一日風邪。

ただし山を越えた感はある。

全身気だるいし喉も痛いがそれでも昨日の夜がもっともつらかった。それに比べたらよほどいい。

きっと明日には治っていることだろう。


これ以上、体調を悪くしても仕方ないので

トレッキングもジムも中止し、

ほとんど外出もせずに一日過ごす。

夫が録画していた「IRIS」と「朝まで生テレビ」を夫とともに見て、

さらに夫がフットサルに行っているあいだに

「こころの遺伝子」の再放送(アンジェラ・アキさんの会)を見る。

風邪薬のせいかふらふら。


朝ごはん。

夫はもやしの味噌汁、ごはん、ペチュキムチ。

私はトースト、ヨーグルト。


昼ごはん。

ホットドッグ。

藤原伊織さんのいくつかの作品で読んで以来、ホットドッグのキャベツはカレー風味にしている。

このホットドッグは夫にも好評。


晩ごはん。

蒸しパン。


宮本常一の「忘れられた日本人」を読了する。


民俗学者の著者が、全国各地の老人たちのライフヒストリーを聞き歩き、まとめあげた一冊。

何百年も昔のことではないのにもはや聞いたこともない風俗や職業すらある。

たとえば「ばくろう」。博郎?と頭のなかで勝手に漢字を当てはめて、プロの博打打かと思って読み進めていたのだが、全然違ったり。

それでもいくつかのものごとは田舎の農村で育った私にはうっすらと馴染みのあることもあった。

たとえば「隣組」のことなど。国によって制度化された「隣組」という規範よりも昔から、少なくとも私が育った田舎の農村地帯には向こう三軒両隣という集合体あったように聞いている。

結婚式や葬式、村祭などの行事だけでなく、たとえば野菜が余ったとき、とか味噌を借りるとき、などは

この「隣組」内で貸し借りしていたように思う。少なくとも私が子どもの頃はまだその名残があったし、

また結婚式の招待客にはいまだにこの「隣組」のひとたちが含まれたりする。

(私の結婚に際しては、場所が京都だし、というのを言い訳にひとりも「隣組」からは招待しなかったのだが、おかげで田舎の両親はあちこちに頭を下げていたと聞く。しかも兄や弟のときには必ずご招待しますから、ということが条件だった)

また私が子どもの頃には、隣組のひとつ上の単位での集まりとして、地区の奥さん方が「若妻会」なるものを形成していて、ワカヅマであるところの私の母もそれに入っていた。

というか、地域社会では入らないといけないという暗黙の諒解があって、母などは「嫌だけど仕方ない」といって出かけていって、実際「ああ嫌だ嫌だ、つまらない、くだらない」と心底嫌そうに言いながら帰ってきたものだ。

それにしたって名前がすごい。ワカヅマカイ、ですよ。

実際にそこで何が話し合われていたのかは知らないが、宮本さんの本にあるように、おそらく以前は、地域の共同体を支えるなにかの機能を果たしていたのだろう。

しかし地域に「ワカヅマ」がほとんどいなくなったいまはそのような会合はなくなったと聞いている。

おそらく親の世代で、これらの数々のコードは終わりあるいはかたちを変えていくのだろう。