気合で風邪に忘れたふりをし、
午前中の家事をすませてから大学時代の後輩、Aの新居へ遊びに行く。
夫が駅まで送ってくれた。うれしい。
乗り換えの高田馬場まで出て、新築祝いに花を買う。
ガーデニングをしていると聞いていたので、庭におろせそうな薔薇の花。
こぶしに似た花をたくさん咲かせる薔薇で、最近気に入っている品種だ。
池袋で乗り換え、しばらく電車に揺られ、後輩の住む街へ。
結構な大きさの鉢を抱えていたら、駅のエレベータに乗り合わせたご婦人が
「あら~素敵な薔薇ねえ」と覗き込んできた。
「はい、とても!プレゼントなんです」といったら、すごくにこにこと「よかったわねえ~」といって歩かれていった。
もしかしたら私がプレゼントされたと思ったのかも知れない。
後輩のいえはすごく素敵だった。
あの「建物探訪」が取材にくるくらいなのだから(もうすぐ放映予定)、どれくらい素敵かはわかろうものなのだが、
なんというか、こういう暮らしかたをしたい、という住まい手の思いがすごく伝わってくるいえだった。
Aと旦那様の思いをひとつひとつ明確にし、それをプロフェッショナルである建築家と一緒に形にしていった、という感じのいえ。
Aは大学時代に確か美術史を専攻していたし、卒業後にいったん会社勤めをしてからまた母校の大学院に戻り、建築をやっていたはずだ。旦那様は住宅雑誌にお勤め。
そんなふたりの、どこにもない、ふたりのためのいえは、あたたかく、やさしく、静かで、すごく素敵な空間だった。
一年後も10年後も30年後も素敵だろうなと思えるような空間だったし、経年変化を味としてとりいれられるような度量のあるいえでもあった。
ほとんどの壁が床から天井(天井高は高いところでふつうの家の倍くらいはある)まで、つくりつけの棚になっていて、Aと旦那様の本がずらりと並んでいるのもよかった。
ウッドデッキのある庭にはもともとあったという梅と柿の木があって、蕗がおおきな葉を広げていて、田舎に帰ったときに感じるようなほうっとしたものがあちこちにある。屋根に寝転んで星を見るのもよさそうだ。
こんな素敵ないえで、ゆっくりとお互いに人生を築いていけること。
結婚してしばらく経つおふたりだけど、素敵なパートナーとめぐりあってよかったね、としみじみと思う。
いいなあ。いいなあ。といいながらあちこち見学させてもらい(まさに探訪、である)、Aにお昼ごはんまでつくってもらい(ボンゴレロッソ、ビシソワーズ、ヨーグルトとチーズがアクセントのサラダ、デザートはチーズケーキ風味のヨーグルト。どれもおいしかった!ありがとう)、たくさん話をする。
いまいる境遇が似ていることもあってか、
いやおそらくは私にとってのAという存在のおかげで、
誰にも話せないでいたことなどもするりと口に出すことができたりして、
とてもとても、楽しく穏やかで、落ち着いた数時間だった。どうもありがとう。
また近々の再会を約束し、駅まで送ってもらう。
Aは大学時代、数多いる後輩のなかでもっとも好きだった子だ。
変な言い方みたいだけど、そうなのだ。
卒業してからはそんなにたくさん会っているわけではないのだけれども、
こころのどこかでいつも、元気かなと気になっていた、そんな子で、
そういうひとというのはやっぱり、人生のどこかでまためぐりあうように出来ているのだなあと思う。
「地球上のすべてのひとと出会えるわけではないのだから、いちど出会った“縁”あるひととの“縁”をたいせつに、“縁”をかさねていくもの」となにかで読んだことがあるのだが、
まさにそのとおりだなと思う。
その後、高田馬場の事務所に戻る予定がAとの時間が楽しくてついつい長居をしすぎたため、
そのまま次の予定の神楽坂へ移動。Yさんと会食。
日ごろお世話になっているYさんからの相談。どんな相談だろう?と思っていたら、
「4~5年間くらい前から仲が良い男性がいます。穏やかで優しい男性で、風貌はまったくもってトトロ。そのトトロとは、1ヶ月から数ヶ月に1度くらいは一緒に食事をしたり、時には好きなコンサートに出かけたりもします。トトロは自分のすべてを受け止めてくれる鷹揚なタイプなのですが、そんなトトロから“Yちゃんはそのままでいいよ”“いつまでも待ってる”と告白を受けました。でも・・・トトロには、全然、ときめかないのです。これまでの4~5年間で、ただの一度もときめいたことはありません。もちろんいい人だし、友だちとしては好きだから食事もしたし、コンサートにも行きました。こんな状態で、トトロと付き合うのはアリでしょうか?」という、要約するとそういう内容。補足するとYさんは、30代後半の女性でそろそろ「結婚」を真剣にしたいなと思っていて、ただお仕事柄、出会いもまったくなく、また美しく人柄もよくさらに料理上手という、モテの要素を備えておきながらも、マイペースというか引っ込み思案というか、の性格のためか、お付き合いをしている男性はここ7~8年いない。
内容だけ聞くと女子高生のような悩みではあるのだが、本人は真剣に悩んでいるし、また私自身も似たような悩み・・・ときめかないけどそのままの自分でいられる男性と、ときめきすぎて自分を見失ってしまうくらいの男性との間で、ものすごーく、悩んだことがある。(ちなみに夫はそのときの後者である)
私は自分がどれだけ相手を好きか、で関係性を築いていくタイプなので、結局、夫との恋愛を選んだし(選んだといっても、一方の男性はお友だち以上ではない関係だったのだが)、それでよかったとこころから思う。
なぜならば私はそれはそれは、夫が大好きだということ、そうしてもうひとつ、「恋心」がないと誰かと一緒にいられないタイプだからだ。
ただ世の中には、この「好き」濃度・温度が低いというか、自分の人生や生活において「恋心」が少なくとも生きていけるひとはたくさんいるし、もしもYさんがそうだとしたら、トトロにときめかなくたって、嫌いじゃないのならお付き合いしてみたらいいのではないかと思う。
思うに「生理的に受け付けない」という場合を除いて、たいていの男女は、うまくいくのではないかというのが私の持論でもある。だいたいにして、出会いがないと言っているひとというのは、職業的に出会いがない場合を除いて、間口が狭いというか、「とりあえず付き合ってみる」「とりあえず食事をしてみる」というのをしない場合が多い。本当の本当に好みの相手、なんてそんなにたくさんいるわけではないし、いたって出会える可能性は低いのだから、とりあえず食事でもして、ちょっといいなと思ったら付き合ってみて、そうしたらいいところや思いがけない発見、共通点なんてものが生まれたり見つかったりして、そのうちすごく好きになるかもしれない。ならなかったらそのときはそのときでまた別の相手を探したらいい。
肝心なのは、自分が「恋心がないとダメ派」なのかそうでないのかの見極め。
そういう意味ではもしかしたらYさんは、「よくわからない」といいつつ、私と同じ、恋心がないとダメ派、なのかもしれない。
「ぜんっぜん、ときめかないのよ~」
と、Yさんは昨晩だけでも30回くらいは繰り返していた。ぜんっぜん、ですか・・・。かわいそうなトトロ・・・。
帰宅後、夫にAとの話などをしばらくし、「アイリス」と録画してあった「チェイス」の最終回を一緒に見る。
「アイリス」。どうなってしまうの~という感じ。展開が読めない。途中でストーリーがとびとびになったりするし。敢えてこういう編集なのか?韓国ドラマ、謎である。
「チェイス」はかなしい終わりだった。それにしても「チェイス」は全編をとおして映像がすごく綺麗だった。
朝ごはん。
夫はテンジャン(韓国風の味噌汁。わが家の場合は、大根、人参、キャベツ、椎茸、豚肉、じゃがいもを具にする。そこに味噌だけでなく、コチジャン、すりおろした大蒜を入れるのが日本の味噌汁との違い。本式は納豆も入れる。納豆を入れるとまろやかでとてもおいしい)、ごはん、ペチュキムチ。
私はヨーグルト。
昼ごはん。
友だち、Aの手作りご飯。
誰かにご飯を「作ってもらう」なんてものすごーく久しぶりのことなので感激。
おいしかった!
晩ごはん。
神楽坂の亀井堂にて。