昨晩はなかなか眠れなかった。

おそらく夜に飲んだ珈琲と、寝る直前に携帯メールのやりとりをしていたせい。

珈琲は昼間の残りなのだが、捨てるのがもったいないくらいの量が残ってしまったので

ついつい飲んでしまった。

眠れなくなるかな、と心配していたら案の定。


メールは夫の従妹のユリと。

先日、日本人の恋人とのことを相談されたのだが、従弟の結婚式の最中だったこともあり中途半端に話を聞いただけだったことと、またその際にメールアドレスを聞き忘れていたので、

私のアドレスを書いた手紙を出していたのだ。

そうしたら今日、ユリから携帯メールが届いた。

「ナオさんからユリに手紙が来てると、父も母も兄も大騒ぎして喜んでました」と書いてある。うれしい。


夫の親族のなかで私はどういうふうに思われているのだろうかと、ふと心配になるときがある。

私だけ日本人であることへの不安。変に気を使われていないだろうかとか、逆に心配されていないだろうか

というようなこと。

また私たち夫婦だけが東京に住んでいて、それ以外のほぼすべての親族は90%京都在住。近くに住んでいたら頻繁に顔を合わせることができるのにそれができない、そのことも気にかかる。


そんななかで、うちの家族はみんなナオさんのことが好き、というユリからのストレートなメールはとてもうれしいものだった。ありがとう。


ユリと日本人の恋人のことで少しやりとり。

まだ若いふたりなので(何しろふたりとも23歳。結婚を焦る年齢ではない・・・と思う・・・)、結婚に反対しているひとがいるからということで焦ったり悩んだりしすぎず、

いまは恋人であることを楽しんだら?結婚はその結果、ついてくるものだから、というようなことを伝えると、すごく納得してくれたようだ。よかった。

来月、恋人に会うタイミングでうちにも遊びに来てくれて、しかも恋人も紹介してくれるとのこと。

どんなひとななろう?楽しみだ。


昼まで仕事。

事務所に行く夫といえを出て、TSUTAYAに寄り「オールイン」がかえっているか見に行くと、めでたく3~5が返却されていた。うれしそうな夫。

その後、私は病院へ。アレルギーの注射。

「Tさん」と夫の名前が呼ばれたので、夫ではなくて私の間違いかと・・・と看護師さんに申請する。

いつも混んでいる病院だが、今日はいつにもましてめちゃくちゃ混みあっていたのできっとカルテを間違えてしまったのだろう。

今日の看護師さんは注射が上手なひとだった。


中野に戻って仕事を少しし、ジムへ。

久しぶりにプール。クロールと平泳ぎを交代で泳ぎ、文字通り息もたえだえ。

かつ肋間神経痛におそわれ、途中から平泳ぎだけにし、それでも痛みがとれないので水中ウォーキングに切り替える。

15分ほど歩いていると痛みがおさまってきたのでクロールをすこし泳いで終了。

ちょうどちびっこのスイミングスクールの時間がはじまったのでプール脇のジャグジーに入りながら見学する。

ハイハイハーイ!とやたらと自己主張する子、もじもじしている子、ぼんやりしている子となかなかおもしろい。

おもしろいといえばたまに見てしまうNHKの「おかあさんといっしょ」のスタジオにいる子ども達とお兄さんお姉さんが一緒に踊ったり輪になったりしているところで、多くの子どもはお兄さんお姉さんの動きにあわせて付和雷同的に踊ったり歌ったりしているのだが、なかにはたいてい1人か2人くらい、座ったまま動かなかったり、あるいは一点を凝視していたり、大勢とは全然違う方向に歩き出したりと、違う動きをしている子どもがいる。

もしかしたら病気や障害なのかな?と思うときもあるし、そうでないときもある。大勢の子ども達のなかで、それもひとつの個性だなあと見ていて思う。


夕方、ホームセンターへ。

途中の花屋さんにスミレ色の素敵な花鉢があって、たぶんペチュニアの一種だと思うのだが、ピンクや赤などの暖色が多いうちのベランダにブルー系の花が欲しいなと思っていたことから迷わず購入。

いいの見つけたね、これ、昨日仕入れたところなんだよ、と花屋のおじさん。

色がいいですね、スミレみたいで。と喋っていると、私より前にきていた年配の女性と、私より後からきたそれより少し若いくらいの女性も、私の戦利品を見て、いいなあ、いい色だね、スミレみたいできれい、素敵、といってくれた。年配の女性は「あんまりそれがいい色だから、こっちのてっせん買っちゃおう」といって薄紫のてっせんを買っていた。その行動には脈絡がまったくない気がするのだが・・・「紫つながり」ということ?

みんなにほめられて気分をよくし、ホームセンターで買った荷物と足してもかなりの量になるのにそのままスーパーマーケットへ。

夫が食べたいといっていた林檎(季節はずれ)を購入。ほかにそろそろ夫が食べたがるであろうカレーの材料なども買ったので地獄のように荷物が重いが、夫の「晩ごはんなに?カレー?」という喜ぶ顔を思い浮かべながらてくてくといえに帰る。


昨日読んだ小川糸さんの「ペンギンと暮らす」のなかに出てきた言葉で、気になったところ。


「中心が何であるか、どこにあるか。これをはっきりつかむことが、人類生存の尊い唯一の道である」

「例えば綱渡りの曲芸師は、中心を外せば転げ落ちる。中心をとるコツは、いつもまわりを見ながらバランスをとっていくことだから、足元を見つめていたのではバランスをくずしていく。だから自分のことばかりを考えるな。自分の都合は捨てろ。相手の喜ぶことを、まわりが喜ぶことを第一に考えなさい」


これは小川さんが感銘を受けた寺田啓佐さんの「発酵道」の中に書かれていた、明治の哲学者:常岡一郎さんの言葉だそうだ。引用の引用の引用だが、書いておく。

いいなと思うことは昔の文献でもいまのニュースでも

哲学者の言葉でも漫画のセリフでもちいさな子どもの言葉でも変わらない。

それが私のたいせつにしていること、たいせつにしたい生き方ということなのだと思う。


「お神酒」の語源は「うれしき」「たのしき」「ありがたき」、この3つの「き」が重なることから、「おみき」だということも同じ章に書かれていた。へええ。なるほど。



朝ごはん。

夫はキムチ各種とナムルでビビムパ。

私はヨーグルトとクッキー。

昼ごはん。

なし。


晩ごはん。

青椒肉絲、キムチ各種、キャベツと若布と玉ねぎの味噌汁。

明日用にカレーの下ごしらえをしていたのが夫にわかり、

カレーも晩ごはんに加わる。