風邪を引いた。
朝起きたときから喉が痛い。
夫の風邪が治ったと思ったら今度は私が風邪。
一緒に暮らしてから数年経つが、「どちらかだけが風邪」ということは100%なく、
夫が先か私が先か、そうして必ずうつしあっている。
うつされたくないしそれよりもっとうつしたくない。
体力にはそこそこ自信があるし滅多に風邪を引かないことが自慢だし
いまでもほかのひとからもらうことはほとんどない。
それでも夫からはうつるしうつす。不思議で仕方がない。
それでも喉だけの風邪なので、
予定どおり夫の冠婚葬祭用の靴を買うことと映画を見に行くことはしようと決めて、
たとえばその結果、翌日に多少調子が悪くてもいいやと思うことにする。
なにしろ連休だし、京都に行くまでに治ればいいのだ。
というわけで、13時過ぎに家を出る。
渋谷のユーロスペースで上映している映画「クロッシング」を見るため。
14:20の回を見ようと出かけ、13時半に映画館に着いたのだが
立ち見が出そうな勢い。
まだ昼ごはんを食べていなかったこともあり、次の回を見ることにする。
文化村のそばの和食屋さんでランチをし、ABCマートで夫の靴を買う。
幸いとてもいい靴を見つけたので購入。よかった。
これで従兄の結婚式の準備も万端。
まだ時間があるので駅そばのブックファーストに寄り、また文化村のそばに戻ってお茶。
そうこうするうちに上映時間が迫ってきたのでふたたびユーロスペースへ。
「クロッシング」。
北朝鮮の家族の生活と脱北や強制収容所の実情を描いたことで話題になっている作品で、
たまたまテレビで紹介されていたのを見て、夫と、この映画は絶対に見に行かないとね、
ということになっていたものである。
元サッカー選手の父ヨンス、優しく家族思いの母ヨンハ、素直な息子ジュニ。
北朝鮮の貧しい炭鉱町で飢えをしのぎながらも幸せに暮らしていた家族。
しかしヨンハが結核になったことからヨンスは命がけで中国へ行き薬を手に入れようとするが、途中、中国公安につかまりそうになり、なかなか北朝鮮に戻れないあいだにヨンハは亡くなる。
父の帰宅信じて待つジュニは、孤児となり、ストリートチルドレンとして生きていくうちに、偶然同じく孤児となっていた幼馴染ミソンと再会。
ミソンと共に父のいる中国に渡ろうとしているところを国境警備隊に捕らえられ、ジュニとミソンは強制収容所送りに。強制収容所では厳しい労働と劣悪な環境により次々と目の前のひとたちが亡くなっていく。大人数が横になることも許されず詰め込まれた監獄で、思想統制のために教示を暗唱させられ食事も衛生状態も酷い。そんな中でミソンは幼い命を落とす。
その間にもヨンスは家族のもとに帰ろうと行動していくが、結果的に脱北を果たし、韓国へ渡る。南と北のあまりの違いに愕然としながらも、なんとかしてジュニとの再会をしようと画策する。しかし国境を越え、ヨンスの前にあらわれたジュニは既に息をひきとっていた・・・。
「神は南朝鮮にしかいないのか、貧しい国にはいないのか」「約束を守れなくてすまない」と慟哭する父の姿に胸を打たれる。
エンドロールで流れる映像は生前にミソンやジュニが夢見た天国なのか、それとも現実なのか。
かなしいかなこの映画は、決して虚構でも誇張でもないことを私は知っている。
たった数十年前に一本の線で区切られただけでここまで違ってしまう世界。
国ってなんだろう。政治家ってなんだろう。人間って。家族って。
そして生きるって。
そんなことを何度も思いながら、何度も何度も涙を拭いながら映画を見る。
目をそらしたくなるような現実。でも目をそらしてはいけないのだと自分を叱る。
そのcrossingを渡るのか渡らないのか。
もっというとその一点をわかつものは単なる偶然あるいは幸運でしかなく、
だれがいつ「あちらがわ」でもおかしくないということ。
「たまたま」私が、私たちがいまいる地点が「こちらがわ」なだけであり、
それと同じように「たまたま」「あちらがわ」で生まれ育った、多くの名もなきひとたちもいる。
そんなひとたちの、ささやかな家族の幸福をも奪うような、冷たくかなしい現実。
帰りの電車のなかで、夫と「では、どうしたらいいのか」ということについてぽつぽつと話す。
ふたりともなかなか言葉が出ない。
夫の一族は南の出身だが、ましてや同じ民族として、私よりもさらに切実な思いもあるのだろう。
たまたま平和な国に生まれ、いまも元気で暮らせることへの感謝、
元気で暮らしているからこそできることが、それでもきっとあるはず。
そんなことを話す。
マザー・テレサの言葉。
「愛の反対は、憎しみではなく無関心です」
風邪がひどくなってきたようなので外ごはんをして帰宅する。
朝ごはん。
昨晩のから揚げののこりとキャベツ。
大量にあげたためまだたくさんある。
昼ごはん。
渋谷の和食屋さんで夫は牛はらみ丼、私は秋刀魚の塩焼き。
晩ごはん。
中華屋さんで餃子、野菜炒めを半分ずつ、
夫はさらに天津飯。
中島京子さんの「桐畑家の縁談」を読了する。