家族会。


朝、「お母さんたちも行けるようになったから!これから新幹線乗るね」という長野の母からの電話。

長野の両親は、祖母の介護の関係で当日まで行けるかどうかわからない、たぶん行けない、と、この家族会が決まってからずうっと母は言っていて、どうせ当日になって「やっぱり行けるようになった」といってやってくるだろうと予測していたら、まったく案の定である。

なにしろ「ナオの結婚式には出られるかわからない、おばあちゃんの体調次第で」なんてことを「結婚式の日取りが決まったよ」と電話した私に、いのいちばんに言ってのけたくらいの母である。

「それはおめでとう!ただ、もしかしたらおばあちゃんの・・・」というのが、ひととしての順番ではないかと思うのだが、もうこれが私の母なので仕方がない。母のこういう話を友人などにすると「かわいい」とか「おもしろい」とかいわれることが多いのだが、実の娘にしてみたら、本当に腹が立つことが多い。しかし本人に悪気はないのだ。悪いところは反面教師にすればいいことだと最近は割り切るようにしている。もちろんいい面だってたくさんあるわけだし、あちこち痛いの悪いのいいながらも60過ぎで元気にしていることに感謝しないといけないだろう。


そういえば結婚して、あ、と思ったのは、「親」というものに対する姿勢である。

たとえば桂の両親が「あのそれ、5回くらいもう聞いてますけど」というようなことをまた話してくれたとしても、「へええそうなんですね、すごいですね」とにこにことして話を聞くのに、自分の親だと「それ前も聞いたよ」などとつい言ってしまう。実の親であることへの甘えだし、親のほうもそうだろう。夫の姉(嫂ではなく姉)などは「オモニそれ前も言ってたで」なんて鋭く突っ込んでいるので、どこの親子も似たようなものなのだろうと思うが、ただ自分の両親も還暦を過ぎ、大事にしなきゃなあなんて思っているところでもあるので、こういう意識を少し変えていこうと思ったりもする。


桂の両親からも朝、「タクシーに乗ったよ」とメール。

長野の両親も上京できるそうです、アボジとオモニの祈りが通じました、と返信すると、それはよかった!楽しみ!とすぐに返信があった。

昨晩の祈りで(アボジとオモニは毎朝晩と食事の前に祈りの時間を設けている)、祖母の容態がよくなって、長野から両親が上京できるように祈ったということを聞いている。

オモニから「東京は独身以来」!なんていう衝撃のメールや、新幹線に乗るのがとても楽しみ、景色をたくさん見たい、駅弁を食べたい、という心の弾みがわかるメールが何度も来る。


昼前に東京駅に集合。

みんなで中野に移動して、サンプラザの上階の景色がいい店で和食を食べ、

いえへ移動。


わあ~広い(ハイ、だから今度は泊まってね)、ええいえやなあ、こんなええいえよく見つかったなあ(そうなんですよ、偶然見つけて)、これなら安心、日あたりもよさそうだし(南向きだから布団干しもラクラク)、と、

両親たちがてんでばらばらに、子どもみたいに全部の部屋のドアを開けたり閉めたり屋上まで上ったりして確認したあと、「これで一安心」といいあって、やっとお茶。

それぞれがお土産で持ってきてくれたお茶菓子や、私たちが用意していたデザートなどを食べながら珈琲とお茶を何杯も飲む。


両親が揃うのは結婚式以来だ。

幸運なことに、私たちの場合は母どうしが仲が良いというか、お互いをとても好意的に、また似たものどうしだと思っていること(たとえばいずれも自分の父親を早くに亡くして「女手ひとつで育った」とか、年齢も1歳違いだとか、山や植物が好きなこととか)、また父どうしも同じような社会経験があること(たとえばアボジは管理職として勤めていた銀行が破綻したり、父も自営で同じような経験をしている。初めての両家顔合わせでも「あの時は大変だった」と息子娘そっちのけで破綻経験談で盛り上がった)もあって、両親はお互いに「会いたい」とよくいっていて、会えばすぐに意気投合してお互いどうしで話をたくさんしあってくれる。それが子どもとしてはとてもうれしいし、ありがたいなと思うところだ。

もちろん夫婦が基礎ではある。だけれども、そのまわりのひとたちどうしまでがお互いに好意を持ち合えるかというのはまた別の問題で、そこで悩んでいる夫婦は実際、まわりに何人もいる。その悩みがなく、むしろ「一緒に温泉に行こう」などと子ども抜きで盛り上がってくれているのはとてもうれしいことだ。


アボジが珍しくオヤジギャグなどを言ったりしてとても楽しい時間となった。

また途中、母が「京都はなんでも食べ物がおいしいから、長野から京都へお土産にできるものなんて全然なくて・・・」といういうなことを言ったら、アボジが「ウチはいちばんたいせつなものをいただきましたから」とにこにこしながら言ってくれて、大感激。ありがとう、アボジ!


夕方、それぞれ帰宅する両親を見送りに東京駅へ。

またね!と手を振って見送り、有楽町あたりをぶらぶらしてから日本橋まで歩き、「ますたに」でラーメン。

日本橋の「ますたに」は京都の「ますたに」ののれんわけみたいなふうに一見すると見えるのだが、

「東京にも“ますたに”あるけど、味全然ちがいますね」と本店で言うと、「あそこはウチでちょっと修行していた人が(勝手に)出した店やし」と、本店のオバチャン(創業者)。確かに本店には遥か及ばない味ではあるが、東京のラーメン店のなかではおいしい部類だと思うし、以前よりだいぶ味がよくなってきたように思う。きっと日々努力されているのだろう。「背脂おおめ」にして、テーブルに置いてある一味を少し入れると、本店に味が近くなるので行かれる方はお試し下さい。ただまあやっぱり本店は別格。本店の独特の臭みがリピートの根源だと思うがそれは全然ないし、九条葱の味も量も違う。


帰宅後、片づけを終えてからサッカーを観戦。

日本はだいぶ調子があがってきた模様。後半全然足が動いていなかったが、イングランドは後半で5人一気に入れ替えていて、かたや日本の交代は終盤までゼロ。日本は「全員守備全員攻撃」が方針なので、その状態で走り回っている10人(GK除く)とでは、後半の勢いが違って当たり前だ。

昨日はイングランドは明らかに流してはいたけれども、それでも優勝候補のチームにあれだけの組織サッカーが

できたのは収穫だろう。

それにしてもルーニー、どうしてさらに禿げ上がってきたが大丈夫だろうか。彼がデビューしたころから見ているが、どんどん毛のない面積を増している。クリスチアーノ=ロナウドが同僚だった頃に「このはげちゃびんめ~」と「おまえはハゲだからもてないんだ」とずいぶんからかわれていたそうだが(でもルーニーにはちゃんと恋人だっています)、その頃の5倍は毛がない。ルーニーは好きなプレイヤーのひとりだが、足先のみならずやたら頭に目がいってしまう・・・。ごめんなさい・・・でも髪がなくてもジャイアンみたいでも好きです。イングランドでいっとう好きなのはランパードだけど(昨日は元気がなかったな)。

そういえばルーニーは、若い頃やたらとピッチでキレていて、退場になったりラフプレーをしていたが、いまはずいぶんと辛抱強くなってますますいい選手になった。まだ若いしとても楽しみな一人。


女子サッカーもW杯への切符を手にしたし、よかったよかった。

それにしても男子なんかよりよほど強い女子サッカー、もっと支援してあげたらいいのになあ・・・。

男子と違って注目されるのはオリンピックの時だけ。サッカーはオリンピックより断然W杯なのに。



朝ごはん。

テールスープ。

夫はご飯を入れてクッパに。


昼ごはん。

サンプラザの和食「なかの」にて。


晩ごはん。

日本橋の「ますたに」にてラーメン。