10/30(土)

台風がやってきた。

思っていたよりも足が速く、午前中に買い物に行こうと思ったら既に大雨。

夫のフットサルもさすがに中止になったということで

ふたりでだらだらと過ごす久しぶりのどようび。


昼、近所に比較的最近できた鉄板焼きの店に行く。

ところがまあ!お好み焼きは、これって私がつくったほうがましでは?というような内容の代物で、

しかもお店のひとに焼いてもらったのに半生だし、トッピングでお願いした明太子は入っていないし、

かつ焼き物の前に食べようと思って注文したきゅうりのたたきは、何回かたずねても「いま作っています」という返答で、最後のおまけデザートの後に出てくる始末。

夫も私も呆れ半分腹立ち半分になっていたので、一応にこやかに、それはもういりませんので、と行って店をあとにした。

ついでにいうと、おまけのデザートの梨は鮮度がものすごく悪かったし、全体の価格設定はこの界隈のどの鉄板焼き屋さんよりも高い(夫も私も鉄板焼きが好きなので中野近辺はすべて網羅している)。

すごく不思議なんだけど、こういう、箸にも棒にもかからない飲食店ってわりとたくさんある。

開業するときは、おそらく得意分野で開業するのだろうに、どうしてこんなおいしくないものを作れるんだ?というくらいだったり、また少なくとも競合圏内にある他店の値段や味やメニュ構成のリサーチをするのは当然だと思うのだけれども、どう考えてもしてないよなあ~と思うことがままある。本当に不思議。

夫ともども、消化不良だーといいながらスーパーマーケットとTSUTAYAに寄り帰宅する。


晩ごはんは作り置いている残りものなどですませる。

土曜日の夜に夫とごはんを食べるのは久しぶりで、なんだかうれしい。

ここのところ毎週フットサルチームのみんなと食べてくるし、夫からすると「つわりで大変だからわざわざごはんは作ってくれなくていい」ということなので、それに甘えている部分もあるのだけれども。


夜、プレママ友だちとベビーカーについてメールをしあう。

なんだかこういうやりとりって楽しい。

友だちは1月末が出産予定のため、そろそろいろいろな準備に入っているらしい。

私はまだ全然先なのだけれども、つわりの気分の悪さをごまかすために、買いたいものなどを妄想している毎日だ。


今日は一日、比較的体調がいい。

それでも規則的に一日数回吐くのは変わらない。



10/31(日)


台風一過。

晴天になってほしいのに全然晴れない。なんだかなあ。


朝から体調が悪い。

キウィちゃん大暴れや。

と夫。


昼近く、突然「鶏肉を焼いたもの」が食べたくなり、

家に鶏肉がなかったのでお昼ご飯は外へ。

商店街そばの洋食屋さんへ行き、鶏肉のバター醤油焼き丼なるものをいただく。

夫はナポリタンのうえにふわふわのスクランブルエッグが載っているもの。

なかなかおいしい。

私はごはんの上に何かが載っているものは、かつ丼とうな重以外は苦手なのだが、

これはおいしくいただけた。といっても食欲が半減しているため3分の1くらいしか食べられず、夫に食べてもらう。

ナポリタンの麺がゆるいのは「街の洋食屋さん」らしくわざとなのかは判断が難しいが。

この洋食屋さんも比較的新しいお店だが、すっかり中野に定着した感あり。


昨日フットサルができなかった夫、からだがなまっているらしく散歩したいという。

私たちが住む北口から南口の先のほう、中野五差路あたりまでぐるりとまわり、また戻ってくる。

いえの近くまで戻ったところでとても疲れてしまったので、

道路のそばの突起物に座ってしばし休憩。

最近、やたらと疲れやすい。


休憩しているうちに後ろにあるモスバーガーのコーヒーシェイクが気になってきたので、

モスに入ることに。


コーヒーシェイクを飲んでいると、夫が突然、

それにしても来年の5月か6月にはもう子どもがいるんやなあ、とものすごーく感慨深げに言い出した。

なんか想像でけへんな、どんな感じなんかなあ、楽しみやなあ、と。


私は4人兄弟のうえから2番目で、

弟2人とは年齢がだいぶ離れていること、また生来、「世話をする」ことが好きなこともあり、

弟2人の世話をした記憶がとても強く残っている。

もちろん「母として」世話をするのと、「姉として」世話をするのは全然違う。

それでもおむつを替えたり、ミルクをあげたり、散歩をしたり、おんぶをして買い物に行ったり、お風呂に入れたり、

そういう経験をずいぶんとした。

具体的なやりかた、なんてもう忘れてしまったのだけれども、だから「赤ちゃん」という存在は、なんというか、とても「ふつう」のものだ。どうしたらいいんだろう?というような戸惑いとか、大丈夫かな?というような不安とかは、たぶんずいぶんと少ないほうなんじゃないかと思う。

それはちいさな弟ふたりを通して「こういうもの」ということを体験的に知っているせいだろう。

実際に自分が母として子どもと接するときは、きっと戸惑いも悩みもたくさんあるのだろうが、

それでも導入部での不安があまりないことは、子どもの頃の環境にとても感謝したいと思うことのひとつだ。


対して夫は3人兄弟の末っ子で、兄、姉とは年齢が5歳以上離れているし、

身近に「ちいさい子ども」がいる環境が長らくなかったのと、あとはきっと男性だから、ということもあるだろうが、

いずれにせよ、どういうものなんやろう、という気持ちが強いのではないかと思う。


夫としばらく、産まれてくる子どもについての話をする。

男の子と女の子、どちらだと思うか?とか、

どんなふうに育てたいか?とか、そういうこと。

夫も私も、「男の子な気がする」という点では一致していて(どういうわけかそんな気がするのだ。男の子

「だったらいいな」ということではなく、単純に)、

また「感謝の気持ちを忘れない」「打たれ強い」「肉体的にも丈夫」なひとにしたい、という点も一致している。


しばらくそんな話をしながら、

もしや「あのこと」を切り出すとしたらいまがチャンスなのでは?という気持ちになってきた。

「あのこと」・・・そう、それは立ち会い出産のこと。


私は夫に、「絶対に」立ち会い出産をしてほしい、と思っている。

でも夫はきっとしたくない、と思っているだろう。

だからそれをどうやって説得するか?言い出すタイミングはいつにしようか?ということを、妊娠がわかったときから悶々と考え、説得のセリフまで用意していたのである。


そうしてこんなふうに、子どものことについてきちんと話し合っているいま、

もしや千載一遇のチャンスでは!と、

ねえねえ、私、お願いがあるんだけど?というと、

なんや?と夫。

あのね、嫌だっていうかも知れないんだけど、私、立ち会い出産をしてほしいんだ。と一気にいうと、夫は

ええよ?と拍子抜けするくらいにあっさりとこたえる。

ええ?いいの?とこちらのほうが拍子抜けしてしまい、いやもしかしてこのひと、立ち会い出産の意味がわかっていないんじゃ?おおいにありうる・・・と思い、

本当に?あの、分娩室まで入るってことだよ?と念のためいうと、

産まれてくるとこにいるってことやろ?っていうか立ち会いするって当たり前のことやないの?と夫。

俺はするしないやなくて、当たり前のことやと思ってたんやけど、という。


そ、そうなんだ・・・ああよかった。

っていうかそれこそ私のここ何カ月かの悩みって。なんだったのだろう。


いやー、絶対いやって言われると思ってて、ここ何カ月かどうやって頼もうかって悩んでたんだよねえ、だって血を見るのが苦手とかいって嫌がる男のひとって結構いるみたいだし、というと夫はとてもまじめな顔をしながら、

血を見るのが苦手とかなんて意味わからんどうでもいいことやで、立ち会うのは当然のことやろ、となんだかとても頼もしいことをいっていた。


うーんやっぱり私、夫のいろいろなことを誤解していたような気がして仕方がない。

私が夫は「こういうひとだ(だろう)」と思うよりもよほど「こうあってほしい」というひとである、というか。


非常に満足な時間を過ごし、

コーヒーシェイクも飲み終わったところで帰宅。

夫はまたTSUTAYAにより映画を借りて見る。

しばらく外出していたせいでだいぶ疲れたので、私はずっとごろごろだらだら。


夜は鉄板焼きリベンジ!ということで、

中野界隈でもっともおいしい店に行き、お好み焼きともんじゃ焼きを食べ、溜飲を下す。


昨日くらいから、突然お腹のそこから「ふわ~っ」と、幸福感がわきあがってくることが何度かある。

ああここに赤ちゃんがいる、産まれる、やってくる、という幸福感だ。

泣きたくなるくらいの幸福感。

あたたかい空気が突然ふわ~っとうまれて、それに全身がすっぽりと包まれる、というような体験。

こんなふうになるのは生まれてはじめてのことだ。不思議。


夜遅め、また体調が悪化。