ親元を離れて20年近く経つせいかどうか、また私自身の性格もあり、親に何かをしてもらいたいとかしてほしいとか全然思えないのだ。何より親より夫にずっとそばにいてもらいたいのがいちばん大きい)、
産後に母に手伝いに来てもらうつもりもなかったのだが(里帰り出産しない場合は泊まり込みで来てもらうのが普通らしいのだが、かえって気を使いそうだ。夫は仕事がとても忙しいし家事ができないので期待はできないが、世の中には一人で乗り切っているひとだっているわけで、私にだってやってできないことはないだろう)、
こういうことがあるとますますそういう気持ちになってしまうなあ。あああ。
11/25(木)
引き続き体調が悪い。
昨晩はいろいろ考えすぎてまったく眠れず。そのせいもありそうだ。
昼は五香菜館で広東麺(今回は手打ち麺。この店は手打ち麺と手打ちじゃない麺を選べる)をいただく。
どうやら病みつきになりつつある五香菜館。
1時半というランチタイムには遅めの、しかもとんでもない路地裏にあるのに満席。すごい店である。
今回はひとりなので麺を半分に減らしてもらった。
「どう?今日は全部食べられたかね?」とおばちゃん。
ごめんなさい、少し残しちゃった、でもおいしかった。とこたえると、
おじちゃんとおばちゃんがにこにこといつもありがとね、と笑っていた。
食事後、お薬師さんでお参りをし、お薬師さんの裏にある公園でしばし休憩。
さらに中野通りを挟んで反対側にある北野神社を偵察がてらお参りをして帰宅。
偵察、というのは、いよいよもうすぐ5カ月なので、帯祝と安産祈願に行く神社を捜しており、
東京だと水天宮に行く人も多いようなのだが、やはり地元の神社のほうがいいなということで、
私が住んでいるところの氏神様のもとじめみたいな東中野にある神社か、あるいは北野神社かどちらかに行こうかと思っているのである。
11/26(金)
週数計算の初日、やはり日曜日ではなく金曜日で合っていたことが判明。
というわけで今日から14週。
夫と「14週の胎児の大きさ」を見て、大きい!といいあう。
朝からいつも以上に体調が悪い。
午前中はずうっと休む。
仕事部屋で仕事をしていた夫、心配そうに何度か様子を見に来るが気持ちが悪すぎて起き上がれない。
荒療治に行こうかなと夫とパスタキッチンへ。
火曜日にお邪魔したことを伝え聞いたらしく、留守にしててすみませんね、とオーナー。
最近の私の気に入りは和風のスープスパ。今回はそこに野菜をトッピングしてもらい、オーナーにスープは入れますか?と聞かれたのでスープが大好きなのでたくさん!といったら、本当にたっぷりのスープを入れてくれた。いつもありがとうございます。
夫を見送り、今日は哲学堂公園まで散歩してみる。
ずうっと気持ちが悪く、だましだましだがなんとか公園に到着。
しばらくベンチで休み、また引き返す。
往復で5キロ。なかなかよい運動である。
ここのところの気がかりは朝鮮半島で戦争になってしまわないかということ。
戦争はなにもよいことはない。
どうか平和にすべてがすすみますように。